【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
7 夜の闇と不埒な猫
「ドレスは着るのも大変ですが、脱ぐのも大変なのですね……」

 ウォルフォード邸に到着したステラは、使用人に手伝ってもらい、ドレスから普段着に着替えた。
 窮屈だったコルセットを緩められた瞬間には思わず吐息がこぼれ、使用人の女性達が笑う。

「こんなドレスを着て笑顔で踊れなんて、貴族というものは大変ですよね」

 同じくらいの年頃の女性がそう言ってくれたおかげで、かなり気が楽になる。
 貴族ではない上に親し気な態度なのだから、ありがたいばかりだ。

 その後は女性達と話をしながらドレスを脱いで、結った髪を解く。
 屋敷を訪れた時と同じ格好に戻る頃には、すっかり疲れ切って椅子に座ったままため息をついていた。

「今日はお疲れでしょう。紅茶をご用意しますので、少しお待ちくださいませ」
「いいえ、そんな。ご迷惑をおかけするわけにはいきません。すぐにお暇しますから」

「少し休んでから帰すよう、旦那様からも指示されておりますので」
 そう言うと、使用人達は笑顔で退室してしまった。

 グレンの指示だというのなら、ここで無理に帰っては彼女達にも迷惑が掛かる。
 馬車で送ってくれると言っていたし、紅茶を飲むくらいの時間なら問題ないだろう。

 ステラは椅子から立ち上がると、そのままバルコニーに出る。
 髪を揺らす夜風はひんやりとして気持ちが良くて、目を閉じると深く息を吐く。
 澄んだ星空をぼんやりと眺めていると、にゃーんという可愛らしい声が耳に届いた。

 庭に猫でもいるのだろうか。
 それにしては声が近い気がする。

 きょろきょろと辺りを見回すと、バルコニーと部屋の境界にちょこんと座った黒猫がいた。
 その姿を見たステラは知らず、息をのんだ。


「……可愛い」

 真っ黒な毛は夜の闇よりも深く、黒猫にしては珍しく赤い瞳をしている。
 ウォルフォード邸で飼われているのか、それともどこからか迷い込んだのか。

 何にしても、とりあえずひと撫でしたくなる素晴らしいモフモフ具合である。
 ステラは恐怖感を与えないようにその場にしゃがんで、視線を低くした。

「猫さん、おいで」

 そう言って手を差し出すと、黒猫は暫し考えた様子だったが、やがてとことこと近寄ってきた。
 足元までやってきた黒猫は、愛らしい瞳でステラを見上げる。

 もはや、ぬいぐるみ。
 ただの天使――。

 本能に逆らえずにそのまま頭に触れるが、黒猫はおとなしく撫でられている。


「人慣れしているし、お屋敷で飼われているのでしょうか」
 となると、少し踏み込んだ接触も可能かもしれない。
 欲望を押さえられずに黒猫を抱き上げると、一瞬力が入ったものの、やはりされるがままだ。

 なんという、ラッキーモフモフ。
 ステラは黒猫を抱っこすると、何度もその毛を撫でる。

 ふわふわと柔らかい手触りの毛は、絹糸のように滑らかに輝きを放つ。
 あまりの艶に毛というよりも宝石のように見える美しさに、うっとりと見惚れてしまう。

 日頃乏しい毛髪の男性ばかり相手にしているせいか、モフモフとした豊かな毛に惹かれて仕方がない。
 もともと好きだったこともあり、今や猫は可愛くもありがたい至高の存在だ。

「駄目です。我慢できません。――失礼」

 一応の礼儀として一声かけると、ステラはその背中の毛に顔をうずめる。
 顔中ふわふわモフモフに包まれながら深呼吸すると、お日様の匂いがステラの鼻を幸せに導いた。
 
「はあ……可愛い。気持ちいい。尊い。幸せです……」

 心ゆくまで撫でたり顔をうずめているが、やはり黒猫はじっとして動かない。
 相当人に慣れているし、撫でられるのが好きなのだろう。

「私、このお屋敷で一年間働く予定なのです。よろしくお願いしますね」
 今更ながら挨拶をすると、黒猫の耳がピクリと動き、赤い瞳がステラに向けられた。

「本当に綺麗な目ですね、美人な猫さん。撫でさせてくれてありがとうございます。……おかげで、ちょっと疲れも取れました」

 窮屈なドレスに初めての夜会、不躾な眼差しに晒され、嫌味を言われる。
 予想通りとはいえ、疲労するのは仕方がなかった。


「ステラ様? こちらにおいでですか? ――その猫、は」
 先ほどの女性がバルコニーに顔を出すと、ステラの腕の中の黒猫を見て表情を変えた。

「お屋敷で飼っている猫ですか? とても可愛いですね」
「え? いえ、その、はい。それよりも、紅茶の用意が出来ましたので、どうぞ」

「ありがとうございます。……この子は、どうしたらいいでしょうか」
「では、不埒な猫は私が預かります」
「不埒?」

 よくわからないが、このまま外に出していては寒いだろう。
 女性に猫を手渡すと、そのまま室内に入って紅茶をいただく。

 背後で「どういうおつもりですか」と女性が猫に詰め寄っていたが、バルコニーに出たのがそんなに問題だったのだろうか。

 確かに、室内飼いの猫ならば外に出れば足が汚れるだろうし、心配するのも無理はない。
 どうやら大事にされているようだし、いずれ住み込みで働く際にも、たまには撫でさせてもらえるかもしれない。

 楽しみが出来たことで微笑みながら紅茶を飲んでいると、黒猫を小脇に抱えた女性が何故か頭を下げてきた。


「ステラ様。私は旦那様の乳兄妹のシャーリーと申します。何かあれば、遠慮なく申し付けてください。旦那様と言えど、問題行動があれば鉄槌を食らわせますので」
 急な報告からの謎の提案に、ステラは目を瞬かせる。

「ええと。……多少、ひとめぼれ設定がやりすぎな気もしますが、今のところ問題行動はありませんので大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」

「そうですか、わかりました。では、私は不埒な猫を片付けてまいります。馬車の用意が出来ましたらお声を掛けますので、ゆっくりとおくつろぎください」

「は、はい」
 片付けるって何だろうと気にはなったが、シャーリーの笑顔で何も言えなくなり、そのまま見送る。

 何にしても、今日は一日疲れた。
 ステラは大きなため息をつくと、いい香りの紅茶にそっと口をつけた。
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