【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
46 妻を探すのは
 グレンの声だと気付いて返事をしようとするが、ステラを押さえていた男性に手で口を覆われたために声を出すことができない。

 無我夢中でもがいていると、ステラの目の前にバサッと髪の毛の束が落ちる。
 どうやら男性の方には魔力が抜け毛に作用したらしいが、小さく悲鳴を上げつつも、腕は緩まない。

 意外と仕事に忠実な男性に苛ついていると、どうやらイヴェットの髪は落ち着いたらしく、くるぶしまで伸びた前髪を必死にまとめていた。

「――ステラ⁉」
「な、何でしょうか。人違いでは?」
 イヴェットは少し声音を変えて扉の向こうのグレンと会話している。

 何故ここにグレンがいるのかはわからないが、さすがに見ず知らずの女性がいると思われる部屋に押し入ることなどするはずもない。
 ほどなくしてグレンは部屋の前から立ち去り、イヴェットがほっと息をついた。

 グレンがここに来た理由はわからないが、何にしてももういない。
 とにかく、一人でどうにかここから逃げなければ。

 扉の前にはイヴェットがいるし、距離がある。
 となれば、逃げるなら窓か。

 男性の毛根を一気に死滅させて髪を削ぎ落せば、少しは隙ができるだろう。
 ステラが窓に視線を向けると、ちょうど窓の向こうから黒い影がするりと室内に入ってくる。

 気配に気付いたらしい男性がステラの口から手を放して振り返るが、そこにいたのは毛並みの綺麗な黒猫だった。


「何だ、猫か。驚かせやがって」
 舌打ちする男性に構わず、黒猫はとことこと歩いてステラの前にやってきた。

 艶のある美しい毛並みに、赤い瞳。
 馴染みのあるその姿に、ステラの深緑色の瞳が見開かれた。

「……シュテルン?」

 その呟きに、黒猫は尻尾を振って応える。
 床に落ちて無残な姿になったネックレスをちらりと見たかと思うと、黒猫はステラの鼻をぺろりと舐めた。

 次の瞬間、体を押さえつけていた力が消えたと同時に、男性が床に倒れ込む。
 少し遅れて、髪の毛の束が後を追って床に散った。

「……グレン様」
 その名前を呼ぶと、黒髪の美青年は床に寝たままのステラを素早く抱き起こし、そっと頬を撫でる。

「ステラ、大丈夫か?」
 もう二度と見ることはないと思っていた紅玉(ルビー)の瞳に見つめられ、不覚にも涙が浮かびそうだ。


「――ウォルフォード伯爵⁉ いつの間に」
 ステラが返事をするよりも先にイヴェットの声が響き、倒れていた男性がよろよろと体を起こした。
 動きに合わせて髪が落ち、男性が小さな悲鳴を上げている。

「一体どこから入ったの? それに、何をしに来たのよ」
「妻を探すのは当然だろう。お前たちこそ、俺の妻に何をしている」
 じろりと睨まれて怯む様子はあるものの、イヴェットは何故か喜色を浮かべ始めた。

「何だ、まだ伯爵夫人じゃない。それなら……」
「――動くな」

 一転して媚を売るような声音で近寄ろうとするイヴェットを、グレンの鋭い声が制した。
 気圧されて動けずにいる二人に構う様子もなく、グレンはステラの手を取ると背を支えながら立たせ、そのまま肩を抱き寄せた。

「亡きモンクトン伯爵にステラとの縁談を勧めたのは、おまえらしいな」
「な、何のこと? あちらがステラを見初めたのよ?」

「おまえがつくった借金を清算するのに、金髪の若い娘が好きなモンクトン伯爵にステラを紹介したんだろう? 弟の現モンクトン伯爵が証言している」

 初めて聞いた話に、思わずグレンとイヴェットを交互に見てしまう。
 借金のかたにスケベおやじのモンクトン伯爵との縁談が持ち上がったのは知っていたが、まさかそもそもステラを紹介したのがイヴェットだったとは。

 家のために嫁に行ってくれと言っていたのは、自分が仕組んだことだったのか。
 衝撃と怒りと混乱で何も言えずに拳を握り締めるステラの肩を、グレンが更に引き寄せた。


「そ、それが何? 娘の縁談を世話しただけじゃない」
「ならば、おまえの娘も社交界デビュー前におまえよりも年上の、離婚歴が数回ある男に嫁がせようか?」

 イヴェットは言葉に詰まるが、それは当然だろう。
 普通に考えれば、子供をそんな目に遭わせたいはずがない。

 それはつまり、イヴェットと父にとってステラはその程度の存在だったということ。
 今更どうでもいいと思っていたが、こうして事実を突きつけられれば、それなりに心の奥が痛んだ。

「しかも、死別後にモンクトン伯爵家から支払われた慰謝料を一切渡すこともなく、ステラを勘当して家を追い出した。その慰謝料もすぐに使い切り、また借金まみれらしいな。この上、ステラを利用しようとは、自分勝手もいいところだ」
 グレンが吐き捨てるようにそう言うと、部屋の外が騒がしくなり、扉の鍵を開ける音が聞こえる。

「今回の件は、ウォルフォード伯爵夫人への狼藉として、しっかりと裁きを受けてもらうぞ」
 扉が開け放たれると、そこには宿の主人の他にフレッドと騎士のような男性の姿まであった。

「あなたは、モンクトン伯爵のご子息の……?」
 イヴェットに声をかけられたフレッドは、眉間に深い皺を刻んでいる。

「俺がステラさんのことを確認したせいで、存在を知られ。妹が唆されて所在を知られた。命の恩人のステラさんに対して、本当に申し訳ないことをしてしまいました。……慰謝料が貰うべき人に渡っていないというのは、モンクトン伯爵家としても大変に不本意です。そのあたりもしっかりと、追及させてもらいますよ」

 フレッドが目配せをすると、騎士二人が室内に入り、イヴェットと男性を取り押さえる。
 騒ぐイヴェットと男性を連れ出すと、フレッドは一礼して部屋の扉を閉めた。
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