離婚するので、どうぞお構いなく~冷徹御曹司が激甘パパになるまで~
「そろそろお客様が来るから行くわ。こんな日くらい、ちゃんと黎人さんにも連絡しなさいよ」
 母親はそう言いながらいそいそと準備をして、部屋から出ていく。
 和室にひとりになった私は、ふぅとひとつため息をついてから、ようやく手にしたお免状を見つめる。
 これで私も――、あの人と同じ景色が見えるかもしれない。
 母の言う通り、じつは黎人さんはあと一か月後にはアメリカへ発つことになっている。一年間の海外赴任は同棲をする前から決まっていたことだ。
 もう、ちゃんと話す時間もないかもしれない彼に電話をするため、私はそっと部屋を出て、小さなバッグからスマホを取り出す。
 アドレス帳を開くと、“三鷹黎人”という名前はすぐに出てきた。
 母親には言えないが、夫に電話をするのは、じつは今が初めてだ。
 ドキンドキンと心臓は激しく鼓動する。夫に電話するだけでこんなにも緊張している妻がいるだろうか。
 私たち夫婦の関係性は――お世辞にも“円満”とは言えない。
 同じマンションに二人で暮らしているものの、義務的な会話しかなく、食事も別。たまに顔を合わせたかと思えば、気まずそうな反応をされる。
 黎人さんにはお見合いの日に、『結婚相手は誰でもいい』と言われていた。
 そして私も、同じ考えだと言ってこの結婚を承諾した。
 冷え切った関係性のまま、お互いの家の発展のために生きていく……それでいいと思っていた。今日この日までは。
 自分の血のにじむような努力が形になった今、私の中で何かが変わった。
 たとえビジネスありきの関係でも、黎人さんは一生を共にするお相手。この先の人生、少しでも歩み寄ることができないか、彼に提案してみたいと思ったのだ。無駄なことだと言われるかもしれないけれど。
「ふぅ、よし……、かけるぞ」
 二十歳の時に初めて会った黎人さんの柔らかな印象が、自分の胸の中で優しい思い出として残っているのも、彼に期待してしまう理由のひとつかもしれない。
 今はもう、あんな黎人さんはいないけれど、花を優しく扱う彼の姿を、私はずっと忘れられないでいる。
 そんな彼の姿を知っているから……、歩み寄れることに賭けてみたくなったのだ。
 プルルルと数回コール音が鳴って、音声が繋がった。
 私は緊張した声で早口でまくし立てる。
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