とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
「いやーさすが大企業の朝食は優雅ですね」

 朝のピークを超えた頃、直也は感心しているのか、呆れているのか分からない言い方で自動ドアの方を眺めた。

 綾芽は特に返事しなかったが、直也が言いたいことはわかる。自分もランチで同じようなことを考えたいたことがあった。

 ジェフミックは藤宮コーポレーションの子会社である藤宮フードサービス株式会社が事業展開しているコンビニだ。東京や大阪、名古屋などの都市をメインに出店しており、普通のコンビニと違って少し高級志向だ。

 無添加や有機栽培などにこだわったものを置いているため、おにぎり一つにしても二百円近い値段がする。パスタはグルテンフリー、菓子類もOLが喜びそうなマクロビ食材を使っていたりと、もはや自分には理解できない世界だ。

 今日の朝は十種類野菜のスムージーとグルテンフリーのパンを使った有機野菜と卵の生ハムサンドがよく売れた。これに皆ヨーグルトや半熟卵などそれぞれつけるから、しょぼい喫茶で食べるワンコインのモーニングよりも高くなる。盛り付ければホテルで出しても違和感がなさそうだ。

「俺、ここでバイトしてそこそこ経ちますけど、ここでご飯買ったこと一度もないですよ。よっぽど給料よくなきゃこんなの買えませんよね」

「萩原君、もうそろそろ上がる時間でしょう。残業しないように早く仕事終わらせて────」

 入店の音楽が鳴って、綾芽はパッと自動ドアの方を向いた。

 入ってきたのは先日別の仕事をしている時に遭遇した男性だった。

 綾芽は一瞬ギョッとしたが、ここの会社で働いていると言っていたからよくよく考えてみればなんら不思議なことではなかった。

 男性はドリンクのコーナーを見てトマトハムサンドを手に取り、お菓子のコーナーを少しだけ見てレジへ来た。

 綾芽は咄嗟に頭を下げた。

「昨日は、美味しいお菓子をありがとうございました」

 男性は困ったような笑みを浮かべ申し訳なさそうに言った。

「いえ、突然押し付けてしまってすみません」

「休憩時間に同僚と二人でいただきました。同僚も、とても喜んでいました」

 綾芽はあの菓子のことは知らなかった。ただ、一緒に仕事に入ったバイト仲間に、食べないと一生損するよ! と言われ食べさせられた。きれいな形の焼き菓子だったが、味の良し悪しは正直言ってよくわからなかった。

 バイト仲間曰く、毎朝何十人も人が並ぶ名店で一個ウン百円もする菓子がどうたらこうたら────と、とにかくすごい菓子だということは分かった。

「よかったです。俺も突然もらって困っていたので、助かりました」

 自分も、正直突然で困ったのだが。

 だが、この男性に悪気はなさそうだ。本当に困っていたところで、顔を知っていた自分に声を掛けただけなのだろう。

 レジを済ませると男性は会釈をして店から出て行った。

「めっちゃかっこいい人ですね」

 直也はいつの間にか横に立ち、綾芽と同じ方向を見ていた。

「あの人、立花さんの知り合いですか?」

「違うよ。ただお客さんだから顔を知ってるだけ」

 正確にはこの間顔を覚えたばかりだが。綾芽はさも知っているように答えた。

「いつもみたいにナンパされるのかと思いましたよ。にしても、頭から爪先までいかにもエリート! って感じでしたね。あの人もここの社員さんなんですかね?」

「うん、そうだって言ってた」

「係長とか部長ですかね。普通の平社員には見えなかったですけど」

「萩原君」

 怒ったように睨むと、直也はしまった! と頭に手をやって「すぐに帰ります」とバックヤードに逃げて行った。

 綾芽は呆れたように溜息をついた。

 まったく、直也のお喋りには困ったものだ。悪気がないから仕方ないし、あれが彼のコミュニケーションなのだが、たまにいきすぎるところが悪いところだ。

 だが直也の言うとおり、あの男性は確かに格好いいと言われるような容姿をしている。

 どこの部署の誰かまでは分からないが、雰囲気から察するに役職者のように見える。

 いや、ずいぶん若そうだから、もしかしたら違うかもしれない。落ち着いているように見えたが、一体何歳なのだろうか。

 いろいろ疑問は湧いてきたが、所詮雲の上の人だ。コンビニ店員の自分などとは関わることはないだろう。
 
 次の客が入ってきたので、綾芽はスッと切り替えて接客モードに入った。
< 8 / 131 >

この作品をシェア

pagetop