心の刃 -忠臣蔵異聞-
第20章 討ち入り


 浪士の集合場所は、所林町五丁目・堀部安兵衛宅と、本所徳右衛門町一丁目・杉野(すぎの)十平次(じゅうへいじ)宅、本所相生町ニ丁目・前原伊助の宅の計三カ所であった。
 他の二カ所に集結していた浪士たちが、吉良邸近くの米屋の前原伊助の宅に続々と集結する。 
 そこへ、内蔵助の叔父である大石(おおいし)無人(むじん)が息子/三平(さんぺい)を伴い現れる。この大石無人という人物は、内蔵助の曽祖父/良勝(よしかつ)の弟の子でかつて赤穂浅野家に仕えていた。
 多都馬と同様に内蔵助等、浪士たちの討ち入りを陰で支えていた。
「内蔵助!助太刀に参ったぞ。」
 無人は、鼻息も荒く興奮しているようだった。
 他の浪士たちは無人の勢いに圧倒され目を丸くしていた。
 無人は、内蔵助等浪士たちを見渡し大いに満足している様であった。
 しかし、討ち入りの同志の中に多都馬がいないことに気付く。
「内蔵助、多都馬の姿が見えぬが如何した。」
「叔父上。多都馬殿は身内ではござらん。多都馬殿も、それを承知故に姿を現さぬのでござりましょう。」
「何を水臭いことを。多都馬は身内も同然ではないか。」
「いいえ。」
 内蔵助は無人に向かって静かに答えた。それは無人にとって以外な言葉だった。
「多都馬殿は叔父上同様に我等に御助力頂いた大恩人ではありますが、赤穂藩士ではござりません。」
 内蔵助の言葉に眉を顰《ひそ》める無人であった。
「叔父上。それは叔父上とて同じこと。」
「な…何じゃと!」
 無人は内蔵助の言葉に驚き目を丸くする。
「叔父上の数々の御助力は有り難く存じております。しかしながら、討ち入りに際し他家から助勢されたとわかれば、我等赤穂藩士は後の世の笑いもの。ここは我等だけで討ち入りいたしとうござります。」
 内蔵助の決意に返す言葉も見つからないが、気持ちが収まりきらない無人は不機嫌そうに顔を背ける。
「しかしのぅ・・・。」
「父上。内蔵助殿の申すこと道理でござる。」
 側に控えている三平は、内蔵助の言葉を聞き入れて答えた。
「しかし、吉良邸外なら問題ないと存じます。外は天下万民の往来する場。これにて吉良の残党もしくは上杉勢をお相手仕ればよいと存じます。」
「おぉ、そうじゃな!内蔵助、これならば文句はあるまい!」
 無人は、三平の言葉に気持ちを高揚させる。
「叔父上には、敵いませぬな。」
「上杉の手勢は、我らに任せい!」
 無人は三平の言うことに従い、内蔵助を納得させ外へ出て行った。
 内蔵助は一同集結したことを確認し、各々の持ち場を言い渡すことを伝えた。
参謀格の原惣右衛門が指示を出す。
「表門。大将、大石内蔵助。裏門。大将、大石主税。」
 各持ち場が告げられ浪士たちの顔が一段と高揚している。
四十七人の浪士たちは、装備を固め米屋から吉良邸に出発した。

