ここではないどこか
Chapter2

1

 3月下旬。
 引っ越しってこんなに大変なの!?
 荷造りをするときに要らないものは捨てたはずだった。なのにいざ荷解きを始めると、荷物の多さに辟易していた。

「メイク用品多すぎじゃない?姉さんの目は一対しかないし、口も一つしかないじゃん」
「それを言うなら透の漫画とゲームもすごい量なんだけど?漫画もスマホで読めるし、ゲームもスマホでできるじゃん」

 いや、そういう問題じゃないんだよ!と、お互いが思った。相手を攻撃したつもりが綺麗に自分自身に返ってくることを理解した私たちは、「ごめん」と謝って再び荷解きを開始した。


 「今日はここまでにしない?」と、ある程度の目処がついたところで私が提案した。集中し始めると時間を忘れてのめり込むタイプの透に、買っておいたコーラを渡してストップをかけた。

「ありがと」

 ぷしゅりと炭酸の抜ける音がする。上下する小さな喉仏に目が釘付けになる。出会った時より身体の線が太くなりだいぶと男性的になった透だが、元来のパーツの繊細さが女性的な儚げさを醸し出し、彼の魅力を引き出していた。とてもバランスの取れた見た目だ。どんどん素敵になっていく愛しい人に私はたまに寂しさを感じる。一番近くに居るのに、なんて贅沢。

「なに?そんな見られると照れる……」

 はにかんだ笑顔にまた胸が締め付けられた。

「えぇ?いや、かっこいいなって……」
「……姉さんのその照れもなく褒められるところ、尊敬するわ」

 そうかな?透も割と照れも衒いもなく私のこと褒め殺すけどな。耳まで真っ赤にした透は子供のようでかわいい。

「それにしても、こんなに駅近で部屋も広いところに住まわせてくれるなんて……さすが大手事務所というか。ほんと感謝だね」
「新人はだいたいここに住むみたいだよ。俺は姉さんも一緒に住まわせてくれたことに感謝だね」
「ほんとに、それだね」

 引っ越し先は透が所属する事務所名義の不動産だった。私が一人暮らし用の賃貸物件を探していると「姉さんも俺と一緒のところでいいじゃん」とこともなげに言った透に驚いたことを覚えている。
 「いやいや、無理でしょ」なんの冗談だと笑って流す私に「社長はいいって」とすでに交渉済みだったことを透は告げた。私の一人暮らしを不安視していた両親は手放しで賛成し、願ってもない話に断る理由など見つからなかった。

「俺たちが家族だったからできたことだよ」

 柔らかい曲線を描く透のかさついた唇にそっと私のそれを重ねる。

「また舐めたでしょ。集中するといつもよりぺろぺろするんだから」
「犬みたいに言わないでよ」

 透の唇を舐める癖は依然として健在だった。「これからはきちんとリップクリーム塗ります」と笑った透はその赤い舌で私の下唇をぺろりと舐める。幾度となく重ねてきた唇はしっかりと私に馴染んで、もう違和感や罪悪感などは微塵も感じなかった。
 お互いの気持ちを確認しあった日の夜の食卓では両親の顔をうまく見ることができなかったのに……。しかし今では、体を重ねた直後でも何食わぬ顔で接することができるようになった。
 裏切っているなぁと良心が痛むことももちろんある。だけどそれよりも私には透との関係を維持していく方が重要だった。それになにより私たちの関係が露呈し、家族がめちゃくちゃになる、それだけは避けなければいけなかった。
 健全な家族を演じる。それは両親が亡くなるまで続けなければいけない、私たちの責務なのだ。

「今日からは存分にえっちなことができるね」

 にやりと口角を上げた透のその顔に私はくらくらと目眩を覚えた。
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