俊介の失恋の傷は比較的浅かった。

 同じ職場に恋敵と失恋の相手がいるのに今も普通に仕事を続けられている一番の理由は、聖と本堂が公私をきっちり分けるタイプだからだ。

 聖と本堂は付き合ったからといってベタベタするような人間ではない。もちろん俊介がいない場所ではどんなことをしているか分からないが、少なくとも仕事場では仕事のパートナーとして接していた。

 そしてもう一つの理由が本堂が俊介の気持ちを知っている、ということだ。

 二人の男が女を奪い合うような泥沼的展開にはなっていないが、お互いの気持ちを知っていて、本堂は自分の気持ちを貫き通し、そして俊介は聖の気持ちを察して身を引いた。

 それもあって、本堂は必要以上に聖のことを話すことはない。付き合いたてで、結婚間近であっても、本堂はそういう物事の分別がつけられる人間だった。

 だから俊介も必要以上に苛立ったり悲しい気持ちにはならなかった。とられて悔しい気持ちもなければ、失恋して泣いたりもしていない。

 俊介はこの感情を「失恋」と表現していたものの、実際は失恋ではないかもしれないと思っていた。

 自分は物心ついた時から聖を知っていて、藤宮家に仕える家系に生まれたため、聖の世話をすることが当たり前だと思って育ってきた。

 言い換えるなら、藤宮家のためと聖のために生きてきたのだ。

 大きな家に生まれたせいで行き場のない思いを抱える聖を慰める唯一の存在でありたいと思っていたし、なによりも彼女を支えたいと思っていた。

 だが、本堂が現れたことで聖の理解者は自分ではなくなった。

 自分は唐突に目的と生きがいを失うことになった。

 ある意味、今まで聖に依存していたのだろう。そう思うと、仕事だけが残った自分にはなにもないように思えた。

 執事の宿命だろうか。人に仕える以外、一体なにを生きる糧に生きていけばいいのだろう。

 俊介は悶々と悩み、答えの見つけらない疑問にいつまでも支配され続けた。



「じゃあ私達は先に帰るから、俊介も早く上がってね」

 終業の時間になり、聖と本堂は帰り支度をして俊介に挨拶をした。俊介はデスクに着いたまま、分かったと返事した。

 聖と本堂は既に一緒に住んでいるため、基本的に一緒に帰ることが多い。

 俊介も仕事はほとんど片付いていたから、帰ろうと思えばいつでも帰れる。だが、なんとなく帰りたくない気分だった。

 聖が実家から出たと同時に自分も藤宮家住み込みではなくなった。だから家に帰っても一人だし特別することはない。

 テレビでも見てのんびり過ごせばいいのだが、なんだかそんな気分にはなれない。
 
 帰りに適当に飲んで帰ろうか。それなら少しは気分も紛れるかもしれない。

 俊介はさっさと帰り支度を始め、寂しい秘書室をあとにした。