Diary ~あなたに会いたい~
第二章:一輪の恋
 不意に、僕の視線に気づいた彼女がこちら
を向いた。驚いたように一度、目を見開く。
 けれど、すぐに、柔らかな笑みを浮かべ、
店の戸を開けてくれたので、僕はようやく、
店の入り口をくぐることが出来た。

 「こんにちは」

 澄んだ声が心地よく耳に届く。僕は口元に笑み
を浮かべ、軽く頭を下げた。あんなに彼女にかけ
る言葉を考えたのに、緊張で硬くなってしまった
喉が、上手く声を発してくれない。
 黙って、ただ店内の花を見ている僕に、彼女の
方が声をかけてくれた。

 「仏壇のお花ですか?」

 声に引き寄せられるように、彼女を振り向く。
 エプロンの前で、両手を重ね合わせた彼女が、
僕の隣に立っていた。思っていたよりも、彼女の
顔が近くにあったので、「はい」と答えた声が
上擦ってしまう。
 そんな僕の様子をまったく気に留めない素振り
でにこりと頷くと、彼女は僕の側を離れていった。

 僕は慌ててシャツのポケットに手を入れると、
小さな紙切れを取り出した。けれど少しの間思い
悩んで、またポケットにしまった。

 「あの」

 花を選んでいる彼女の背に、思い切って声を
かける。

 「はい?」

 振り返った彼女の視線が、まっすぐに僕を
見て止まる。僕はカラカラに渇いてしまった喉
を、一度咳払いして整えると、心を落ち着かせ
て言った。

 「あの、白いトルコキキョウを、一輪だけ
もらえますか?」

 僕はごくりと、唾を呑んだ。
 彼女の笑顔が、少しだけぎこちないものに
変わる。ほんの一瞬、店内に静寂が流れ、
大通りを走るトラックの振動が、カタリと何か
を揺らした。

 「わかりました。トルコキキョウですね」

 にっこりと、目を細めて言った彼女の声が、
今までのものと同じだったので、僕はホッと
胸を撫で下ろした。

 一輪のトルコキキョウを手に戻った彼女が、
一昨日の夜と同じように、透明のセロファンで
包んでくれる。細く白い指が、小さな金色の
シールをセロファンの切れ端に貼った。

 「お花、好きなんですか?」

 ピッ、ピッ、とレジを打ちながら、唐突に
彼女がそんなことを訊ねた。



-----どう答えようか?



と、曖昧な笑みを浮かべたままの僕に、彼女
が言葉を続けた。
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