『彩夏が姿を消した。』

 江本からの連絡は、樹にとって青天の霹靂だった。
8月上旬に東京へ戻ってからは、かねてから懸案事項だった会社の機構改革に夢中で取り組んでいた。
これまでよりスリムな体制にして自分の仕事を分散させ、祥にもいくつか責任を持たせたい。
この機会に、古参の重役を何人か子会社の役員に回したかった。

 樹は、目の前の仕事に没頭すると余裕を失くしてしまう。
彩夏からはマメに近況報告が入ってきていたが、中々返信しにくかった。
こちらは毎日仕事漬けだ。彩夏の様に美しい物に囲まれてはいない。
古参の社員達との戦いは、裏切るか裏切られるかの瀬戸際だった。
樹を排除して、専務に社長の椅子をという動きも察知した。
体調不良を悪い材料にされてしまったから、挽回するのは大変だった。

 おまけに、あのスキャンダルだ。
以前も同じ手を仕組まれたから、樹はガセネタだと取り合わなかったが、
彩夏は傷ついてる筈だと江本に責められた。

「なぜ、キチンとご自身で否定されなかったんですか!」

 これまでのように、江本が全ての尻拭いをしてくれる訳ではない。
だが、彩夏との関係も以前とは違うはずだ。
これくらいで関係が壊れる程脆くないと思い込んでいた。


 結果は無残だった。

 会社の方はかろうじて何とかなったが、彩夏がいなくなってしまった。
全く連絡が取れないし、弁護士を立てて正式に離婚の申し立てがあったのだ。

 江本まで、もう諦めた方がいいと樹に言った。
「あちらからは、慰謝料など要らないから籍を抜いて欲しいとの事です。
 何年もお付き合いすらしてこなかったんです。
 樹さん、もうこれ以上彩夏さんを振り回すのはやめませんか?」

祖父が決めた結婚だ。確かに、彩夏には不本意だっただろう。
何しろ婚姻届けにサインしたのは、まだ10代だったのだ。


「彩夏さんを自由にしてさし上げて下さい…。」