金曜日の夜、白鳥に誘われて食事に出かけた。場所はわりと有名なイタリアンの店だった。

 店の前まで来ると、白鳥は取り繕うように「こういうお店にはあまり来たことがないんです」と言った。

 綺麗な外観の店だった。シンプルな白い外壁で白い箱のような造りだ。外から完全に中が見えず、入り口は木の扉、そのサイドに一本木が植えてあって、ライトアップされている。店の名前が書かれた看板は小さく、あまり目立たない。隠れ家的な店なのかもしれない。

 和紗はちょっと敷居が高そうだな、と思った。失礼だが、確かに白鳥が普段くるような店には見えなかった。おそらく、お礼をするから少し奮発しようと思ったのだろう。

 普段は洋食より和食の方が多いからこういう店にはほとんど行かないが、彼女が一所懸命選んでくれたのだと思うと嬉しかった。

「大丈夫です。僕も全然こういうところに来たことがないので。失敗したら白鳥さんが笑ってください」

 安心させるように言うと、白鳥は穏やかにはにかんだ。

 白鳥が予約してくれたおかげでスムーズに席に案内された、店は広いが、たっぷりと座席間のスペースがとられているためさほど人目は気にならない。白鳥はぎこちなさそうに席に腰かけた。

「なんでも食べれると言っていたので、コースにしてしまいましたけど大丈夫でしたか?」

「はい。好き嫌いないですから」

 自分たち達以外にも数名客が入っていた。品の良さそうな、三十代より上に見える男女だ。こういう場所は記念日でもなければ来ないかもしれない。

「白鳥さんはやっぱり、大人っぽいお店を選びますね。僕なんかこういうのはてんで駄目で、いつもぐるなび頼みですよ」

「あの……私もぐるなびで探したんです」

 一瞬場が静かになる。和紗が内心慌てていると、白鳥はクスリと笑った。

「よかった。みんな使うものなんですね」

 こういう冗談も許されるようになったらしい。白鳥は傷つきやすいナイーブな女性だが、気にしないのであればあまり言葉を選ばずに会話できる。

 その後料理が順に運ばれてきた。店自体はかしこまっていたが、自分も白鳥も大声で喋るようなタイプではないし、普通に食事していても特に目立つことはなかった。

 ある程度食事が進み、白鳥が周りを気にしなくなった頃だった。彼女は突然、そろりと話を始めた。

「あの……安城くん」

「はい」

「安城くんは、ジキルとハイドって知ってますか」

 白鳥の口からその言葉が出た瞬間、和紗は思わずどきっとした。以前、玉緒から聞いたことがあった。確か、二重人格の博士の話だ。

 それが彼女の口から出たことに驚いたが、もしかしたら、彼女は自分自身がそうであることに気付いているのかもしれない。いや、玉緒にその話を教えたのが白鳥だった、という可能性もある。

 それに、レンは以前白鳥自身が感づいている可能性はあると言っていた。はっきりとは分からないのかもしれないが、薄々気付いている可能性はないとはいえない。

「ええ……知ってます。二重人格の博士の話ですよね」

 彼女はいったい何をいうつもりなのだろう。緊張と一緒にゴクリと唾を飲み込んだ。

「安城くんは……ああいう話は信じますか……?」

「ああいう話?」

 わざとらしく知らないフリをした。その次に出てくる言葉は容易に想像できた。

「二重人格の……人のことです」

 白鳥はやや真剣な目付きであったが、はっきりと確信できないのか、どこか不安げな表情をしていた。

 やはり、彼女は自分の中にいる存在に確信を持っているのかもしれない。レンは派手に動いたわけだし、それが幼い頃からとなれば、気付いていない訳がない。

 ただ、そのことを尋ねられるような人間が周りにいなかったのだろう。だから今、自分に尋ねたのだ。

 しかし、それをすぐ肯定することはできなかった。レンは彼女を守る存在だが、レンがトラブルを引き起こしていることもまた、事実だ。

 それに自分の体を勝手に操っている人格がいるなんて、信じがたいし理解できないことだろう。もしかしたら、白鳥はレンのことを嫌だと思っているかもしれない。

 しかしここで否定すると彼女は感じ始めているその存在に対し余計に不信感を持つかもしれない。それにレンは白鳥のもう一つの人格、もう一人の彼女だ。否定されるのは、レンだって辛いはずだ。

「ええ、いると思いますよ」

「どうしてそう思うのですか」

「それは────」

 白鳥の質問は、まるで自分にその存在があることを肯定して欲しいように聞こえた。いや、して欲しいのかもしれない。

 レンは白鳥とは別の存在。最初はそう思っていたが、最近はそうでないように思う。

 なぜなら、レンは白鳥の願望や意思から生まれた存在だからだ。白鳥が強くありたいと思ったからレンが出来た。他人とうまく喋りたい。物怖じしない性格になりたい。自信を持ちたい────。

 様々な願望が、レンを作り出した。レンはレンだが、レンは白鳥でもあるのだ。

 そして、そんなレンを、自分は嫌いではない

「……実は、二重人格の人を一人知っているんです」

「え?」

「僕の知り合いで、そういう人がいます」

 白鳥は驚いていた。だが、その一人とは、白鳥のことだった。

「二重人格の女性です。時々、ガラッと人が変わることがあります。彼女の中には、もう一人別の女性がいるんです」

「そ……その人は、どんな人なんですか」

「そうですね……。とても感情豊かです。喜怒哀楽が激しくて、まるで嵐みたいな人です」

「でも、そんな人がいたら、その、本当の人格が困りませんか。急に出てきたりして、人に迷惑をかけたり、人を傷つけるようなことをしたら────」

 彼女はとても不安そうだ。それは彼女の本心なのだろう。小さい頃から二重人格だったのなら、それ相応に大変なことがあったに違いない。レンに悪気がなくても周囲は戸惑う。それが原因で、嫌な思いをしたことだってあったはずだ。

 だが、レンを恐れて欲しくなかった。結果はどうであれ、彼女は白鳥花純という人間を守るために生まれた人格だ。白鳥の意には添えなかったが、彼女は決して悪人ではない。彼女なりの信念があって行動している。

「────その人は、本当の人格を守るためにいつも頑張っています。少し強引なところもありますけど、いい人です。他人に否定されたりすることを恐れずに、自分を貫ける人です。彼女の本当の人格も、きっと本当はそんな人になりたかったんじゃないかなと思います」

 できるだけ白鳥がレンに不快感を抱かないように弁解したつもりだった。白鳥には、レンを嫌いにならないで欲しかった。それは今度二人が付き合っていくために必要なことでもあるが、彼女が自分自身を否定すると、レンが傷付く。そんなふうにも思えた。

「……二重人格にも、いろいろあるんですね」

「いろんな人がいるのだと思います。僕たちと、そう変わりませんよ」

 彼女は安心したように笑った。