探偵日記

第7話『 戻らざる過去 』1、娘


 離婚をして8年が経つ、と言う女性から依頼があった。
「 成長した娘の姿を、ビデオで撮影して来て欲しいんです 」
 …これまた、萬家(よろずや)的なような仕事だが、今のご時世、こういった仕事も、探偵によく廻って来る。 世の中、様々な事情で悩んでいる人が多いのだ……

 子供を引き取る権利『 親権 』は、普通、離婚した場合、母親に委ねられる場合が多い。 家裁での離婚調停でも、そういった審判が基本的に下される。 女性の方が、子供を親身になって育てる可能性が高い、との判断によるものだ。 だが、子供を育てるに当たり、母親の生活・経済面・精神面などに問題があるなどの特異なケースの場合は、その限りではない。

 この女性には、なぜ親権が与えられなかったのか…?

 葉山は、女性が無職であり、経済的に貧窮していたのではないか、との見解を想像した。 だが、面談場所に指定した喫茶店に現れた依頼者は、C・ディオールのパールホワイトのパンツスーツを着込み、腕にはめられたカルティエ・タンクベルトの腕時計を見るからには、そんな過去はなさそうだった。 もっとも、当時はどうだったのかは、定かでは無いが……

 何となく疑問は残るが、葉山は、彼女の過去の経緯を追及する事は控えた。 依頼内容と直接に関係する事ではないし、彼女にとっても、触られたくはない過去だと思ったからである。
「 法律上、あなたが娘さんにお会い出来る権利は存在しますが… 会えない現実がある、と言う事ですね? 」
 葉山の問いに、依頼者の女性は頷きながら答えた。
「 …はい。 現在、娘は元夫と暮らしていますが、元夫は、再婚しておりまして… 」
 ウエイトレスが、ホットコーヒーを彼女の前に置いた。 軽く会釈をし、小声で彼女は続けた。
「 離婚当時は、娘は 1歳。 私の事は、何も告げていない可能性もあります… 」
 つまり、娘は現在の母親を、本当の母親と思っているかもしれない、と言う訳だ。 8歳では、まだ世の実情の事は理解出来ないだろう。 母親と思っていたのに、赤の他人と分かれば……
( 他人の心情を気遣う気持ちを、ちゃんと持っているヒトだな )
 葉山は依頼人の性格を理解し、彼女の現状と希望を、おおよそ把握した。
「 娘さんの現在の姿を、確認出来れば良いのですね? 」
 頷く、依頼者。 葉山は続けた。
「 姿を見れば、情が湧きます。 それ以上の事に及ばない、と… 約束して頂けますか? 」
 平和に暮らしている家庭… その幸せが崩壊する発端を、自らが手助けする事になるのではないか、という不安が、葉山の脳裏に過ぎった。
 はたして、依頼者の女性は顔を上げ、葉山に言った。
「 悪いのは、私なんです…! 彼の… 今の家庭を壊すような事は、断じて致しません。 娘の幸せを、壊す事にもなりますし…… 」
 どうやら、理性ある依頼者のようである。
( ストーカー的要素がありそうな人物かと思ったが、我が子の姿を見たいだけのようだな… 離婚当時の経緯についての詮索はやめよう。 コッチにも、情が移りそうだ )
 葉山は、彼女の依頼を請ける事にした。

 事務所に戻り、メモに目を通す葉山。
( 何となく、人には言えない過去があるような依頼人だったな… ま、依頼人の半分は、どこか影のあるヒトが多いのも事実だ。 余計な詮索はやめておこう。 過去を知って、情が移ってしまっては、調査の方向性が揺らぐ )
 結構、今までの案件でも、そんな事があった…
 人の過去を『 あばく 』と言う事は、その人の人生に触れると言う事でもある。 それによって、信念が揺らぐ・揺らがないは人それぞれとしても、どうしても、ある程度の同情をしてしまうのは、自分もまた、人生と言う道を歩む一人の人間だからではないだろうか……
( 今回は、撮影がメインだ。 調査という業務は無さそうだな )
 葉山は、心なしか安堵する心境を覚えた。

