白衣とブラックチョコレート

幻惑と雪の宿

医師の鷹峯柊真(たかがみね とうま)が運転するワンボックスカーには、看護師一年目の同期組である雨宮雛子(あまみや ひなこ)市ヶ谷夏帆(いちがや かほ)入山悠貴(いりやま ゆうき)、それから五年目の桜井恭平(さくらい きょうへい)、元同僚の清瀬真理亜(きよせ まりあ)、そして常連患者である篠原舞(しのはら まい)の計七名が乗車していた。

もう随分と長い間雪道を走り続けている一行が向かう先は、群馬県のとある温泉旅館だった。

「しかしまた……何でこの面子なんですかねぇ?」

ハンドルを握りながら、鷹峯は不可思議そうに首を傾げる。

「海の時楽しかったので再結集ですよ、先生」

「……だからって患者まで誘うのはまずくないか? しかもコイツ……あの時雨宮にしたこと忘れてねーからな」

「な、なによ。そのことは当人同士で和解したんだからもう良いでしょ!」

「また真理亜さんと旅行だなんて嬉しいです! 真理亜さんのいない病棟がもう寂しくて寂しくて……」

「うふふ、ありがとう雛子ちゃん。それにしてもすごい雪ねぇ。東京じゃ滅多に見られない光景だわ」

一面が白く染る単調な景色とは裏腹に、皆はわいわいと話に花を咲かせていた。助手席に座る恭平はそれをBGMに船を漕いでいる。



そうこうしている間に車は温泉街へと突入し、やがて目的の宿が目の前に現れた。

「すっごーい! 高級旅館じゃない!」

舞は両手を頬に当てはしゃいでいる。ここはテレビでもよく目にするような高級老舗旅館だ。

「こんな良い旅館に格安で泊まれるなんてラッキー! そんな良いプランよく見つけてきたわね、入山」

宿の手配を担当した悠貴は、夏帆に褒められ鼻を高くする。

「まぁな! それにしても、恭平さんと雨宮からボーナス別のことに使っちまって旅行行けないかもって言われた時は焦ったわ〜」

「っ……」

「……」

悠貴の発言にギクリと身体を硬くする二人。恭平はその言葉に完全に目が覚めたようだった。

「そうなんですかぁ〜。それはそれは、二人して一体何にお金を使ったんでしょうねぇ〜?」

「……たかみーは黙って運転に集中して」

知っていて茶化す鷹峯に、恭平は面白くなさそうに口を尖らせる。

後から判明したことだが、実は雛子と恭平が泊まったあのスイートルームは実は一泊三百万以上するハイグレードな部屋だったのだ。

差額はもちろん、あの御曹司が事前に支払いを済ませてくれていたのだろう。庶民が無けなしの金で払った以上の金額が負担されていた事実に、余裕を見せつけられたようで何だか面白くない。

元はと言えば鷹峯が仕向けたせいで高額なホテル代を払うことになったのだが、かと言ってそれが無ければ今頃雛子は御曹司に手篭めにされていただろう。

恭平にとっては複雑な心持ちである。





「ようこそ、当旅館へ。お疲れ様でございました」

一同が旅館の玄関で下車すると、駐車場係の男性が出迎え恭しく頭を下げる。彼は鷹峯から車のキーを預かりそのまま駐車場へと車を回す。

「俺、受付してきまーす!」

幹事であり旅館を手配した悠貴が、何故か得意げな顔でチェックインの手続きをしにフロントへ向かう。

建物に入った瞬間、ふわりと香のような甘い香りが鼻をついた。

「うわぁ〜! 私、こんな素敵なところに泊まるの初めて!」

雛子は思わず感嘆の声を漏らす。

つい先日、不本意ながら三桁を超える額の高級ホテルに泊まった経験を持つ雛子であるが、こちらはこちらで趣が全く異なっており新鮮な感動に包まれた。

「本当ねぇ。しかもお部屋に露天風呂が付いているんでしょ? 何だかワクワクしちゃう」

真理亜も微笑みながら同意する。

「ようこそいらっしゃいました。まずはラウンジにて季節の中庭をご覧になりながら、お抹茶をお楽しみ下さい」

数人の仲居が盆に抹茶と茶菓子を乗せて人数分を配膳する。

「ありがとうございます! 美味しそう〜!」

女性陣は各々スマホを取り出すと、忙しなく写真のシャッターを切っている。

「うふふ、恭平の写真撮っちゃおーっと」

「あ、こら舞、やめろ」

館内は歴史を感じる木造建築で、黒く艶めかしい柱はどっしりとしていて香に混じって仄かに木材の香りがする。悠貴のチェックインと案内係の仲居の到着を待つ間、皆はラウンジで提供された抹茶に舌鼓を打つ。

やがて悠貴が合流し皆が存分に庭と抹茶を堪能した頃、タイミングを見計らったように仲居がやってきた。

「お待たせ致しました。ようこそお越し下さいました。お部屋にご案内させて頂きます」

着物を着た仲居の女性は、淑やかに、けれどテキパキと荷物を運び館内を説明しながら部屋へと向かう。





(随分と歩くわねぇ。恭平〜私疲れてきちゃった〜)

(別館って言ってたもんな。もうちょっとで着くだろ)

舞が小声で文句を言い、恭平もそれに小声で返す。

ここは江戸時代から続く歴史深い旅館であり、増築に増築を重ね建物が複雑に入り組んでいた。山の斜面に建っているためエレベーターや階段で複数回昇り降りを繰り返し、もはや現在何階にいるのか分からない。

やがて景色は本館から、さらに趣のある旧館へと姿を変えていく。先程までも十分時代を感じたが、旧館ともなればさらにその様相は古めかしさを増す。



「……?」



ゆっくりと窓の外の景色を楽しむため一番後ろを歩いていた雛子は、突然、誰かに見られているような気配を感じ足を止めた。


(なに……?)


どこかから見られている。そんな視線を感じ、キョロキョロと辺りを見回す。





────お姉ちゃん。






誰かに呼ばれる。








「お姉ちゃん」








ふと目線を下げると、すぐ目の前に浴衣を着た小さな男の子がいて雛子を見上げていた。





「え?」



いつの間に。そう思った。少年は、どこか悲しそうな顔で雛子を見つめた。透けるように白い肌に、思わず視線が釘付けになる。



「どうしたの、ぼく? 迷子かな?」



雛子の呼び掛けに、少年は首を横に振る。



「お姉ちゃん、悲しいの?」



「え?」



唐突な質問だった。雛子は面食らう。



「僕がお姉ちゃんの悲しいの、なくしてあげようか?」















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