            二

 しんしんと降っていた雪も止み、静けさが一段と増す夜中。
 右源太の配下の者たちも、赤穂浪士たちの動向を監視するため吉良家屋敷隣の豆腐屋に潜んでいた。
 監視宿となっている豆腐屋に一人の男が走り込んでくる。
「赤穂浪士討ち入り!」
「確かか!」
「堀部安兵衛宅を監視していたところ、鎖帷子を着込み出て行きました。」
「わかった!お頭へ知らせに参るぞ!」
 軒猿たち五名が次々に出て行き、上杉家下屋敷に向かった。
 ところが行く手を遮る男の影を捕らえ、軒猿たちは立ち止まった。
「何者!」
 行く手を遮っていたのは、柳生又八郎だった。
「何者かなどと、そんなことはどうでもよい。」
「邪魔立てすれば斬る!」
「やってみよ。」
 又八郎が静かに刀を抜いた。
 軒猿の一人が又八郎の肩口に斬りかかるが又八郎は体を(ひね)り、やや遅れ気味に剣を振り下ろす。
 軒猿の一人が腕から手の甲を斬られて、地べたをのた打ち回る。
「柳生新陰流・合撃?…貴様、柳生の手の者か。」
「ほう・・・さすがは軒猿。ワシの剣が分かるか。」
 相手が只者ではないと知るや否や一斉に応戦の体制をとる。
「左様、上杉に軒猿がいるように柳生にも裏がある。」
 又八郎が言い終えぬうちに、四方から軒猿たちに向かって手裏剣が飛んで来る。次々と軒猿たちに突き刺さる。又八郎は、裏柳生を率いて江戸まで来ていた。
 一人が身を挺して又八郎に斬りかかる。
「早く、お頭のところへ!」
しかし、一瞬にして斬られてしまう。
 残りの三人も一人を残すため盾になり又八郎に斬られる。
 又八郎は、逃げたもう一人の背中に小刀を投げた。
「一人、逃したか・・・。」

             三

 同じころ吉良邸では、これから起こる討ち入りなど想像も出来ぬ程静かな夜を過ごしていた。前日より降っていた雪も止んでいた。
 しかし、火事装束に身を包んだ四十七人の集団が吉良邸表門前に音を立てずに集結する。大石内蔵助率いる赤穂の浪士たちであった。
 内蔵助は、采配を大きく振って裏門隊の大将/主税に命令する。主税は、内蔵助からの指示通りに隊を率いて音を立てずに裏門へ向かう。
 原惣右衛門が「浅野内匠頭家来口上書」を上包して箱に入れ、青竹に挟んで吉良邸の玄関前に立て置いた。
 それまでの静寂は赤穂浪士たちの討ち入りの声でついに打ち破られる。
 表門隊で最初に梯子を上って邸内に侵入したのは大高源五と小野寺幸右衛門であった。
 大高が飛び降りざま名乗りを上げる。
「元赤穂藩士金奉行・大高源吾忠雄!推参仕る!」
 吉田沢右衛門と岡島八十右衛門もそのあとに続いて上って行く。
 原惣右衛門は勢い余ってか飛び降りた際に足をくじいてしまう。
 また神崎与五郎も雪で滑り落ちてしまうが半弓を使って戦っていた。
 表門隊は玄関に差し掛かり、玄関の戸を蹴破った。
 屋敷奥の寝所で寝ていた山吉新八郎が騒ぎを聞いて飛び起きる。
「来たか!大石っ!」
 隣室の小林平八郎も飛び起き、襖をあけて新八郎の部屋に入って来る。
「新八郎。来たぞ!」
「そのようだな。」
「新八郎。赤穂の者共はワシが引きつける。」
「馬鹿な、たった一人で無茶な。」
「その間に義周さまを!」
 平八郎は、新八郎にそう言い赤穂浪士の許へ走って行った。
「待てっ、平八郎!」
 新八郎は呼び止めたが、平八郎は義周を新八郎に託して行ってしまう。
 新八郎は支度を素早く整え、義周の寝所に向かった。
 
