▼離婚のごあいさつ

「おめでとうございます。ご懐妊です」
 すぐに産婦人科に向かうと、五十代前後の女性医師から、さらっとそう告げられた。
 薬局で買った妊娠検査薬である程度は確信していたものの、言葉にしがたい複雑な感情が絡み合う。
 いくつもの大きな決断を、私は今、迫られている。
 この子は必ず産む。私の子だ。だけど、産まれる前に父親を奪ってしまっていいのか。本当に私一人で育てていけるのか。仕事と両立できるのか。この子を幸せにできるのか。
 不安と嬉しさがが半々で入り交じり、今、手放しで喜んであげられない自分が許せない。
「あ、ありがとうございました……」
 今後の説明を一通り受けて、私は複雑な表情のまま診察室を出る。すると、丁度良く母親から電話がかかってきて、心臓がドクンと大きく跳ね上がった。
「どうしたの、お母さん」
『花音、明日は実家(うち)に帰ってこれる? 独り立ちした花音をみんなでお祝いしましょう。お手伝いの村田(むらた)さんも張り切って料理するって息まいてるわ。運転手さんも呼んじゃおうかしら』
「ふふ、祝ってくれるの」
 こんな時に母親の声を聞いてしまうと、安堵で涙が出そうになる。
 私は必死に涙をこらえて、母親の声に耳を澄ませた。
『あなたは元々自立心が強かったけれど、これでやっと、自分の力で歩いて行ける切符を手に入れたわね』
「お母さん……」
『お花じゃなくても、本当は、好きなことなら何でも応援してあげようと思っていたけれど、花音が葉山流を継いでくれて心から嬉しい。自慢の娘よ。あなたはもう自分の力でどこまでも歩いて行けるわ』
「自分の力で……?」
『そうよ。ただの箱入り娘だなんて、もう誰にも言わせないわ』
 “自分の力で歩いて行ける”――。その言葉が、今の自分の胸にまっすぐに突き刺さる。
 今自分が一番欲しかった言葉を、言ってもらえた気がしたのだ。
 ほろりと涙が出てきたけれど、静かに泣いている私なんか知らずに、母親はスマホ越しにお祝いの料理の話をしている。そんな呑気な話が、今一番私の心を救ってくれる。
 私は母親の話を流し聞きながら、そっと片方の手で自分のお腹を撫でた。
 “昨日は不安でいっぱいの気持ちでお腹を撫でてしまってごめんね”。
 テレパシーを送るように、そう心の中でつぶやいてみる。