次の日曜日、和紗はレンと約束した通り駅の近くにあるカフェの前で白鳥が来るのを待った。彼女は本当に現れるのか、内心不安だったが、レンがそう言ったのだ。間違いないだろうと信じることにした。

 十一時前、本当に白鳥────いや、レンが現れた。レンはあの時のような派手な格好はしていなかった。白鳥がいつも着ているような色の淡いボレロとスカート、低いヒールのパンプスを履いている。どうやら今日は白鳥の趣味に合わせたらしい。レンは堂々と現れ、いつものように自身たっぷりに言った。

「ちゃんと来たわね。満足させてくれるんでしょうね?」

「一応、ちゃんと考えたよ。けど、どうやって白鳥さんと入れ替わるんだ?」

「今変わる」

 レンはやや俯き、ぼんやりとした表情になった。まるで半分夢の中に入りかけたような顔をしている。それから少しして、彼女は視線をあげた。

 白鳥は驚いていた。それもそうかもしれない。目が覚めたら突然知らない場所にいて、会社の後輩がいるのだから。彼女に出かけた記憶がないのなら尚更だ。

「え、あの……どうして安城さんがここに────」

 やはりそうだ。白鳥は覚えていない。和紗は事前に考えていたあるセリフを口にした。

「あれ? この間約束したじゃないですか」

 さもそれらしく、和紗は驚いたフリをした。突然出会って誘うのは難しい。それなら約束を取り付けていたことにすれば、白鳥も来てくれるのではないかと思ったのだ。白鳥の性格上、よほどのことがなければ「そんなこと言ってません!」とはならないだろう。相手がこうして来ているのだから。

 思った通り、白鳥は驚き、戸惑っている様子だった。和紗は卑怯な方法だな、と自分を笑った。これは白鳥の善意につけ込んだ作戦だ。今頃、レンは彼女の中で呆れているか大笑いしているかのどちらかだろう。

「もしかして、冗談でしたか……?」

 とどめの一言を言えば白鳥の表情が難しくなる。彼女は事態を飲み込めていないらしい。それならばと今日の目的を説明することにした。

「今日は先日の一件のお礼をしたかったんですけど……すみません。冗談だったのなら謝ります」

「い、いえ……ごめんなさい。その、ちょっとぼうっとしていただけです」

 どうやら、彼女はこの嘘を飲み込んだようだ。拒否されなかったことにほっとしたものの、計画は始まったばかりだ。問題は彼女に信頼されるほど親しくなれるかどうかだ。

「よかった。お店予約していたので、断られたらどうしようかと思いました」

「いえ……大丈夫です」

「それじゃあ、行きましょう。すぐ近くですから」

 和紗が体の向きを変えると、白鳥も遠慮がちに付いてきた。向かったのはイタリアンレストランだが、ランチを予約しなければならないような敷居の高い店ではない。実際は予約などしていないが、白鳥に帰られると困るのでそう言い訳することにした。

 店に入ると、カウンターの後ろに黒いエプロンを着けた店員が立っていた。和紗は白鳥に見えないように二名の数字を表すピースサインを店員に見せて、「いけますか」と尋ねた。

