紅は屋敷の廊下から、窓の外の景色を見ながらゆっくりと歩いた。
 
 朔夜は自宅にいる時はほとんど部屋から出ず、顔を合わせるのは食事の時くらいだ。

 今日は休日だからきっと自室にいるはずだ。紅は息を吸い込むと、朔夜の部屋の扉をノックした。部屋の中から微かに返事が聞こえて、扉の取っ手を回した。

 朔夜はソファに座っていた。本を読んでいたのだろう。視線を上げてそれを閉じた。

「なんだ」

「あ、あの……用事はないんですが。いるのかなと思って……」

「いいからさっさと入れ。そんなとこでモジモジするな」

 言われて紅は部屋に足を踏み入れた。 

 朔夜の部屋はこの屋敷の外観の印象とは違い、意外にもシンプルで洒落ていた。

 この家は古めかしい作りをしているが、彼の部屋は白と黒を基調としたモダンな家具で揃えられていた。どちらかといえば都会的な印象だ。

 真っ黒な革張りのソファに、背丈が低めのベッド。本をよく読むのか、大きな本棚が置かれている。
 
 紅の部屋とは大分違っていた。

「本を読んでたんですね」

「数少ない趣味なんでな」

「それ……何語ですか? 日本語じゃないみたいですけど……」

「ドイツ語だ。たまたまこれしかなくてな。日本語訳のが売ってなかった」

 朔夜が持っていた本はなにかの専門書なのか、紅には読めない文字で書かれていた。

 普通の人間ならば気に入った本が日本語訳でなかったら諦めるのだろうが、彼ははそうではないらしい。朔夜はドイツ語も堪能ということだろうか。周囲に辞書などは見当たらなかった。

「もしかして、朔夜さんドイツ語が読めるんですか?」

「なんとなくだ」

「もしかしてお家のことで?」

「そうじゃない。単に俺が勝手に覚えただけだ。別に覚えて損はないだろ」

「ええ……そうですけど」

 そんな理由で覚えられる人間は世界広しといえど朔夜くらいしかいないだろう。こうなると最早尊敬を超えて理解ができなくなっていた。

「お前は暇してるみたいだな」

「え?」

「どうせこの家じゃやることもないんだろ」

「……だって、外出には朔夜さんか小夜さんを連れて行かないといけないんでしょう? そんなの申し訳ないですし……」

「そんな理由で遠慮するな。言っただろ。基本的にお前の生活を束縛する気はない。行きたいところは行けばいい」

「でも……」

「どこに行きたいんだ。そのために来たんだろ」

「え……えっと、お寺、です」

「寺?」

「おばあちゃんのお墓詣りに。そろそろ、お供えの花も枯れていますし、掃除しないといけないなって」

「ああ……分かった。行ってやるから支度しろ。玄関で待っとく」

 朔夜はすっくと立ち上がり用意し始めた。

 本当にいいのだろうか。頼んだものの、紅は申し訳なく思った。祖母のことは朔夜とは全く無関係だ。人様の墓参りに付き合うほど彼は親切には見えない。

 ────護衛だから仕方なく、かな。

 それでも、朔夜が面倒臭がらず付いて来てくれることが嬉しかった。

 あの一件から、朔夜とはよく話すようになっていた。

 今までは全く知らない人物だと思っていたが、一方的だとしても朔夜が以前から自分を知っていたということと、ずっとそばで見ていたことを聞いて、赤の他人には思えなくなっていた。

 正直朔夜のことは怖そうで冷たいと思っていたが、意外に不器用で優しいことも分かった。

 きっと彼は感情を表に出すのが下手な人なのかもしれない。