            四

 多都馬は三次浅野家の屋敷から帰宅後、眠らずに長兵衛たちの知らせを待っていた。
 今は前日からの雪も降り止んでいた。
 突然、店の戸を叩く音が聞こえる。
「多都馬様!多都馬様!」
 店の戸を開けると長兵衛が息を切らせて立っていた。
「討ち入りだ!とうとう討ち入りですぜぃ!」
 多都馬は既に身支度を整えていた。
 降り積もった雪により外は予想以上に冷え込んでいる。
 須乃と数馬も、起き出して来る。
「須乃!助勢に行って参る!」
「多都馬様!」
 須乃が走り出そうとしている多都馬を呼び止める。
「お帰りを・・・お待ちしています。」
 黙って頷く多都馬は、長兵衛と共に走って行った。
「多都馬様。どちらに向かっていらっしゃるんで?」
「一ツ目之橋だ!」
「両国橋じゃねぇんですか?」
「誰もが、両国橋を渡って来ると思うだろう。」
「はい。両国橋は吉良様のお屋敷に一番近い橋ですからね。」
 二人は、話をしながら走っている。
「ところがだ。米沢藩下屋敷は白金だ、向こうからは、一ツ目之橋が一番近い。軒猿たちは必ず一ツ目之橋を通って参る!」
「わかりやした!あっしは配下の者を・・・。」
 長兵衛が言い終えようとした時、多都馬が遮るように叫ぶ。
「ならん!相手は、上杉家忍軍の軒猿だ。来れば配下の者に死者が出る。」
「しかし、多都馬様だって御一人じゃ・・・。」
「ワシなら大丈夫だ。お主たちは、念のために両国橋を見張っておれ。」
「多都馬様!」
「よいかっ!頼んだぞ!」
 多都馬は、長兵衛に両国橋を頼み一ツ目之橋を目指して走って行った。

            五

 同じ頃、上杉家忍軍/佐治右源太は下屋敷の邸内で配下の報告を待っていた。
― 御前は、この時期に討ち入りはないと言っていたが・・・。しかし、そこを狙うのが兵法の極意。吉良様在住と分かれば、今日のような日こそ討ち入りの日として定める。―
 右源太は、平穏な時代故の生温い考えに苛立っていた。
 屋敷の庭先に物音がし障子戸を開ける右源太。
 庭には、背中に小刀が刺さったままの配下が倒れていた。
「・・・頭。」
 配下の者が息も絶え絶えになっていた。
「しっかりせい!」
 声に出そうとするが声が出ない。
「討ち入ったか!」
 息も絶え絶えに頷く配下の者。
「しまった!」 
 背中に刺さっている小刀を抜く。
「これは何者の仕業じゃ?」
「裏柳生・・・。」
 その配下の者は、そう言い残し息を引き取った。
「おのれっ!」
 右源太は急ぎ下屋敷内武者長屋に控えている、総勢三十数名に本所の吉良邸へ向うよう命令を下した。
「これより本所吉良様のお屋敷へ向かう。よいか、他の浪士たちには目をくれるな!狙うのは元赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助、ただ一人(いちにん)だ!時がない、急ぐのだ!」
 軒猿たちは、右源太の命令により一斉に走り出す。

             六

 裏門隊は、杉野十平次と三村(みむら)次郎左衛門(じろうざえもん)が掛矢で門を破る。一番に突入したのは横川(よこかわ)勘平(かんぺい)であった。横川勘平は三村次郎左衛門の次に軽輩だった。高禄の者が次々に脱盟していく中にあって先陣を切るというのは彼の意地だったのだ。続いて番人を倒したのは千馬(せんば)三郎兵衛(さぶろびょうえ)の半弓だった。
 堀部安兵衛は、野太刀を持って突入して行った。
 礒貝(いそがい)十郎左衛門(じゅうろうざえもん)が軽輩の者を捕えてろうそくを出させ、真っ暗だった吉良邸内を明るくした。
「ろうそくを出して灯りを灯すのじゃ。ぐずぐずするな!」
 飛び起きて広間からかけつけてきた番人三人と戦っている間、小野寺(おのでら)幸右衛門(こうえもん)が立て並べてある弓を発見した。
 そして、吉良家臣一人を斬り倒したあと、すぐに弓の方へ向かって弦を切って使い物にならないようにする。
 屋外警戒の任に就いていた不破数右衛門は、堪え切れず持ち場を離れ吉良邸内に突入して行く。
 吉良家の侍たちは、数右衛門の勢いに押されて二人、三人と斬り伏せられていく。
 邸内の庭で堀部弥兵衛が声高に何かを叫んでいた。
「五十人組は東へ回れ」
「三十人組は西へ回れ」
 弥兵衛のこの策は、あたかも百人以上の大勢が討ち入ったように吉良家臣たちを惑わせる。これが功を奏して武者長屋にいた吉良家臣たちは本当にその人数がいると信じ込み、ほとんどの者が恐怖で長屋から出てこなかった。
 さらに浪士たちは、長屋の戸を釘で打ち付け出てこられなくしてしまった。ところが、なかには長屋から飛び出してきた吉良家臣がいて奮戦したが、先に出てきた男を小野寺(おのでら)十内(じゅうない)が槍で倒し、もう一人は(はざま)喜兵衛(きへえ)が槍で倒した。
「喜兵衛殿。お手柄にございます!」
「なんの!早う上野介を探せ!」
 六十を過ぎた老体ではあったが、己を鼓舞してそう叫んだ。

