吸血鬼は永遠に

洞窟へ

 次の瞬間、ローラを抱いた伯爵は軽やかに地面へ着地した。ローラが宙に放り出されてから、一瞬の出来事だった。
「大丈夫か?」
伯爵が優しく訊ねる。ローラは思わず伯爵の顔を見上げた。二人の間に気まずい沈黙が横たわる。ローラは何か言おうとしたが、伯爵の顔を見つめたまま、押し黙った。不意に目の前が暗くなる。伯爵の顔がローラの上に覆い被さった。伯爵の暖かな唇がローラの唇に重なる。ローラは一瞬驚いたものの、抵抗する気にはなれなかった。伯爵の舌がローラの体に火を着けた。突如として燃え上がった二人の欲望は、もう止まらなかった。伯爵はローラを抱き上げると、そのまま館へ向かう。館の前の噴水が見えた時、
「やはり、駄目よ。下ろして下さい」
ローラは伯爵に訴えた。
「急にどうしたのかね?」
伯爵はゆっくりとローラを地面に立たせると、少し残念そうな顔で訊いた。
「あの……例の狼が居るという洞窟だけど」
「それがどうかしたのか?」
「私、そこへ行ってみたいわ」
ローラは咄嗟にそう答えた。本音を言えば、洞窟の事など特に興味は無かったのだが、この場を取り繕うためにそう言ってみたのだった。それに、彼女は既に伯爵を愛し始めていたが、ただ一つだけ、彼が普通の人間ではないという事実が、彼女の気持ちを押し留めたのだった。もし、伯爵を再び人間に戻すことが出来れば……。例の狼なら出来るかも知れない、そう思ったのである。
「ふん……彼処へ行くとなると、馬だと三日はかかるからな。つかまりたまえ」
伯爵はそう言うと、以前の様にローラを抱いて一気に空へと舞い上がった。

 森を抜け、広い麦畑を横切って、伯爵は猛スピードで空を飛んでいく。目を開けたままでは冷たい風で凍りそうで、ローラは目を閉じたまま、伯爵にしがみついていた。伯爵の胸の鼓動がローラの体に伝わるのを感じる。

――吸血鬼とは言っても、生きているのだわ――

その事実はローラを安心させた。心臓の鼓動というのはこんなにも人を落ち着かせるものか。きっと、相手が魔物でも、心臓の脈動が有るなら心で繋がはれるはずだ――そう思えるからだろう。

 丸一日空を飛んで、二人は岩山の洞窟へと到着した。既に辺りは真っ暗で、月明かりだけが頼りだった。しんと静まり返った夜の闇の中から、フクロウの鳴く声が聞こえ、ローラは思わず声のする方を見た。その時、伯爵の瞳が真っ赤に光っているのに気付いた。
「これか? 闇を見るにはこれが良いんだ。気にするな」
ローラの視線を感じた伯爵が素っ気なく答える。
「猫の目みたいなものかしら?」
ローラは敢えて可愛らしい猫を引き合いに出した。
「フフフ……そうだな」
二人はゆっくりと岩を上り、大きな洞窟へと入っていった。

 洞窟の中は文字通り真っ暗闇だった。外の闇より一段と暗い、漆黒の闇の中を伯爵はローラの手を引いて歩いていく。やがて奥に大きな緑色の二つの光が浮かび上がった。
「これはこれは……久しぶりだな」
洞窟内に低い獣の唸り声の様な太い音が響く。おそらくあれが例の狼の声なのだろうが、暗くて姿は見えなかった。
「彼女がお前に会いたがったのでね」
伯爵はローラに目をやった。
「お前の愛しい人という訳だな」
「ローラだ」
「ローラか。いい名前だ……いや、しかしこの人は……?」
狼はそう言ったきり黙ってローラを観察している様だった。
「フフフ……成る程な。確かに、お前の好きそうな女だな」
「どういう意味かしら?」
ローラが怪訝そうな声を出した。
「それは……」
狼が話すのを伯爵が遮った。
「それはどうでも良いだろう? 彼女には関係の無い話だ。止めてくれないか?」
普段は落ち着いている伯爵の焦りと興奮の入り交じった声を聞いて、ローラは驚いた。
「まあそうだな。それでお嬢さん、私に会ってどうしたかったのかね?」
「え……それは……あの、貴方が伯爵を吸血鬼にしたのよね? 他に方法は無かったのかしら?」
「ふん……彼女に話したのかね? まあ、無かったな。王国は危機に瀕していたし、それに対して私が出来る事は彼に力を与える事だけだからな。オーガストに与えた魔力と、私の助成で敵は撃滅した。良い取引ではなかったかね? オーガスト?」
「……まあな」
「でも、忌まわしい呪いがかかったわ」
「仕方がない。力には犠牲が付き物だ。それに、お前さんが居る間は彼の呪いも無効になるのではないかね?」
「愛の力という訳ね?」
「そうだとも。愛という物は不可能を可能にするのさ。あらゆる魔力の中でも最高度の力だよ」
「それは……そうでしょうけど。伯爵を再び人間に戻すことは出来ないの?」
「無理だな……それに、今のままで何か問題かね?」
「それは……」
「フフフ……良し、せっかく来たんだ、歓迎の印と二人の幸せを祈って、一つ歌を捧げよう」

 狼はそう言って立ち上がると、洞窟の外へと向かった。入り口に差し掛かり、差し込む月明かりに照らされて浮かび上がった姿は、銀白色の毛皮に包まれていた。狼は洞窟の前の岩山に登ると、座り込んで遠吠えを始めた。腹の底に響き渡る、強烈な、しかし美しい歌声だった。夜に詩を読むなら、まさしくこの遠吠えが相応しい。闇夜の荒野に人間の言葉は無粋である。ローラはうっとりと遠吠えに聞き入った。まるでおとぎ話の一枚の絵の様である。伯爵が静かにローラの肩を抱いた。ローラは伯爵に身を預けて、いつまでも狼の歌声を聞いていた。それは最高にロマンチックな夜だった。そうしているうちに、ローラは段々と伯爵が吸血鬼でも構わない、という思いに心が傾いていった。
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