 店員は笑顔で「こちらへどうぞ」と店内に案内した。人がまだ少なかったため、店員は奥の席に案内してくれた。壁際の席だ。

 席に腰掛けると、白鳥は物珍しそうに店内を見回した。彼女はあまり外に出ないと言っていたから、こういう場所には来ないのかもしれない。

 店はこぢんまりとした大きさだ。それに落ち着いていて、静かだ。かといってマナーをどうこう言われるような店でもないから、彼女も気にせず食事出来るはずだ。

「何頼もうかな。あ、白鳥さん好きなもの頼んでくださいね。今日は僕がご馳走するんですから」

「い、いえ。そんなわけには……」

「気にしないでください。そんなに高い店じゃありませんから」

 そう言われても気にするのが彼女なのだろう。結局一番安いランチメニューを選んでいた。レンだったらここで遠慮なく一番高いランチを頼んだだろう。

「白鳥さんは、洋食と和食だったらどっちが好きですか?」

「私は……食べ慣れているのは和食なので、和食が好きです」

 だが、彼女は慌てて「でも洋食も好きです」と付け加えた。洋食を食べに連れてきた和紗への配慮だろう。和紗はこれぐらいのことで怒ったりしないが、本当に彼女は気を使ってばかりなんだな、と思った。女性の多い事務局の中で仕事していれば気を使うことも多いだろう。

「僕も、どっちでも好きです。この店を選んだのは、女性に人気って書いてあったのと、デザートが美味しいって書いてあったからなんです」

「安城さんは、甘いものがお好きなんですか?」

「いえ、白鳥さんが好きかなと思って。もし食べれそうだったら、一緒に頼みませんか」

「でも……」

「むしろ頼んでもらった方が勉強になるんです。いろんな人の好みを知っておかないと、仕事で困ることもありますから」

「ごめんなさい。迷惑ばかりかけてしまって────」

「全然。そもそも僕が誘ったんですから。仕事でも迷惑掛けましたし、いつも助けてもらっているのでこれぐらいさせてください。それに白鳥さんと話すの楽しいですから」

「そんな。私と話しても面白くないと思います。大した話も出来ませんし……」

「普段営業していると気を使うことが多いんです。だからこういうふうに気楽な会話をするのは久しぶりです。あ、でも白鳥さんに気を使わせてるからよくないか……」

「……安城さんは、お話しするのがお上手なんですね。いつもスラスラ喋っていて、すごいと思います」

「あはは……先輩に鍛えられたおかげですかね。僕も最初は全然でしたよ。電話の時は舌がもつれますし、おどおどしててよく怒られました。慣れってすごいですね」

 おどけたように話すと、白鳥はクスッとおかしそうに笑った。その笑顔を見ると、なんだかものすごいことをやり遂げたような達成感が湧いた。彼女も全く笑わないわけではないのだ。ただ、気を遣っているせいで本来の彼女が表に出てこないのだろう。

 スタッフを呼び止めてデザートを二つ頼んだ。白鳥はありがとうございます、と軽く頭を下げた。

「あの、安城さんは────」

「タメ口でいいですよ。僕後輩ですし。みんなには安城、とか安城くん、とか呼ばれてます」

「えっと……あ、安城くん……は、その……仕事、すごく頑張ってますよね。局長も、この間言ってました」

 まさか褒められるとは思っても見ず、和紗は少し照れ臭くなった。白鳥は頑張って話そうとしてくれているようだ。それに会社にいる時よりも表情が明るい。会社以外で話す方が彼女らしく過ごせるのだろう。

「あんまりガツガツするの好きじゃないんですけどね。ちょっと前までは最近の若い奴は〜とか言われてましたよ。でもまあ、いろいろ勉強になってるので有り難いです。おかげさまで人見知りはしなくなりました」

「私も……安城くんぐらいおしゃべりが得意ならよかったんですけど。楽しいお話もできなくて」

「別にいいと思いますよ。白鳥さんは喋るのが得意じゃないかもしれませんけど、一緒にいて落ち着きます。僕は、その方がいいですね」

 白鳥は基本的に後ろ向きだ。自分に自信がなくて、何もしていなくても謝ったり、よくないことをしていると思っている。だから最初のうちは褒めることに徹することにした。彼女のようなタイプは否定してしまうと長いこと引きずる。本当に心を開くまでは、自分が信頼できる、傷付けない人間であることをアピールしなければならない。

 こんなことを計算しながら話しているなんて知ったら白鳥は幻滅するかもしれないが、計算しながらでなければ白鳥に近づくことは出来ない。レンも、そう思ったから彼女の情報を教えたのだろう。