僕を、弟にしないで。僕はお義父さんの義息子になりたい
一章 紫月さんは俺の、神様です。

「疫病神の分際で、睨んでくんじゃないわよ」
姉ちゃんに首を掴まれ、洗面器に顔をおしつけられる。 首から手が離れたと思ったら、顔に水を滝のような強さでかけられた。

「ねっ、姉ちゃ……ゴホッ、ゴホゴホっ!?」
冷たい水を顔に浴びせられて、体温がどんどん奪われていく。

肌にあたって弾けた水が両目を、口の中を、鼻の穴の中を、 耳の穴の中を弄くり回す。水の圧に押しつぶされて、目を瞑りたいのに瞑れない。叫びたいのに、喉仏が潰れて声が出ない。息をしたいのに水で鼻と口を塞がれて、呼吸困難に陥る。ゴホゴホという海で溺れたような音と水の音だけが耳に響いて、それ以外にはなんの音も聞こえない。

目頭が熱くなったが、涙が出ている実感がいつまでたっても湧いてこない。涙が出た瞬間に流されているからそうなっているのか、目の感覚がないからそうなっているのかどうかも、判断できない。

今すぐにでも逃げなきゃ窒息で死ぬ可能性だってあるのに、恐怖のせいか足が一ミリも動かない。足だけじゃなくて、腕も指も全然動かせない。
これじゃあまるで、壊されるのを受け入れている人形みたいだ。いや、さながら壊れたロボットか?
自分をひにくってみても、身体が動く気配はない。

**
「あ」
 夜の十時だ。
 俺は鞄を肩にかけると、机の上にあったバインダーを手に取って部屋を出た。

 俺は部屋のドアを閉めると、レジに向かった。
 レジには、男女の店員が一人ずついた。

 男の店員は外ハネの黒髪が特徴的で、身長が百八十くらいある人だ。名前は確か、紫月義勇(しづきぎゆう)とか言った気がする。
 胸にある名札を見ると、本当にそう書いてあった。……名札を見る度に思うけど、本当に変わった名前だよな。

「……会計お願いします」
 俺は女性店員にバインダーを渡した。
「いつもありがとうございます。六時間で、千百円になります」
「これで」
 俺はズボンのポケットから財布を取り出すと、そこからお金を取り出して、店員に渡した。
「はい、千百円ちょうどお預かりします。こちらレシートです。ありがとうございました」
「……どうも」
 店員にお辞儀をしてレシートを受け取り、財布をポケットにしまう。

 俺は重い足取りで、店の出入り口まで歩いた。

 はあ。

 家に帰りたくない。
 なんで高校生は漫画喫茶に夜の十時までしかいれないのだろう。
 そんな法律、なければいいのに。

「これで四年連続の来店ですね。何かあるんですかね、あの子まだ高校生なのに、中学生の時からずっと、毎日こんなところにきてて」
 背後から視線を感じて少しだけ後ろに振り向くと、女性店員が俺を見ながらそんなことを言っていた。
 俺はつい眉間に皺を寄せて女性店員を見た。
 ガッツリ聞こえてるんだけど。別に悪口とかじゃないからいいけど、せめて本人が店出てから言えよ。
「鈴香、デリカシーなさすぎ。蓮、ごめんなうちのアホ社員が」
 紫月さんが、女性店員の頭を軽く叩いた。
 いいな、仲良さそう。
「……別にいいですよ、事実ですし」
 そう言う、俺は作り笑いをした。
「……蓮、明日もくるのか?」
 紫月さんが首を傾げて聞いてくる。
「……はい。それじゃ、失礼しますね」
 そう言って、俺は漫画喫茶を出た。
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