僕は、二重人格の君に恋をした
 和紗は悩んでいた。白鳥とはもうこれ以上関わらないほうがいいのだろうか。黒羽レンは「自分と関わるな」と言った。彼女はこれ以上の接触を望んでいない。それなら自分はもうストーカー扱いされることはないし、仕事にも集中できる。

 しかしあのまま白鳥を放置していいのだろうか。赤の他人の自分がこれ以上関わったところでどうしようもないのに、なぜだか白鳥を放置することができない。どうして白鳥がそうなったのか真実を確かめたい。そしてあの事件の真相を知りたい。

 終業後、昨日と同じようにロビーで白鳥を待ち伏せした。白鳥は昨日と同じように五時きっかりではなく、六時過ぎにエントランスを通った。

 また黒羽レンと会える保証はない。しかし、彼女は夜現れることが多かった。それならこのまま尾行していれば、もう一度彼女に会えるかもしれない。

 白鳥の後をつけながら黒羽レンが現れるのを待った。しかし彼女は昨日と同じルートを辿らず、ホームに来た電車にそのまま乗り、そして降りた駅から歩いて自宅らしきマンションの中に入っていってしまった。

 今日は黒羽レンにならないのだろうか。和紗はマンションの前でぼう然と佇みながら早まった行動したと後悔した。夜になれば確実に黒羽レンになるという保証はない。そもそも黒羽レンになるタイミングはいつなのだろう。今までのことから考えると、必ずしも夜に黒羽レンになるとは限らない。彼女は昼間現れた時もあった。

「現行犯よ。ストーカくん」

 聞き覚えのある声が聞こえて慌てて顔を上げた。そこには先ほどマンションの中に入った白鳥がいた。しかし、彼女の表情は硬い。先日別れた時と同じ厳しい顔つきだ。今ここにいるのは白鳥花純ではなく、黒羽レンだ。間違いない。

「二度と私に関わるなって言ったでしょう。そんなに警察のご厄介になりたいのならお望みどおりそうしてあげる」

 黒羽レンはスマホを取り出し、ボタンを押す動作をした。警察なんかに連絡されたのではたまったものではない。和紗は慌てて止めに入った。

「ま、待ってください。俺は黒羽さんと話がしたいんです」

「私は話したくないわ」

 取りつく島もない。どうやら彼女はまだ怒っているようだ。

「先日はすみませんでした。せっかく話してくださったのに、嘘だなんて言って……」

「形だけの謝罪なんて結構よ。私はそのことで怒ってるわけじゃないんだから」

 ────じゃあ何に怒っているんだ? 流石の和紗も少し怒りそうになった。下手に出ればつけ上がる。彼女は一体何を望んでいるのだろう。

「なんでそんなに怒ってるんだって顔ね。もう少し、自分の頭で考えたら?」

「考えてます。考えて分からないからこうして来てるんじゃないですか」

「花純のこと疑ってたくせによく言うわよ」

「俺は疑ってたんじゃありません。ただ、信じられなかったから気になったんです」

「ホラ、疑ってるじゃない」

「そうじゃありません。信じられないっていうのは、白鳥さんが悪いことをするような人に見えなかったから……だから、本当は何かあったんじゃないかと思って……」

 黒羽レンは幾分か目つきを鋭くして見定めるように和紗を見つめた。和紗はなんだか鷲に狙われた獲物になったような気分だった。しかし、ここで怯むわけにはいかない。

「黒羽さん。あなたは以前、白鳥さんが行った取引先の接待のことを覚えていますか」

「ええ、覚えてるわ」

 覚えている。ということは、あの事件はやはり白鳥ではなく黒羽が引き起こしたのだ。ならば黒羽は真実を知っているはずだ。

「一体何があったんです?」

「あなたにそれを言う必要がある? なんでいちいち昔のことほじくり返さなくちゃならないのよ」

「そのせいで白鳥さんは会社から疑われたままなんです。何かあったのなら────」

「嫌よ」

「どうしてですか」

「花純が嫌がってる」

「嫌がってる?」

「思い出したくないって言ってるのよ。それをあなた、無理矢理どうにかして満足なの? 偽善でやってるなら迷惑よ。疑い晴らしてヒーローにでもなりたいわけ?」

「そういうわけじゃ……」

「じゃあもう帰って。あなたがどうこうしたって、どうにもならないわ」

「でも、白鳥さんへの疑いが晴れれば彼女だってもっと普通に暮らせるじゃないですか。 嫌がらせされたり、後ろ指刺されたりすることだってない。今みたいに怯えずに済むんです」

「能天気な男。あなたと喋ってると虫唾が走るわ。普通って何? 勝手に人様の基準を私達に押し付けないでくれる? 何も知らないくせに」

「じゃあ教えてください。知らなきゃ理解できない」

「しぶといわね。いい加減帰りなさいよ」

 話せば話すほど、和紗は自分自身のことを不思議に思った。なぜ自分は、これほどまでに白鳥に執着するのだろうか。仲がいいわけでもない。別の部署にいる静かな女性社員。彼女が会社でどんな目に遭おうと、自分にはまるで関係ない。

 しかし、学生時代仲の良かったあの友人のことが思い出されて、放置する気分になれなかった。正義感とか、そういうものではない。ただ何か力になりたかった。

「いやです。本当のことを知るまでは諦めれません」

 黒羽レンは呆れたように和紗を見下した。しばらく数秒黙り、やがて深い溜息をついた。

「青臭いガキのくせに意外としぶといのね」

「俺はガキじゃありません。白鳥さんよりは年下ですけど」

「あなたは────」

「安城和紗です。安いって字に江戸城の城。和風の和に、いとへんに少ないの紗」

「どうせもいいわ、そんなこと。和紗、あなたって変よ」

「名前、どうも。覚えてくれたんですね」

「別に。どこにでもある名前じゃない。私そこまでバカじゃないわ」

 彼女は本当に減らず口だ。絶対に言い負かされるということがない。相変わらず女王様なところは変わらないが、一歩ぐらいは前進できただろうか。この数十分罵られていたというのに、和紗はなんだか達成感を味わった。
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