【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
1 消えた乙女心と契約結婚
「その溺愛、契約外だと思います」
 困惑しながら訴えると、紅玉(ルビー)の瞳の美青年は気にする様子もなくステラを見つめる。

「可愛い君が悪い」
 伸ばされた手はステラの頬を滑るように撫で、青年は口元を綻ばせた。

 色っぽいその笑みに、ステラの混乱はさらに深まる。
 あくまでも契約上の関係だったはずなのに、何故こんなことになったのだろう。

 ……そもそも、出会いからしておかしかったのだ。
 ステラは現実逃避を兼ねて、この美青年と初めて会った時のことを思い返した。


 ********


「――ステラ・ナイトレイ。俺と結婚してくれないか」

 艶やかな黒髪に、紅玉(ルビー)のような濃い赤の瞳を持つその人は、男性でありながら美しいという言葉がぴったりの整った容姿をしていた。

 グレン・ウォルフォードと名乗ったこの青年に求婚されれば、年頃の女性なら頬を染めてうなずくことだろう。

 だが、ステラの乙女心は十六歳の時に消えた。
 それは初恋や失恋といった甘酸っぱい理由ではない。
 残酷なまでの現実ゆえだ。

 ステラは深いため息をつくと、美貌の青年に営業用の微笑みを向けた。


「薬のお申し込みは、カウンター左手の用紙に仔細ご記入の上、整理券を取ってお待ちください」

 静かな沈黙が流れるが、ステラの笑顔は崩れない。
 伊達に六年も治癒院で働いていない。
 妙な注文や言いがかりをつける客にも、もう慣れていた。
 だがグレンは紅玉の瞳に困惑の色を滲ませて、こちらを見ている。

「いや、薬じゃない。……結婚の申し込み、なんだが」
「ウォルフォード伯爵とは初対面ですよね。なるほど、情報不足とお見受けいたしました」

 朝一番に治癒院にやってきたと思ったら、何とたちの悪い冗談だ。
 お世話になっている公爵の紹介だというから、てっきり薬師ではない方のステラに用があるのかと思い、こうして個室に通したというのに。

 見目麗しい美青年だから、色んな意味で同情三割増しだったが……無駄になった慈しみの心を返してほしい。

 何にしても、ステラに求婚とは愚の骨頂。
 現実を突きつければ、さっさと帰ってくれるだろう。
 ステラは咳ばらいをすると、紅玉の瞳の美青年を見据えた。



 コーネル男爵家の令嬢だったステラは、母の死去と共に人生の歯車が狂いだした。

 父は後妻を迎えたが子供二人を伴っていて、それは父の子だという。
 この時点でかなりの衝撃だが、現実は更に恐ろしい。

 継母はステラを虐げ始め、その浪費で財政を傾ける。
 当然のように膨らんだ借金のかたに、ステラは父親と同じ世代のスケベおやじに嫁ぐことになった。

 ――ここで、乙女心は完全に消え去った。

 有名なスケベおやじの慰み者になって終える人生に、夢も希望も潰えるのは当然のことだろう。
 結婚式も何もなく、夕食時に顔を合わせただけのスケベおやじは、この世の不快感をすべて紡ぎ合わせたかのような下品な視線をステラに送ってきた。

 死んだ方がましかもしれないと部屋で人生を振り返っていると、やってきたのはスケベおやじの弟。
 身に覚えのない殺人疑惑をかけられて初めて、ステラは夫が死んだことを知らされた。

 何とか容疑は晴れたがステラを信用できないらしく、婚家は追い出されて実家に戻され、その実家からは勘当された。


 人生の歯車が、いくら何でも狂いすぎだ。
 歯車の歯が根こそぎ欠け、ただの輪になってどこかに転がって行ったに違いない。

 だが、ステラはへこたれなかった。
 どうせ実家に戻ったところで、継母に虐げられて、新たなスケベおやじとの婚姻を待つだけ。
 ならば平民として生きていく方が、明るい未来があるというもの。

