信じてもらえないかもしれませんが… あなたを愛しています

抱きしめる


「こっちよ。」

玄関の正面にある大階段を彩夏は上っていった。
樹はその後を追った。真由美は険しい顔で樹を見つめていたが、
自分がいては出来ない話だろうと思い、二人を見送った。
 
 彩夏の部屋は、かつて客用寝室として使っていた二階の角部屋だ。
南側の窓からは、牧場と母屋へのアプローチとなる道路が良く見える。
部屋に入って左側のドアを開けると小さい洗面所の設備もあるので、
仕事が不規則な彩夏には便利だった。
奥には書斎が。その手前にベッドとクローゼットがある。
取り敢えず南側の窓に面した場所にある
小ぶりなコーヒーテーブルとソファのセットに樹を招いた。

「今日は仕事の日なの、時間が無いから手短におっしゃって下さい。」

「…君の部屋か…牧場が良く見えるな…。」

 樹は人の話を聞いてないのだろうか、ぼんやり外を眺めている。
放牧が始まる時間だ。窓を少し開けると馬たちの嘶きとスタッフの声が聞こえた。

「久しぶりだな。」
ここに来るのも、彼女に会うのも…。本当に久しぶりだ。

今度はしっかり彩夏の顔を見ながら樹が言った。


「急にどうなさったんですか?」

「どうしても、ここに来たくなったんだ。」

 二人は小さいテーブルを挟んで、向かい合って座っていた。
不躾なくらい、樹は彩夏を見つめている。
「何?」

「いや…。」

 樹の前に座っている女は、彼がいつも目にしている東京の女達と酷く違っていた。
まず、化粧臭くない。朝早いせいか、ほぼ素顔で髪の毛も梳かしただけ。
白っぽい楽そうなパンツスタイルで、ニコリともしなかった。

『ああ、そうか』
仕事以外では、都会のけばけばしいネオンの下か薄暗いバーの灯りの下でしか
女を見た事が無かったのだ。

 彩夏は、朝の光の中にいた。
先週、ホテルで見かけた時よりずっと自然だった。
パソコンのデータとして写真の中にいた彼女が、今、目の前にいる。



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