とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
 綾芽はバイト帰りにあの雑誌を買った。よく分からずフィーリングで買ったから、最初の方のページにはOLの一週間着回しコーデと書かれている。どうやらOL向けの雑誌らしい。

 自分はOLではないが、中に載っている女性モデルは十分女らしくて可愛い格好に思えた。それこそ、藤宮コーポレーションに勤めている女性達は皆こんな格好だ。

 ひとしきり眺めて、綾芽は持っていない物を書き出した。だが、ほとんど全てだった。

 まず、服だ。これがないと始まらない。それに靴、そして鞄、あとは化粧もした方がいいだろう。

 そう考えるととんでもない予算になるが、綾芽は覚悟した。

 お金が全くないわけではない。何かあったときのためにある程度は貯蓄している。だが、それは滅多なことでは使わないと決めたお金だった。

「……背に腹は変えられない、よね」

 少しでも可愛いと思われたいなら努力すべきだ。青葉の周りには綺麗な女性ばかり勤めているのだから。



 綾芽は後日、都合をつけてバイトを早めに終わらせた。

 買い物のために出かけるなんてずいぶん久しぶりだ。しかも、服を買うためになんて。ここ数年はスーパーと仕事場の往復だったから、街がどうなっているかもよく分からない。

 とりあえずそういうものが売っていそうな大型のショッピング施設の中に入った。

 一度も入ったことがない店だからか、なんだかキラキラしていて店に近寄れない。綾芽はいつもと同じ格好で来ていた。こんな格好で商品を見ていたら、不審者扱いされないだろうか。なんだか見ているだけなのに恥ずかしくなった。

「なにかお探しですか?」

 見ていることに気が付いたのか、店員が声をかけて来た。だが、綾芽は咄嗟に「いえ、見ているだけです」と冷たく言って離れてしまった。せっかく聞くチャンスだったのに、もったいないことをしてしまった。

 綾芽はそれから施設の中をぐるぐると歩き回った。だが、どうにも服が見つからない。そもそもそれ以前に店の中に入れない。どの店も必ず声をかけてくる。それはスタッフとして素晴らしい接客なのだが、ただでさえ対人スキルが低いのでスタッフに素直に相談も出来なかった。

 ────二十一にもなって服も買えないなんて。

 綾芽は自分に呆れた。なんとかしようと思って来たものの、これではバイトを休んで来た意味がない。

 青葉に可愛いと思われる格好を探すのだ。だが、そもそも青葉の好みもわからなかった。八方塞がりだ。

 とにかく、なんでも服だけ買ってしまおうと、もう一度最初の店から見て回ることにした。

 最初の店に入ると、声をかけて来た店員がまだいた。また来た、なんて思われていないだろうか。自分の心配をよそに、店員は先ほどと変わらぬ笑顔でいらっしゃいませ、と元気よく言った。

「あ、あの……」

「はい、なんでしょう?」

 綾芽は大きく息を吸い込み、一息に言い切った。

「デートに来ていけるような服って、ありますか」

 これは、笑われる。綾芽は覚悟したが、かなり真剣だった。

 アパレルショップの店員ならば、確実に似合うものがわかるはずだ。それにこうして目的に合わせて相談もできる。

 当然、店員は笑うことはなかった。デートですか? と楽しそうに笑顔を見せた。

「彼氏さんとですか?」

「い、いえ……まだ、そういう関係じゃないんです」

「じゃあ、その人が惚れるぐらい可愛い格好にしないとですね!」

 内心馬鹿にされているのではないかと思っていたが、思いのほか店員は協力的だ。デートの行き先と目的を伝えると、いくつか服を見繕ってくれた。

「お客様は細くて色白なのでパステルカラーが似合うと思います。今は丁度こういった淡い色目が流行っていますし、清楚系にして見てはいかがでしょう?」

 店員が勧めて来たのはカラー展開が四つほどあるチュールワンピースだ。全体的に薄手の生地だが、腕は七部丈で露出しすぎているということもない。身丈は膝より少しだけ長いぐらいで、可愛くも大人っぽくも見える。

 綾芽もそれが気に入った。

「これ、可愛いですね」

「よかったです。他に気になるものはございますか?」

「あの、これに合う靴ってありますか?」

「靴ですか? そうですね……サイズはいくつですか?」

「二十四です」

「少々お待ちください」

 店員は再び店内に置かれた商品を物色した。そしてミュールを一足取って来た。

 その靴はヒールの部分が透明な素材で出来ていて、それ以外は白い革のような素材だった。ヒールの長さは三センチほどだから、無理をしなくても履けそうだ。可愛い、というよりは綺麗目な印象だ。

「ワンピースが少しふんわりボリューミーなので、靴はこういったシュッとしたものがいいかと思います。もしよかったら履いてみてください」

 綾芽はその靴に足を入れた。ややぴったりめだが、ストラップもないのでこれぐらいで抜けなくて丁度いいかもしれない。真っ白なミュールはワンピースによく似合いそうだった。

「じゃあ、ワンピースは……あの、どの色が似合うと思いますか」

 ワンピースはホワイトとイエロー、パープル、ピンクとあった。全て淡い色目なのでどれでも良さそうだが、どれがいいか選べなかった。

「お客様は色白ですが髪や目は黒いので、ホワイトかパープルがいいと思います。汚れが気になる方はパープルを選ぶ方が多いですよ」

「じゃあ、パープルで。それと、この靴もお願いします」

 かなり高い買い物だが、仕方ない。綾芽はお会計の値段を見た時卒倒しそうになったが、デートのためだと言い聞かせて気にしないことにした。



 それからアパレルショップの店員に教えてもらった通り、白かブルーベースの化粧品を買いに行った。これも店員に聞けば親切に教えてくれた。さすがに真っ赤な口紅は進められなかったが、つけたことがないものを色々勧められて混乱した。

 化粧道具を一式購入して、ようやく全ての買い物を終えた。今日の会計の合計は一体いくらだろうか。数ヶ月分の食費が一気に飛んだが、後悔はしていなかった。

 あとは当日まで店員に言われた通り練習すれば、少しは化粧もまともになるはずだ。

 青葉はどう思うだろうか。急に女らしい格好をして行ったら、気持ち悪いと思うだろうか。

 だが、あの聖という女性も言っていた。青葉は多少なりとも好意に近いものを持ってくれているのかもしれない。だからこうして誘われたのだ。

 借金地獄の中でまさかデートに行くことになるなどと思いもしなかったが、これも人生が好転しているという兆しだろうか。

 今まで楽しいことなんて終わったのだ諦めていたが、青葉と出会ったおかげでいろんなものが見えて来た。

 ────青葉さんが私のこと好きになってくれたらいいのに。

 綾芽はショッパーをきゅっと握りしめた。自覚した恋心は恐ろしいほど急成長を遂げていた。まるで夏の空に浮かぶ入道雲のように。
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