 王都の治癒院で薬師として働くようになり、ステラも二十二歳になった。
 貴族令嬢としても一般平民としても、そこそこの行き遅れ。

 正確には一度結婚しているので行き遅れという表現は正しくないが、要は女性としての魅力が減っていることに変わりはない。

 今更、顔がいい男性が何を言ったとしても、信用ならないだけである。



 一気に説明して喉が渇いたステラは、コップの水を飲み干す。
 結婚歴があり、即日未亡人になって殺人容疑までかけられた厄介な女だと、十分に伝わっただろう。

 それでも若くて美しいというのなら話が変わるかもしれないが、二十二歳は独身でも微妙とされ始める年齢だ。

 金髪に深緑の瞳というありふれた色彩に、悪くはないが褒め称えるほどでもない容姿。
 加えて伯爵だという青年に対する、この失礼な物言い。

 何かの賭けか、気の迷いか、あるいは占いか何かを信じたのか知らないが、これで自分の過ちに気付いてくれることだろう。


「すまない、話の順番を間違えた。俺は……呪われているんだ。君の力を借りたい」

 その一言に、ステラはコップを置いてため息をついた。
 なるほど、やはりステラが魔法を使える――魔女であることは知っているらしい。

「魔女に解呪してほしいという気持ちはわかりますが、あいにく、私はそういう技能を持ち合わせていません。解呪方法を探すお役には、立てないと思います」

 この世界には魔力を持つ者がいて、それを行使するものを魔法使いや魔女と呼ぶ。
 呪いもまた魔力が源であり、魔法との違いは有害か無害かという点だった。

 同じ魔力を扱う者と言われても、魔法の種類は個人差が大きいし、解呪は更に特殊なので限られた者にしかできない。
 少なくとも、ステラには無理である。

「呪いをかけた魔女には既に接触して、解呪方法も知っている。……だが、どうしてもその方法は不可能なんだ」

 伯爵に呪いをかけたのに接触された魔女の安否は多少気になるが、聞いてもいいことはなさそうなので聞き流そう。
 とにかく、グレンは正規の解呪を諦めているのだから、残る可能性はひとつだ。

「ならば、魔力による中和ですか? 確かに多少の改善を期待できるかもしれませんが、何せ時間と手間がかかります。毎日治癒院に通っても足りないくらいです」
「わかっている。だから、君に結婚を申し込んだ」

 それはつまり、タダ働きしろということだろうか。
 それにしたって平民の、それも行き遅れの年頃の女を、一時的だとしても妻に迎えようとするとは。
 グレンの呪いというのは、それほどまでに酷いものなのか。


「……それで、かけられた呪いは何ですか?」
 改善策を練るというのなら、当然知るべきだと思って聞いてみたのだが、グレンの眉間には皺が寄っていく。

「すまないが、今は言えない。命の危険はないし、君に害を及ぼすこともないと思う」
「そうですか」

 最重要事項を隠されるのは気分的にも魔女的にも困ったものだが、人には言いたくないことのひとつや二つはある。
 日頃、深い悩みを抱えて秘密と共に生きる顧客を間近で見ているステラは、それ以上の追究をやめた。

「何にしても、私に利点はありません。申し訳ありませんが、他の方を当たってください」

 呪いの中和だけなら、魔法使いであれば誰でも問題ないはず。
 治癒院にも数名の魔法使いが在籍しているし、伯爵ならば優秀な人材を長期間雇うことも可能だろう。
 そう思って席を立とうとすると、グレンがそれを手で制した。

「ステラ・ナイトレイ。君が『ツンドラの女神』の二つ名を持つ魔女だと聞いた。普通の魔法使いよりも中和できる可能性が高いだろう。それに、君にも利点はある」

 ……やはり、その名を知っていたか。
 公爵の紹介なのだから、当然と言えば当然だ。

 それにしても利点とはなんだろう。
 まさか美貌の伯爵と結婚できるとか言い出さないだろうなと警戒していると、グレンは不敵な笑みを浮かべた。

「――王立図書館の閲覧権」
 その一言に、ステラの肩がぴくりと動く。

「薬師として勉強するのに、それが欲しいらしいな。貴族籍に入らねば無理だが、一年の婚姻期間を経ていれば、離婚後に貴族籍から外れても特例で閲覧は可能だ。……貸し出しは不可だが、それでも平民のままよりはいいだろう」

