スパダリ外交官からの攫われ婚


「もういい」

 すっかり拗ねてしまったのか、加瀬(かせ)(こと)から目を逸らしてしまった。そんな加瀬の考えは琴にはさっぱり分からない、彼女が困ったように首を傾げたままでいると……

「寝る、もっとこっちに来い」

 今まで抱きしめられていたのに、どう近寄れというのか。そんな気持ちになった琴の背中に腕を回すと、加瀬はそのままベッドに横たわる。抱きしめられたまま同じようにベッドに倒れ込んだ琴は何が起こったのかと目を白黒させていた。

 ――え、寝る? 寝るって、どっちの意味?

 今夜は二人の初夜だ、それが特別な意味を持つことくらい琴だって分かってる。今まで旅館の手伝いばかりで経験の無い彼女は、緊張で身体が固まってしまう。
 加瀬がそういう行動に出るのか、自分はそれにどう対応すればいいのかと頭の中がいっぱいになっていた。それなのに……

「スー、スー……」

 頭の上から聞こえてくるのは規則正しい寝息、琴が悶々としているうちに加瀬はさっさと眠りについてしまったらしい。抱きしめること以外、何も夫婦らしいことはせずに。

「う、そ……?」

 何度も寝ていた琴とは違い、加瀬は一度も眠っている姿を彼女には見せていなかった。きっと彼も色々と疲れていたのだろう。

 ——ちゃんと話してくれるって言ったくせに、志翔(ゆきと)さんの嘘つき!

 そんな加瀬の穏やかな寝顔を見ながら、今度は琴の方が悶々と眠る事の出来ない夜を過ごすことになったのだった。


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