             七

 橋に着いた多都馬は、暖を取るマントを羽織って仁王立ちで軒猿たちを待っていた。
 積もった雪のせいで遠くの足音までよく聞こえてくる。
 暫くすると雪に覆われた白い景色の中を、黒で固められた集団が徐々に近づいてくるのが分かった。
 暗闇の中を走ってきたのは右源太率いる軒猿たちだった。
「来たか。」
 一ツ目之橋にたどり着いた軒猿の行く手を多都馬が塞いでいた。 
 橋の中央に仁王立ちになっている多都馬を見て、軒猿たちは慌てて立ち止まる。
「上杉忍軍/軒猿よな?・・・。ひぃふぅみぃ・・・おぉ随分連れてきたのぉ。」
「黛多都馬か!」
 右源太が凄まじい表情で叫んだ。
「この橋、通ること(まか)りならんぞ!」
「こやつに構っている暇はない!行け!」
 多都馬の横を二人がすり抜けようとするが一瞬のうちに斬られる。
「罷りならんと申したはずだ。」
 次に三人組が跳躍して乗り越えようと構える。
 多都馬の「心の一方」が放たれ、仕掛けてきた三人組は体を硬直させる。
 身動きできなくなった三人は、造作も無く斬られてしまう。
「二階堂平法、心の一方。お・・・お主、いったい。」
 四人が二手に分かれて、多都馬の両脇を通り抜けようと走り出す。多都馬は、「心の一方」を両手から放ち左右に分かれた軒猿たちの動きを封じた。
「心の一方」に動きを封じられた軒猿たちは体勢を崩し次々に川に落下していく。手足をばたつかせ、三人組同様に水の中に沈んでいく。
 右源太は、多都馬の「心の一方」に恐れを抱いた。
 少しずつ後ずさっていく軒猿忍軍たちに右源太が指図する。
「退いてはならん!隊列を組んで一斉に斬りかかれ!」
 軒猿たちは多都馬の腕を見極め、戦い方を変えて迫ってくる。
 右源太の合図のもと、数名ずつ組んで上下左右と一斉に多都馬に斬りかかった。
 軒猿たちの刃が多都馬の頬をかすめる。
 刃をかわしながら繰り出す多都馬の「心の一方」に、軒猿たちは苦戦を強いられていた。。
「心の一方」と二階堂平法の斬撃で、軒猿たちの連携が崩れ次々に斃れていく。
 しかし、多人数で仕掛ける軒猿に多都馬の体力も奪われて疲労が見え始める。
 体力は奪われてはいるが、多都馬は一人ずつ確実に仕留めていった。
「なるほど…。多人数を相手に戦う二階堂平法、見事なものじゃ。しかし “心の一方”も多用すれば己の体力を奪うらしいな。多勢に無勢じゃ、お主に構っている暇は我々にはないのだ。観念するがよい。」
 奥義の多用で疲弊している多都馬へ、右源太が徐々に詰め寄って行く。
 多都馬は、力を振り絞り軒猿たちと応戦しているが次第に防戦一方になってしまう。烏合の衆とは違い、鍛練されている軒猿たちは多都馬を追い詰めていく。
― さすが、上杉だな。―

