「音っていえば、いつも行く風呂屋のじいちゃんも、ベンベンって何か音出してるな」
「あ、チーちゃんもそれ知ってる」
 私の家からも、ユウちゃんの家からも歩いて3分程度で行けるところに、「愛宕の湯」という銭湯があって、そこの番台に座っているおじいさんは、いつも三味線を弾きながら店番をしていた。私が小学2年か3年のときには、それでテレビに出たこともあった。
 うちには風呂はあったが、風呂好きだった祖母は、大きいお風呂にゆったり浸かりたいとき、よく私をそこに連れていってくれた。

「あの風呂屋、おもしれーんだよな。大きい山の絵が描いてあんの」
「え?うそだー。おうちの絵だよ。『ハイジ』とかに出てくる」
 当時、テレビまんが(アニメーション)の『アルプスの少女ハイジ』が大好きで、毎週楽しみに見ていたが、ハイジがアルムおんじのところに行く前に住んでいた街で、ああいう家がいっばい出てきたなあと思って銭湯の壁面を見ていた。

「男のと女のとで違うのかもな。
 オレがいつも見てるのは山のだぞ。上が白くて、下が青いやつ」
 その銭湯は既に取り壊され、跡地にマンションが建ってからさらに年月が経っているので、今さら確認しようもないのだが、多分ユウちゃんの言っている「白と青の山」は富士山だったのだろう。今になって思うが、私も「銭湯で富士山」の思い出が欲しかった。
 銭湯はそこのほかにも二つ三つ行ったことがあるが、全く別の絵だったり、絵など全くなかったりして、富士山なんて都市伝説ぐらいに思っていたからだ。

「ところでさ、『ハイジ』って何だ?」
「え、ユウちゃん知らないの?アルプスのお話」
「アルプス?」
 そういえば、ユウちゃんの家にはテレビがなかった。
 正確に言うと、あるにはあったのだが、酔っぱらったお父さんがブラウン管を固いものでたたき割った後、そのまま放置されていたようだ。

 ユウちゃんが普段触れているものについてちょっと話を聞いただけで、かなりハードな生育環境が想像されるのだが、ユウちゃんはいつも(ちょっと口が悪くて)優しくて、いつも笑っていた。