エリート脳外科医は契約妻を甘く溶かしてじっくり攻める
「文くん、本当に……?」
「本当じゃないなら、こんな格好悪い状況になんてならない」

 彼は大きなため息交じりに言って項垂れた。

 片手で顔を覆う文くんを、おずおずと覗き込む。
 必死に現状を整理して、慎重に言葉を紡いだ。

「文くん、だけどもしちょっとでも迷う気持ちがあるなら私は別に……」

 私に続きを言わせないかのように、スッと手を取られる。びっくりして目を瞬かせると、彼は真剣な双眼をこちらに向けた。

 それでも私は、わだかまりを残してうやむやにしたくはなくて、話を続ける。

「だって……ため息ついて、落胆してるみたいな笑い方して……やっぱりどこかで信じたくない気持ちなんでしょ? ずっと子どもで、妹みたいな私にって。罪悪感とか」
「もうないよ」
「え?」
「罪悪感は……さっきミイの本心を聞いてからなくなった。俺の一方通行じゃないなら問題はない。なにも」

 気付けば彼の表情はいつしか晴れやかで、まるで慕情を向けられているみたいな熱視線にどぎまぎする。

「澪。俺と結婚してもらえますか」

 既視感を覚える言葉に一瞬困惑する。
 彼は戸惑う私を見て、可笑しそうに口の端を上げた。

「前は俺がミイに言われたセリフ」
「あ、やっぱり嘘……だよね。びっくりした」
「嘘じゃない。俺もミイが好きみたいだから」

 さらりと否定されて、再び私は思考が停止する。

 文くんが追いかけてきてくれてから、もうずっと夜の寒さも忘れてる。それほど彼で頭の中がいっぱいだ。

「いや、恥ずかしいからって曖昧な言い方はよくないな。俺、澪を手放したくない。ひとりの女性として……好きになった」

 初めは面映ゆそうに鼻の頭を掻きながら。しかし、途中からはとても真剣に、真摯な態度で告白された。

 こういう場面で『澪』って呼ぶの、本当反則。狡いよ。ドキドキしないわけないじゃない。

 昂る感情に任せ、文くんの背中に手を回した。
 抱きついた直後にさらに緊張していたけれど、文くんが抱きしめ返してくれて少し緊張が和らいだ。

 どれくらいそうしていただろう。実際には十数秒でも、何分にも何十分にも感じる。

 どちらからともなく腕を緩め、距離を開けていく。気恥ずかしくてずっと下を向いていたら、文くんが口を開く。

「あー、落ち着いて考えたら、こんな状態のもの出せないか」
「え? あ……」

 彼の視線の先にはしわくちゃの婚姻届。

「これ、どうしてこんな風に?」

 夕方私が置いてきた時は綺麗だったのに、どうしてこうなってしまったのか見当がつかない。

 私が質問すると、文くんは言いづらそうに答える。

「ん……家に帰ってミイがいない上部屋のものもなくなってるのに気付いた流れでこれを見つけて……慌てて掴んで出てきたから」
「そ、そうだったの?」

 私がいなくて慌ててくれたの?
 思いもよらない理由に油断してたら顔がにやけちゃいそう。

「やっぱり提出するならちゃんとしたもの出したいよな。これは破棄して……」
「あ、ダメ!」

 文くんが引っ込めかけた手を咄嗟に追いかけて、婚姻届を掴む。目を丸くする文くんに小さく返した。

「記念っていうか……取っておきたいから……あっ。ごめん。そういうの、重い? だったら気を付ける」

 言い終えた時にふいうちですっぽり抱きしめられ、私は婚姻届を握ったまま硬直した。

「ううん。ミイは昔からそういう感じだよな。……うん。ずっと可愛いとは思ってた。まさかこんな形で気付かされるとはね」

 文くんは噛みしめながらそう囁いた。
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