            八

 その頃、吉良邸では、赤穂浪士たちの奮戦が続いていた。
 悲鳴や怒号が入り混じり混戦状態になっている。
 その最中、義央と一学、利右衛門は隠れ部屋になっている炭焼き小屋を目指していた。
そして、台所まで三人は辿りつく。
「一学。そなたまで死ぬことはないぞ。隙を見計らい、ここから逃げるのじゃ。」
「殿の仰せの通りじゃ、ここからはワシがお連れする。」
 年若い一学を、義央と利右衛門は逃がそうと説得する。
「殿。私は、殿以外の主に仕える気は毛頭ありませぬ。」
「何を言うか!そなたはまだ若いのだ。こんな年寄りに付き合い死ぬことはない!」
「何を仰《おっしゃ》います。人の生き方、そして命とは、その長さではありますまい。私はそう思います。違いますか?」
「一学。」
「さ、我等で吉良の侍魂を赤穂の者共に見せてやりましょう。」
 一学の覚悟を見た利右衛門は、槍を畳に差して二人に背を向けた。
「一学。お主の覚悟、ようわかった。殿のことは任せたぞ。」
「利右衛門。」
「鳥居様」
「ワシがここで時を稼ぐ。その間に殿を行けるところまで、ご案内するのだぞ。」
「はい。」
「殿。殿のご意志とは違うござりまするが、家来としてただ殿をお渡しする訳には参りませぬ。最後まで殿に対する不忠をお許しください。」
「利右衛門・・・。」
「一学!行けっ」
「はい!」
 一学は義央を連れ台所を後にした。
 利右衛門は、台所の障子を閉め赤穂の浪士たちを待った。 

             九

 吉良邸内は、壮絶な修羅場と化していた。
 女中や茶坊主たち、中間や下男たちの悲鳴が邸内に鳴り響いている。暗闇の白刃煌めく中、恐怖で我先にと逃げ惑う。
 金右衛門の横を絹の衣をまとった者が茶坊主に囲まれ通り過ぎた。
― ん?左兵衛義周か? ―
 金右衛門の脳裏に浮かんだ。
 奥から義周を探す仲間たちの声が聞こえてくる。
「そこの者!絹の衣を取って顔を見せよ。」
 金右衛門が呼び止める。
「どうした聞こえぬのか?」
「下々の者にてご容赦を・・・。」
「馬鹿な、下々の者が絹の衣などまとうものか!」
 金右衛門は衣を剥ぎ取ろうと手をかける。
 絹の衣を翻し現れたのは、浪士たちを引き付けるため囮になっていた平八郎だった。
「来い!」
 平八郎は浪士たちの中に斬り込んでいく。
 平八郎の激しい撃剣に金右衛門の十文字槍が弾かれる。次第に平八郎が金右衛門を追い込んでいく。
 金右衛門らの斬り合いを見て浪士たちが平八郎を囲む。
「金右衛門!助太刀致す!」
 潮田又之丞が、苦戦している金右衛門等に声をかけた。
 平八郎は新八郎と並び屈強な剣士であったが、又之丞と金右衛門に続いて現れる浪士達に取り囲まれてしまう。
「これまでか・・・。」
 平八郎は、ささらのようになった刀を地面に突き刺し脇差を抜くと自分の腹に刺した。
 又之丞が平八郎に歩み寄る。
「介錯仕る。」
「かたじけない。」
 平八郎は又之丞の介錯で自身の生涯を閉じた。

