小さな願いのセレナーデ
「ごちそうさまでした」
「もう少し、居れない?」
帰ろうと立ち上がる私を、彼は上目遣いで見る。

「……いいです、けど」

本音を言うと、今すぐ逃げ出したい。
だけど逃げ帰ってもユキさんに怪しまれそうだ。
でも会話で、ユキさんにボロを出されるのは少し困る。

「バイオリン聞きます?弾きましょうか?」
「本当に?演奏してくれるの?」

そう言えば『寝れない』と言っていたが、いつも私の演奏を聞きながら寝てた人は誰だ…とあの姿を思い出した。

「いいですよ」
私はすぐ、バイオリンをケースから取り出す。
楽器の調整をして、構えて深く深呼吸すると、弓を垂直に引いた。

彼は最初の音を出した瞬間、目を見開いていた。
だって演奏しているのは、シューベルトのピアノ三重奏曲第2番の第二楽章。
私達の、出会いの曲だから。

だけどしばらくすると、彼はうとうと目を閉じ始めた。


「……寝た、かな」
手を止めても、彼の瞼は閉じたままだ。


「あら、本当に……」
キッチンで夕食の支度をしているユキさんも、顔を覗かせては驚いた顔をしていた。

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