とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
第9話 アヤメの花が咲く頃に
「なんだよ、その目は」

 コンビニに行ってくると言って聖が出て行ったのはいいが、戻ってくるなり聖はニヤニヤした視線を俊介に向けた。

 言いたいことはなんとなく分かっている。どうせまた綾芽のことだろう。

「可愛い子ね、立花綾芽ちゃんって」

「……それがどうしたんだ。煎餅買いに行ったんじゃなかったのか」

「あんな美人な子ならきっといろんな男性から誘われてるんでしょうね。確か二十一歳って言ってたわね。うちの社員は既婚者が多いけど、新入社員とかなら年齢的にもうアタックしてそうだし……」

 ────鋭い。さすが聖だな。

 聖の解説を聞きながら、俊介は盛大な溜息を喉の奥で押し殺した。

 聖がなんの意味もなくこんなことを言うわけがない。どうせけしかけているのだろう。「早くしないと盗られてしまうわよ」、と。

「言っただろ。俺はあの子よりもずっと歳上なんだ。兄ぐらいにしか思ってないよ」

「じゃあ、好きってことは認めるのね?」

 俊介はしまった、と心の中で項垂れた。聖の誘導尋問は本堂並みにタチが悪い。やはり結婚したせいで良くない影響を受けたようだ。

 だが、「好きじゃない」と言うのはなんだか自分の中にある楽しい感情を全て否定してしまうようで気が引けた。否定しないとまた聖に追及されてしまうというのに、だ。

「別にいいじゃない。世の中には二十も三十も歳の離れた人と結婚する人だっているんだし、十五ぐらい大したことじゃないわよ。それに彼女は社会人でしょう? ロリコンじゃないわよ」

「……どうしたらいいか分からないんだよ」

「分からない?」

 今までは聖が好きだった。だが、いざ綾芽のことが気になる始めるとそれは聖に抱いていた気持ちとはまるで違うことに気が付いた。

 綾芽のことになるとまるでコントロールが出来ない。自己中心的な自分ばかりが先行して、いつも綾芽の気持ちをおざなりにしてしまう。

 思えば、聖といた時自分の思いが先走ったりすることはあまりなかったかもしれない。それは執事と雇い主という立場だったからかもしれないが、綾芽に感じる想いよりもずっと献身的な、慈愛的なものだ。

 綾芽にもそういう気持ちがないわけではない。なにかしてやりたい、喜ばせたい。そんな気持ちはあるが、それとは別にもっと自己中心的な欲が湧く。それは兄と妹などとはかけ離れた想いだ。

「俊介の真面目な性格もちょっと和らいだと思ってたけど、根本は変えられないみたいね。俊介のしたいようにしたらいいんじゃない? そんなに気にすることないわ」

「嫌がられたらどうするんだ。彼女は一応同じ職場で働いてる人間なんだ。俺のせいで居辛くなって仕事に支障でも出たら余計に彼女を困らせることになる」

「どうして嫌われるのよ。今だって一緒にご飯に行ってるじゃない。それも毎週。俊介の手作りご飯まで食べて、嫌われるなんてあり得ないわよ」

「……それは、俺のことをただ親切な人だと思ってるだけで、別に好意を持たれてるわけじゃないだろ」

 聖はムッとして俊介を叱りつけた。

「女の人を舐めないで。あなたの好きな子は、優しくしてくれる人なら誰にでもホイホイついていくような子なの? そうじゃないでしょ?」

 確かにそうだ。彼女は決して尻軽などではない。普通は、弁当を作ってくれると言うだけではついてきたりはしない。それなら、彼女は自分に少しは好意を持ってくれているのだろうか。

「気になるなら、デートに誘ってみたら?」

「デート?」

「だって、いつもランチに行くだけでしょう? デートに誘ってみたら彼女の答えがわかるかも」

「彼女は忙しいんだ。俺とデートしてる暇なんかないだろ」

「忙しくても、好きな人に誘われたらちょっとは予定をどうにかしようとするでしょ。そこは俊介が予定を調整して都合をつけてあげないと」

 ごもっともだ。もし本当に気があるなら、デートに誘えばその気持ちを確かめることができるだろう。

 だが、断られたら? それからランチにも来てくれなくなったら? そんなことをしたら関係が全部終わってしまう。

 先に進まなければ失うことはない。慌てなければこのままでいられる。だが、彼女がいつまでもこのままということはないだろう。いつかは誰かのものになるかもしれない。何もしなければ、聖の時と同じだ。

「けど、いきなりデートに誘うと警戒されるかもしれないだろ」

「真面目に考えすぎよ。お見合いに行くんじゃないんだからもっと気楽に考えて」

「気楽にって言ったって……」

 ふと、部屋の扉が開いた。入ってきたのは本堂だ。仕事から戻って来たのだろう。

「いないと思ったら、二人で話してたのか」

「丁度よかった、はじめさん。ちょっと俊介にアドバイスしてあげて」

「アドバイス?」

「俊介ったらデートにも誘えないの」

「ふん、多少は進展があったみたいだな?」

 ────言わんこっちゃない。

 俊介はもう無理だ、と諦めた。本堂はノリノリで聖から話を聞いている。これは絶対、からかってああだこうだと余計なアドバイスをされるに違いない。

「要は、デートに誘うハードルが高いんだろ」

「別に高いなんて思ってない」

「じゃあ普通に誘ってみろよ。相手に好意がありゃ断られることはねえ」

「……いきなりすぎる。俺と彼女はそういう関係じゃないんだ。突然誘われたら向こうだって驚くだろ」

「ホラ、この調子なのよ。これじゃデートに行けるようになるまであと百年ぐらいかかりそう」

 本堂は思案顔で俯くと、突然思いついたように顔を上げた。

「……聖、うちが企画したアクアリウムのイベントあったろ。あれの特別招待枠残ってるか」

「え? うん、まだあるけど……あ、もしかしてそれに招待するの?」

「ご名答だ。会社のイベントなら枠が空いてるからっつって気軽に呼べるだろ。ターゲット層は二十代から三十代の女だ。別にいても不思議じゃねえ」

「いいじゃない! 俊介、それに呼んでみたら? 俊介も企画に関わってるし、案内してあげたら喜ぶわよ」

 本堂が言っているイベントというのは翌々週都内の大型ショッピングモールの野外広場で行われるアクアリウムの展示会のことだ。

 当日会場には大きな水槽が用意され、周辺に関係ショップをオープンしたりイルミネーションを灯したりと一日遊べるようになっている。

 確かに女性なら綺麗なものは好きだろうし、呼んだとしても会社のイベントだ。断られても仕方ないで済ませられる。

「こんな絶好の機会を逃すなんて、元営業としては黙ってられねえな」

「……分かった。誘えばいいんだろう」

「安心しろ。当日は俺らも行くが冷やかしたりはしねえよ。遠巻きに観察しといてやる」

「見るな。仕事に集中しろ」

「頑張れよ、社長秘書の青葉クン」

 結局からかわれているだけではないだろうか。だが、会社のイベントは絶好の機会だ。綾芽も深く考えずに来れるだろうし、青葉の方は仕事で行くわけだからデートっぽい雰囲気になることはまずない。

 とにかく、次に会った時に誘ってみよう。そうすれば彼女の気持ちも少しは掴めるはずだ。
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