             十

 奥田孫太夫は片岡源五右衛門と矢田(やだ)五郎右衛門(ごろうえもん)と共に屋内で戦っていた。
 右手に大太刀を構え障子を次々に開けると、利右衛門が槍を畳に突き刺して待ち構えていた。
「来たか赤穂の侍。待っていたぞ。」
 利右衛門の覚悟の表情に源五右衛門と五郎右衛門の二人が一瞬たじろぐ。
「ひるむなっ!」
 孫太夫が大太刀を上段に構える。
 利右衛門が畳から槍を抜いて中段に構える。
「参れ!」
 利右衛門が叫ぶと同時に孫太夫の大太刀が振り下ろされる。
 これを槍で受け止め、右から斬りかかって来る源五右衛門を柄でそのまま突く。
 源五右衛門が利右衛門の槍に突かれた勢いで後ろに吹き飛ぶ。
「やるな。」
 五郎右衛門は太刀でがら空きの左肩をめがけて斬りかかる。
 利右衛門はその太刀を槍で薙ぎ払う。
「名を聞こう。」
 孫太夫は、目の前にいる手練れの侍に名前を聞いた。
「鳥居利右衛門である。」
「鳥居殿でござるか。拙者、奥田孫太夫でござる。」
「おぉ。あの堀内道場の・・・。」
「いかにも。」
「これは、不足どころか余りあるお相手。出来れば一騎打ちと願いたい。」
「心得た。お相手仕る。源五殿、五郎右衛門、手出し無用!」
 利右衛門は槍を捨て刀に持ち変える。
 孫太夫は大太刀を引いて構え、利右衛門からは太刀が見えない。
 最初に動いたのは孫太夫だった。
 大太刀を下から斬り上げ利右衛門の太刀を跳ね上げる。
 孫太夫に跳ね上げられた太刀は天井に突き刺さる。利右衛門は、残る脇差を逆手で抜き孫太夫の胴をめがけて振り抜く。
 胴をめがけて来る利右衛門の刀を払い、勢いをそのままに頭を大太刀の柄で打つ。
 頭を打たれて昏倒する利右衛門を、孫太夫は袈裟掛けに斬る。
「お…お見事。」
 利右衛門は、最後にそう呟いて台所に倒れて行った。
「御免。」
 孫太夫は、倒れている利右衛門に一礼する。
 そうしている中、孫太夫と源五右衛門、五郎右衛門の三人めがけ一人の侍が斬りかかって来る。
 これには、源五右衛門と五郎右衛門の二人が対処して斬り伏せる。
「さ、参るぞ。」
「おう!」
 引き続き邸内探索に向かう三人だった。

            十一

 山吉新八郎は、義周を密かに逃がして邸内の庭にて奮戦していた。
 前原伊助が右から斬りかかるが新八郎は軽くかわす。
 これを見ていた近松勘六は左から斬りかかるが、新八郎は脇差を抜いてこれを防ぎ邸内の池に突き落とす。
 多勢の浪士たちを相手に新八郎は、池に掛かる橋に向かった。
 橋の中央に陣取った新八郎は、左右から来る浪士たちを二刀で防ぐ。
 浪士たちは新八郎の二刀に翻弄され苦戦を強いられていた。
「山吉新八郎!」
 安兵衛の声が邸内に響き渡る。
「堀部安兵衛か!相手にとって不足なし、参れ!」
「よいか。手出し無用だ!」
 新八郎を睨みながら仲間たちに叫んだ。
「お前たちは、その間に上野介を探せ!」
 安兵衛の言葉を合図に、新八郎を囲んでいた浪士たちが一斉に屋敷内に入って行く。
 互角の斬り合いを重ねるが、勝負がつかず両者とも膠着状態になる。安兵衛と新八郎は、じりじりと間合いを詰め寄る。
 その時、枝に積もっていた雪が地面に落ちた。
一瞬早く新八郎が動いて上段から斬りかかる。
しかし、安兵衛はそれを刀でいなして新八郎の体勢を崩す。
 持ち直そうとする新八郎の額を安兵衛は斬った。
 新八郎は、安兵衛との一騎打ちに敗れその場に昏倒する。
「止めを・・・。」
 新八郎は、息も絶え絶えに安兵衛に訴える。
「勝負はついた。」
 安兵衛は倒れている新八郎を残し、義央探索に向かう。
 その後の新八郎は、手当を受け存命し義周の生涯を看取った後に米沢へ戻る。

