エリート獣医師の海知先生に恋をして
第四章 エリート獣医師の罪の意識
 今ごろの季節は熱中症に皮膚病、食中毒と、この時期特有のいろいろな症状で来院してくる。

 スギ、ヒノキ、イネ科の花粉症まであるんだよ、まるで人間みたい。

 おなじ哺乳類だからあるよね、ほとんど体の構造がいっしょだし。

 問診を終わらせ、ケアステに行ったら「新規だろ。なんだって?」って、海知先生が立ち上がろうとした。

「オーナーが『うちのクウ太郎は、女医さんじゃないとダメなんです』って」

「そいつは困った。あいにく、うちには女医はいない、男ばっかりだ」

「ねえねえ、海知くん、いつから目が悪くなった?」
「泉田先生なら、おわかりでしょ、僕流の冗談ですよ」

「クリップ入れにあるクリップ、ぜんぶつないで入れておくからね」

「それは、みんなに迷惑ですよ、地味にイラッとさせますし」

「だったら、海知くんの赤と黒のボールペン、中身の芯だけ入れ替えておく」

「ずいぶんと地味な仕返しを考えますね」

 海知先生が、私の顔を見上げてきた。
「それで、なんだって? 犬だよな?」
 
「シュナです。『クウ太郎は鼻風邪だから、鼻の掃除と治療をしてもらいにきました』って」

「鼻風邪だなんて、オーナーは先入観もほどほどにしないと。診断は俺たち獣医がする」

「ねえねえ、海知くん、クウ太郎は子犬だよ。風邪は子犬の専売特許」
「どうして決めつけるんですか?」
「赤ん坊」
「あああ、感冒とかけたんですね」

 海知先生、さらりとかわした。

「違う、洟垂れ(はなたれ)小僧だから、まだ子犬だよ」
「ほんと、泉田先生って負けず嫌いですよね」
「海知くんは勝ちず嫌い」

「具体的な症状は鼻だけか?」
 海知先生が、泉田先生の言葉を華麗に聞き流して、私に質問してくる。

「実家の犬だから、よくわからないって。鼻のことしか言わなかったです」

「オーナーさんよ、頼むから状態のよくわかる人が連れてきてくれよ。それか、家主に詳しく聞いてきてから来院してくれよ」

「診察に三年ぐらいかかりそう。私、診察室出てくるころには、二十五歳になってるわ」

「泉田先生は、よく獣医になれましたね。計算、間違ってますよ、著しく」

「ねえねえ海知くん、著しくはよけい」
「二十五になる前に、早く診察してきてくださいよ」

「あ、馬鹿にした。海知くんは、クウ太郎の鼻水を吸ってあげる刑」

「今の根にもってるんですね」
「海知くんが、女装してクウ太郎の診察」
「さっきのも、まだ根にもってるんですね」
「じゃあね、診察エンジョイしてくる、女医なだけに」
「はい、僕の分まで楽しんできてください」

 泉田先生が診察に入ったと同時に、美丘さんから次の問診で呼ばれた。

 リッシュというラフコリーの男の子が、フィラリアの薬を処方してほしいって。
 今の時期の仲秋は、フィラリアの薬でも大混雑する。

 海知先生に入ってもらったら、『コリー系は薬に弱い体質だから、一番弱い薬を処方しますね。効き目はおなじです』って。

 このオーナーも、次回の診察からは、海知先生を担当医にって、指名してくるだろうな。

 犬種別に、体質や気質や癖を理解している海知先生に、全幅の信頼を寄せたのがわかる。

 リッシュのフィラリアの薬を用意していたら、入り口から元気な声が聞こえてきた。  
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