 元夫の現在の住所は、依頼人も聞いてはいたが、一度も行った事が無いらしい。 依頼人から渡されたメモにある住所を見るからには、どうも1軒屋のようである。
( マンションやコーポ、アパートのような集合住宅だと撮影し難いが、一軒屋なら問題は無いだろう。 ただ… )
 難点が1つある。 撮影すべき対象者は8歳の子供、と言う点だ。 対象者である娘の写真は、当然にして無く、対象者である事を証明するものは何も無い。 従って、小学校の下校時間に張り込んで撮影すれば良いという安易な考えは、まずもって払拭させなくてはならない。
( 望遠で狙える位置があればいいが、画像は不鮮明になるな )

 …手段は1つ。 自宅に上がり込むしかない。

 自宅内にいる、8歳くらいの女児… それが対象者である事は、ほぼ間違いないだろう。 何なら、親・本人に、誘導会話を用いて、対象者である事の確認をすれば良い。 葉山にとっては、造作もない事である。
( 問題は、室内に上がり込める方法だ )
 ここが思案のしどころである。
 更なる課題としては、依頼者の希望は、ビデオ撮影であると言う事だ。 写真ではない。 ビデオカメラを持った、全くの他人が、家族に何の警戒心を抱かせる事も無く、室内に立ち入るには…?
 宅配業者を装っても、娘が玄関先に出て来る可能性は少ない。 居間やキッチン、場合によっては子供部屋など、出来れば、全室に入れるシチュエーションが必要なのだ。

( こりゃ、結構に大変だぞ…! )

 葉山の脳裏に、以前、変わった撮影の依頼を請けた記憶が蘇った。 隣の飼い猫が毎晩、依頼人の家の庭でフンをするので、その苦情を言う為にも『 証拠の映像 』を撮って欲しいと言うのだ。 これはもう探偵の仕事ではなく、まさに、萬屋(よろずや)である。 試行錯誤の結果、動く被写体に反応して電源が入り、録画が始まるセンサーカメラを設置して一晩中、撮影した。 だが、今回はそんな手段が使える訳がない……

 葉山は、大いに悩んだ。

 抜けるような青空に、家々の屋根が映えている。
 秋が深まり、公園の木々には枯葉が目立つようになってきた。
 落ち葉が、柔らかな日差しに光り、思い出したかのように
 そよぐ秋風に踊っている。

 土曜の昼下がり。

 葉山は、とある住宅街にいた。 周囲は、新旧の住宅が密集している郊外だ。 依頼人の別れた元夫が、再婚して暮らしている住宅街である。
( これか…… )
 住所を基に尋ね当てた家は、築年数の経った一軒屋だった。 家の造りは一昔前のようで、おそらく中古住宅だろう。 依頼人の話では、元夫は地方の出身で、この辺りには親類縁者はいないはずである。 再婚を機に、新たに購入した物件と思われる。

 今回、葉山が立てた『 作戦 』は、対象者が住む住居に由来していた。 家は、新旧、どちらでも良い。
( さて… まずは、見取りだな )
 玄関は北玄関。 南には、小さいながらも庭があり、芝が張られている。 樹脂製の小さなブランコに、子供用自転車… 垣根は木製のラティスで囲まれ、鉢植えハーブの入った小さなプランターが数個、吊り下げられている。 小奇麗なエクステリアだ。 元夫に、ガーデニングの趣味があったかどうかは定かではない。 新たに奥さんとなった女性の趣味かもしれないが、手入れの行き届いた庭である。
 葉山は、ラティスの垣根越しに歩き、それとなく庭を観察した。
( 子供たちの姿は無いな )
 夫婦の姿も見受けられない。
 葉山は、テラスの下に置いてあるサンダルに着目した。 壁に立て掛けてあるのではなく、脱いだままだ。 揃えてもいない。
( 雨ざらしのサンダルは、雨が溜まるので、普通は壁に立て掛けておくものだ。 それに、この庭の手入れ状況から見て、サンダルを脱ぎっ放しにしておく性格の住人ではないはず… )
 この推理が、全てに当てはまる訳ではないが、葉山は自分のカンを信じた。
 つまり、住人は、庭いじりの最中。 何らかの用事で、屋内に入って行った……
( テラス脇には、園芸用の小さなスコップが置きっ放しだ。 肥料の袋も… 口が開いたままだな )
 葉山は、庭先を通り過ぎ、次の角を曲がった。
( 不在ではなさそうだ。 少なくとも夫婦の内、どちらかは在宅だ )
 肝心の、娘の姿が見えない。
 確実に在宅しているという確証が見つけられない状況が、葉山に一抹の不安を
 覚えさせた。