             十二

 一方、一ツ目之橋では多都馬と軒猿たちの戦いがまだ続いていた。
「心の一方」の多用で、さすがの多都馬も疲れが見えていた。防戦一方になった多都馬は、軒猿たちの刃を受けるだけで精一杯になっていた。
 多都馬の腕、膝から血が滴り落ちている。
「二階堂平法の遣い手とはいえ、たった一人で我等と相対するなど無謀というもの。」
 多都馬はよろめきながらも刀を構えた。
「我等も先を急ぐのだ。そろそろ決着を付けさせてもらうぞ。」
 右源太が配下に指図をした。
 すると気合い一線、大石無人/三平親子が多都馬の加勢に現れた。
 無人の投げた槍が軒猿三人を刺し貫いた。
 無人と三平の登場で連携が一気に崩れる。
 そして軒猿たちは、無人の槍と三平の刀に次々に斬られていった。
「多都馬!抜け駆けとはどういう料簡じゃ!」
 大石無人親子の後ろから、長兵衛たちが心配そうに顔を出す。長兵衛が両国橋で待っていた大石親子を連れて来たのだった。
「長兵衛・・・。かたじけない。」
 多都馬たち三人を相手に、軒猿の形勢は一気に劣勢になる。
 無人と三平は、次々に軒猿たちを斃していく。
「無人殿、三平殿。」
 三平が多都馬に駆け寄る。
 三平は疲弊していた多都馬の腕を取って体を支えた。
「多都馬殿。大事ないか。」
「かたじけない。」
 無人は槍を手に、軒猿たちを蹴散らしていく。
「三平!だから、ワシが一ツ目之橋がよいと言うたではないか!」
 無人と三平のおかげで、多都馬は窮地から脱した。
 無人と三平との斬り合いの隙を衝いて、右源太が吉良邸に走って行こうとする。
「おのれ!待て!」
 無人が叫ぶより早く、多都馬が素早い身のこなしで右源太に追いつく。
 行く手を阻む多都馬に右源太が斬りかかる。
― この太刀筋・・・夢覚流か。―
「己は、清右衛門殿を斬ったヤツだな。相手になろう。」
 多都馬と右源太は、互いに正眼に構え対峙する。
「軒猿の首領よな。名を聞こう。」
「・・・佐治右源太。」
「黛多都馬だ、行くぞ!」
 右源太が先に仕掛けるが、多都馬はその刃を紙一重でかわしていく。
 右源太は勢い余った体を多都馬に向けて構えを取る。
 多都馬は握った刀を逆手に持ち変え、下段に構えて右源太に向き直る。
 右源太からは、多都馬の刃が腕に隠れて見えなくなる。
 積っている雪を踏みしめ、右源太が再び上段から斬りかかる。
 逆手から斬り上げた多都馬は右源太の刃を振り払う。
 そして、その流れのまま脇差を左手で抜く。
 刀が弾き飛ばされ無防備になった右源太の胴に多都馬の脇差が突き刺さる。
「色部様・・・。」
 斬られた右源太は天を仰ぎながら崩れ落ちていく。
「おぉっ多都馬!見事じゃ!」
 無人が駆け寄ってくる。
 カッと見開いたまま絶命している右源太の目を、多都馬は手で優しく覆った。
「上杉の手勢、討ち漏らしてはおらぬな?」
 無人は、まだ暴れ足りないと言わんばかりで辺りを警戒する。
 三人は再び一ツ目之橋の持ち場へ戻り、再び来るかもしれぬ上杉の手勢を待った。

             十三

 その頃、上杉家では討ち入りのことで混乱していた。綱憲は父/義央を救うべく支度を整え、出陣の準備を整えていた。
「父上をお救いしに参る。馬引けい!」
 そこへ知らせを受けた高家旗本/畠山義寧が、綱憲の行く手を塞ぐ。
「綱憲様!なりませぬ。なりませぬぞ!」
「父上が危険なのじゃ、お救いせねばならん。そこをどけ!」
「どきませぬ!」
「なんじゃと!」
「ご出兵あそばされたならば、御城下を騒がした廉でご公儀より罪を負わされるのは必定。さすれば、上杉家も浅野家と同様に改易ということになりかねまするぞ!」
 綱憲は眦《まなじり》を上げ、額には汗がにじみ出ている。
「父上をお救いいたすのじゃ、御城下を騒がすのではない!」
「綱憲様は、上杉家を潰すおつもりか!」
「何!」
「武家諸法度をお忘れか!」
「赤穂の者共は狼藉を働いておるのだ!」
 綱憲の悲痛な叫びは義寧の心を突き刺していた。
「国主/領主は私闘を禁ず。平日常に注意する事。もし問題あれば奉行所に伺う事也。このまま討って出れば間違いなく御家お取り潰しに相成りまする。それでも良いと申されますか!」
 義寧の言葉に絶望した綱憲は片膝をつく。
「それに御父上様は!・・・御父上様は、救出など願ってはおりませぬ。」
「どういうことだ。」
「こうなった時に、綱憲様をお止めせよと仰せつかっております。」
「まさか!」
「間違いござりませぬ!」
 義寧は、綱憲の小姓たちに命じる。
「綱憲様は、お疲れのご様子である。早ようご寝所へお運びいたすのだ!」
 困惑している小姓たちに義寧が大声を張り上げた。
「何をしている!早うお運びせぬか!」
「父上!」
 綱憲は、小姓たちに運ばれ奥座敷に消えていく。
 綱憲の無念の叫びは、邸内の隅々にまで響き渡る。
「綱憲様・・・。」
 綱憲の出兵を思い留まらせた義寧は安堵の息をついた。
「大石。とうとうやりおったか。」
 義寧は吉良邸方面に振り返って呟いた。凍えるような寒さも、何も感じないほど義寧は興奮していた。
  
