揺られ、揺られるバスの中はとても窮屈だ。冬だから、あったかいのはあったかいけれど、やっぱり人混みは苦手。




バス通勤というのは、少し学生時代を謳歌する私達にとって、大人達からのちょっとした仕返しだと思う。




スマホ片手に、ゲームしてる人。友達と馬鹿みたいにはしゃいで、少々うるさい人。目を閉じて、爆睡してる人。様々だ。



ーーだけどこの人達は全員健常者……。





そう頭の中で響く自分の頭。必死に周りを見渡した。車椅子の人はいないし、白い杖を持っている人はいない。こうして、「目に見える障がい者」を探してしまう自分が笑える。





あんなに母に刃向かって出てきたくせに、人と比べ、心の落ち着きを保とうとしているなんて、人としてサイテーだ。



私は心の何処かで「障がい者じゃない!!」と認めない自分がいる。それは何故か……それは恐らく「学校」というものが少なからず影響与えているのだと思う。




全てを学校のせいだとは言わない。だけど、心身ともに疲れ果てて、正常な判断が出来ていない。いじめや普段から蔑み対象になっているから精神が磨り減ってるのだ。やはり学校の影響も少なからず入っていると思う。




人から下に見られ、人権を持ち合わせていない人間は、目の前の幸せをみつけられなくなってしまう。たとえ、目の前に友達がいても、見守ってくれる親がいたとしても、当たり前の幸せが潰された様に感じ、目の前が真っ暗になるのだ。




そんな状態じゃ、精神もボロボロになり、まともな思考回路を持つ人間が育つはずない。




こうした学校特有のカースト制度が私みたいな地下人間を傷つけ、居場所がなくなり他人を下に見ることでしか自信を保てなくなるのだ。





私もどうしてこんなに卑屈になったものか。あの、咲夜先生に恋い焦がれたあの日々に戻りたい。バスに揺られながら、つり革につかまりながら長いため息を吐く私。




でも、私は伽耶という友達がいるから何とか人として保っている。




私と価値観は同じだし、嫌なこともしてこない。しつこすぎることもなければ、甘えすぎるわけでもない。最高の友達。




そんな友達だけれど、私の軽度の障害については話していない。それは、本当の私を知ったら持って気を使って、本音を話してくれないと思うからだ。



伽耶は本当に私のことを思って接してくれている。そんな私に気を使ってほしくなんてない。



そして、彼女も隠している事はきっとあるだろうし、私が秘密を話したら彼女も話さなければいけない。それだけは避けたいのだ。


だから伽耶とは朝登校は一緒に登校することはしない。(帰る時は途中まで一緒だが)それは、伽耶のリアルを不意に触れてしまう様な気がするからだ。朝の登校を一緒にしてしまうと、何となーく根掘り葉掘り聞いてしまいそうに自分がなるからだ。




だから、自分は朝の登校を自分からしてくれなんて頼んだ事はない。伽耶も何となーくそれを察しているのだろう。伽耶自身も誘ってこない。これが私達の本当に丁度いい距離なのかもしれない。





だから伽耶と話せるのは、学校にいる間だけ。必然てきにそう決まってしまっている。そう思うと、少し悲しいけれど。