 ……侮っていた。
 一撃でステラの急所を突くとは、なかなかの手練れである。


 ステラは『ツンドラの女神』の二つ名を持つ魔女だ。
 不毛の地にも救いをもたらすという意味らしいが、別に聖女とか神々しいという意味ではない。

 ステラの魔法の効果は、毛にまつわるもの。
 不毛の地というのは文字通り毛の無い所という意味であり、いわゆる薄毛……ハゲのこと。
 そこに救いをもたらす魔力とはつまり――毛生え薬、なのだ。

 ほぼハゲ治療専門の魔女のステラは、その内容と顧客からして秘密厳守という面倒な状態だ。
 平民としてひとりで生き抜くには、普通の薬師としての腕を磨く必要がある。

 だが勉強するには大量の本を自分で買い揃えるか、誰かに弟子入りするか、王立図書館で勉強するしかない。
 ステラに師匠はいるが旅に出たまま戻る予定もわからないし、彼女も魔女なので薬草に関する蔵書は乏しく、当てにならない。

 閲覧権は貴族にしかないので院長の知人である公爵に付き添ってもらったこともあるが、その度に愛人かとささやかれ、平民がと蔑まれ、公爵にも迷惑をかけてしまっている。
 それをステラひとりで閲覧できるようになるというのは、願ってもない好条件だった。


「私は平民ですし、結婚歴もあり、評判もいいとは言えません。伯爵にとっては結構な足枷になると思いますが」

「そのあたりは、ひとめぼれだと言って言いくるめる。多少、夜会や演技に付き合ってもらうが、君にそれ以上の妻としての責務を負わせるつもりはない。閲覧権が手に入るまでの一年、屋敷に住み込みで中和業務をするのだと思ってもらえば十分だ」

「一年後、確実に離婚していただけますね? その際に閲覧権を取り上げたりしませんね?」
「もちろん」

 正直に言えばグレンを信用できないが、紹介した公爵のことは信頼している。
 ここは一度、信じてみるしかない。

「いわゆる白い結婚の契約だと思ってよろしいのですね」
「ああ。部屋は別に用意するし、当然寝室も別だ。使用人は事情を知っているから、屋敷の中では演技も必要ない」

「仕事は続けますよ」
「必要な場には一緒に出てもらうが、それ以外は今まで通りに過ごしてもらってかまわない。もちろん、中和業務に関する手当ても支払う」

 嘘があれば見抜こうとグレンをじっと見つめるが、紅玉の瞳に陰りはない。
 これだけの身分ある美青年ならばステラに手を出す必要もないだろうから、安全極まりないとも言える。


「――ステラ・ナイトレイ。俺と結婚してくれないか」

 貴族の男性は、信用ならない。
 だが、生き抜くためには閲覧権が必要だ。
 ステラは覚悟を決めた。

「わかりました。その提案、お受けします」
「――本当か! ありがとう!」
 グレンは瞳を輝かせて立ち上がると、ステラの手を握りしめる。

「……必要以外の接触は、お控えください」
「ああ、すまない。断られるかと思って冷や冷やしていたんだ」

 すぐに手を放しながらも微笑むグレンをみて、ステラは感心した。
 なるほど、妙齢の美青年の笑みは爆弾だ。
 乙女心が存在していたら、瀕死だったかもしれない。
 既に消えていて良かった。



 話がまとまって二人で部屋から出ると、治癒院の入り口がどうも騒がしい。
 何だろうと近付いてみれば、ひとりの貴婦人がステラを見つけて険しい顔で睨みつけた。

「あなたがステラね? ひとの夫に手を出して、ただで済むと思っているの――⁉」

 絶叫と言っていいその言葉に、ステラは深いため息をついた



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新連載開始します。
完結まで早めの更新予定です。

ベリーズさんのスタンダードは少なめ文字数・ページ多めのようですが、話がブツ切りになるので1話2000〜3000文字前後になります。
良かったら本棚に入れてあげてください。
m(_ _)m


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