白衣とブラックチョコレート
トラウマ編

熱い視線

ここは東京都心のど真ん中。

初冬のコンクリートジャングルは、陰鬱とした薄暗い空の下でより一層色褪せて灰色に見える。

特に病院の敷地内などは殺風景なもので、イルミネーションが輝く街中と違い何の飾り気もなく寂しさすら覚える。

「うう〜、寒い寒い」

ここ、火野崎大学医学部附属東京病院の新米看護師である雨宮雛子は、小柄な身体を更に縮こまらせながら寮から病院への僅か数十メートルを小走りする。

院内に入ると、暖かな空気と共に独特の薬品臭が鼻についた。日勤で朝早く出勤する時とは異なり、遅出の日の外来は受診を待つ患者でごった返している。

雛子は人混みを横切り、更衣室へと向かう。

(はぁ……今年も今月で終わりかぁ。何か、早かったな……)

頭の中で今月のシフトを思い浮かべる。確かクリスマスは連勤中、大晦日に至っては夜勤入りだ。新人であり独り身のため自ずと駆り出される役目なのである。

人によってはがっかりのシフトであるが、しかし雛子は、マフラーに埋めた口許に思わず笑みを浮かべる事情があった。

(うふふ……実は大晦日から元旦にかけての夜勤、桜井さんと一緒なんだよね。ラッキー!)

何がラッキーなのかは自分でもよく分からない。ただ下半期に入ってからは必ずしもシフトが被るわけではないため、勤務表を見てはつい一喜一憂してしまうのだ。

彼のことを考えると心が暖かいのは、きっと彼が信頼のおける頼れるプリセプターだからだろう。

雛子はそう結論づけていた。



そんなことを考えながら外来を抜けようとすると、若い男性が一人、きょろきょろと辺りを見回しながらこちらにやってくる。

男性の手にはボストンバッグ。反対の手には病院のパンフレットを携えている。

それを見て、雛子は咄嗟に声をかけた。

「あの、どうされましたか?」

上の方ばかり見ていた男性は、雛子から声をかけられ初めて目線を下げた。雛子と目が合うと男性は少しだけ驚いたような顔をしたあと、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。

「ああ、すみません。実は入退院受付を探しているんですが、ご存じですか?」

やはり、と雛子は思った。

男性のボストンバッグには、恐らく入院用の荷物が纏めてあるのだろう。

「はい。それでしたら、あそこの廊下を右に曲がってすぐの所ですよ」

男性の柔らかな笑みにつられ、雛子もにっこりと微笑みながら案内する。男性は礼を言い丁寧に頭を下げた。

「ありがとうございます。お恥ずかしながら、なかなか辿り着けず……。前回入院した時は救急車で運ばれたものでね。あなたは、ここのスタッフさん?」

「はい、看護師の雨宮と言います」

雛子もまた、ぺこりと頭を下げる。男性がまた礼を言いながら入退院受付へ向かったのを見届け、再び更衣室に向かって歩き出す。

(ふふ、こういうのも、何か看護師っぽいよね〜)

最初の頃は院内で迷子になるタイプだった雛子も、随分と成長したものだ。とはいえそんなことくらいでは誰も褒めてくれないため、自分で自己肯定感を上げていく。

「なーにニヤニヤしてんの?」

「わわっ、お、お疲れ様です、桜井さん」

突然顔を覗き込まれ、雛子はやや仰け反りながらも何とか声の主に挨拶をする。

彼、桜井恭平はいつ何時も神出鬼没だ。

「あ、検査科ですか? もう少し待っていただければ私が出しに行ったのに」

恭平が手に血液培養のキットを持っているのを見て、雛子は合点がいく。

「ああ、でもこれ、たかみーの患者のやつ」

「うっ……そ、そうなんですか……」

たかみーこと鷹峯柊真医師のオーダした検査と聞いて、雛子は顔を引きつらせる。

それには良い思い出がない。先程の言葉は撤回だ。

「じゃあ、また後でな」

「はい、よろしくお願いします」

少し話せただけで浮ついた心を、雛子は深呼吸で落ち着かせる。恭平の背中を盗み見する雛子とは裏腹に、彼は一回も振り返ることなくさっさと検査科に行ってしまう。





「……雨宮さん、って言うのかぁ」




恭平が雛子の視線に気付かないように、雛子もまた気付かなかった。自分に向けられた、熱い視線に────。









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