            十四

 炭焼き小屋に到着した義央と一学は、刀を構え襲撃に備えた。
 炭焼き小屋に息を殺して隠れていたが、とうとうその場所も発見され浪士たちに囲まれてしまう。
「殿。お先に・・・。」
 義央を守るため浪士たちの待ち構える外へ打って出る。
「吉良家中小姓、清水一学である!」
 一学は、武林唯七や間十次郎など数名と斬り合う。
 堀内道場で鍛えた一学は、新八郎や平八郎と同様に浪士たちを苦しめた。
「清水一学殿か。不破数右衛門正種、お相手仕る。」
 数右衛門と一学は、一進一退のまま勝負はつかなかった。
 他の浪士たちも二人の攻防を、固唾を飲んで見守っていた。
 一学は脇差を抜いて二刀の構えをする。
 木に積っていた雪が落ちるのを合図に、数右衛門と一学は踏み込んだ。
 数右衛門の刀を脇差で受け止めた一学は、残る刀で数右衛門の胴を払う。
 しかし、鎖帷子を着込んでいた数右衛門の体に一学の刀は届かなかった。
 数右衛門に背を見せる状態の一学は、そのまま斬られ二十一歳という生涯を終える。
「一学、見事じゃ。」 
 一学の死に様を小屋の隙間から見ていた義央も、脇差を手に覚悟を決める。 
 義央は脇差を片手に炭焼き小屋から出て行った。
「吉良だ!討ち取れ!」
 義央は、待ち構えていた武林唯七と間十次郎に討たれた。
 義央を討ったという合図の笛が邸内外に鳴り響く。

             十五

 一ツ目之橋の上にいる多都馬や大石無人/三平の耳にも、浪士たちの歓喜の声と合図の笛の音は聞こえてきた。
「終わったな・・・。」
 多都馬は剣を納め、ゆっくりと天を仰ぐ。
 無人と三平と長兵衛、三吉たちは歓喜の声を上げている。多都馬は、絶命している右源太の側に歩み寄った。右源太の手を取り、胸の上で手を組ませる。
 振り返ると多都馬たちに斬られた軒猿たちの屍が、橋の袂や欄干など横たわっている。
― この男等も、お役目のために死んだのだな・・・。―
 敵とはいえ、軒猿という男たちの死を多都馬は憐れんでいた。
 多都馬は、歓喜の輪には加わらず一ツ目之橋を後にする。
「おい、多都馬!」
 無人が帰ろうとしている多都馬を呼び止める。
「はい?」
 疲れ切った声で返事をする。
「どこへ行くのじゃ?」
「帰るのですよ。」
「お主は、事の成就を祝わぬのか?」
「そうですよ。これから祝杯でも挙げようじゃありませんか。」
 三吉たちは小躍りして話す。
「眠りますよぉ・・・。まず、ゆっくりとね。」
 多都馬は朝日が昇る中、須乃や数馬の待つ自宅へと帰って行った。
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