( とりあえず、車に戻ろう。 在宅確認の為に、何回も庭先を横切る事になるだろうから、今のうちから姿を見せるのは良くないな )
 最悪、夜に『 決行 』である。 夜に、幼い子供が、不在なはずがない。

 葉山は、対象者宅近くの路上に停めた車に戻った。
 煙草に火を付け、『 小道具 』を確認する。
 ビデオカメラに、樹脂製のタックボード( 紙を挟むピンチの付いた、A4くらいの大きさのボード )。 ボードには、家の設計図( らしきもの )や住宅地図のコピーなどが大量に挟んである。
 今回の葉山の格好は、またもや作業着だ。
 胸にはピン止めの名札があり、『 ○○市役所 土木局住宅管理課 主任、斉藤 隆史 』とある。 部署名・名前は、テキトーだ。 首からも、ストラップの付いた『 国土交通省 許可No‐5322658 』と印字された許可証( 何の? )らしきモノをかけていた。 御丁寧に、朱色の割り印もあるが、葉山が事務所で使用している請求書用の社印である。 遠目には分からない。

 全てが、テキトーで固められたアイテムではあるが、市役所職員と名乗れば、素人目には、そう思える。 そもそも一般市民が、市役所土木局職員の姿を見た事などは、ほとんど無いはずである。 『 それらしい 』格好をしていれば、整合性は大丈夫だ。 依頼人からも、元夫は工場のラインスタッフで、市役所とはつながりの無い職種だと聞いている。 土木局の職員が、どんな格好をしているのかは、想像の域でしかないはずだ。従って、今回の『 設定 』が、決定された訳である。

 本当の探偵の『 変装 』とは、こういった現実的な姿であり、別人に『 変身 』するのではない。

「 髪型は… まあ、いいか 」

 葉山は若干、長めの髪をしていた。 額を見せず、自然に分けた髪型に、黒いフレームの眼鏡をしている。 どことなく、公務員っぽい雰囲気だ。
 長めの髪にしているのには理由があった。
 分け目の分量・向きを変えたり、オールバック風にして額を見せたりして、ヘアスタイルの変化により、見た目の印象を変える事が出来るからである。 短い髪型では、あまり印象を変化させる事が出来ない。

 また、黒のフレーム眼鏡をしている事にも理由がある。
 フチ無しのノンフレーム眼鏡よりは、「 眼鏡をしていた 」との印象を、会った相手に認識させ易いのだ。 眼鏡無し・ノンフレームでは、その見た目の印象は、あまり違わない。
 幸い、葉山は裸眼が悪くなく、何とか、眼鏡無しでも行動が出来る程度の視力がある。 眼鏡を外し、髪型を手櫛で変える簡単な作業だけで、一見、別人に見えさせる事が出来るのだ。 何度も、対象者に姿を見られるシチュエーションの場合、この変身要項が役に立つ。 あえて言うならば、これが本当の探偵の『 変身 』なのである。

「 長期戦かな…… 」
 葉山は、対象者の庭先が見える道路脇に車を移動させ、しばらく、張り込みをする事にした。
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