おとぎ話を信じる年齢なんてとっくに過ぎました!~OLシンデレラと大人王子~
 日本。無情にも日常というものは帰ってくるもので、千秋は一か月前の夢のような三日間を糧に生きている。仕事を終えて帰るともう23時、風呂に入る時間しかない。しかしお酒は飲みたい。床に散らばった服を避けながら冷蔵庫まで何とか進んで目当ての缶ビールを手に取り勢いよく飲んだ。すっかり汚部屋化していることで、余計に日常なのだということが強調されて楽しかった旅とのギャップが酷い。
げんなりしていると、そこへ携帯の着信が鳴った。相手は友人で同僚の大沢真智である。
 「ちょっとアンタ、覚えてる?」
 「何を?」
 「合コンよ、合コン!」
 「合コンじゃなくパーティね、しかも会社の付き合いの。接待みたいなものでしょ。」
 千秋はビールを飲みながら、興奮する友人に残酷な真実を突き付ける。
 「明日、ドレス買いに行くからね!忘れないように!」
 「はいはい。」
 現実を突きつけようが、めげない彼女は言うだけ言って電話が切れた。「別にそんなお洒落しなくても……。」と千秋は思うが、友人曰くそういったものが「嗜み」というものらしい。明日は久しぶりの休みだから家に引きこもって趣味である女児向けアニメの「ゆめいっぱい!シンディーズ♡」鑑賞に没頭しようとしていたのに残念だ、なんて思ってしまうのは「頓着しなさすぎか。」と独り言を言いながら残っていたビールを一気に飲み干し、空き缶をゴミ箱に投げ入れた。因みに彼女の趣味である女児向けアニメは、女の子達が恋をして、それをパワーに敵と戦うありがちなお話である。
 翌日、車を持っている真智が迎えに来た。待ちきれないという様子で、ずっと電話の着信が鳴っている。特に化粧をする習慣はないので、適当に着替えてエントランスへと出た。
 「アンタ、化粧ぐらいしたらどう?元が綺麗なんだからさ。」
 「そういうの興味ないって知ってるでしょ?」
 助手席へ乗り込んだところで車はするりと出発した。
 「どうせパーティに行くのも毎回誰かの結婚式で着るようなワンピースでいいや、なんて思ってたでしょう。」
 流石友人、大正解である。千秋は友人の結婚式が来る度に紺色のワンピースを着まわしていた。そういったものに執着心がないのである。彼女の家は父子家庭だった、だから化粧を教えてくれたり、着るものについて教えてもらえる環境になかったのだ。時々母親とは会っていたが、いつも新しい服を着て、いつも綺麗に化粧をし、男性と交際するというイメージが深層心理的に悪いイメージになってしまっているのである。
 店に着くとそこは旅で行ったような場所だった。日本とは思えないような店、少なくとも千秋はそう感じた。友人は慣れたように色々と物色しているが、千秋は如何にもといった様子で辺りを見回している。
 「何かお探しですか?」
 店員が声を掛けてくるのは物凄く苦手だが声を掛けられてしまったので、仕方なく状況を説明してみた。
 「パーティですか、良いですね。これはどうです?ロンドンから取り寄せた新作なんですよ。この店にも、もうこの一着しかなくて。」
 見せられたのは大胆な黄色いドレスだ。オフショルダーのマーメイドドレスにスリットが入っている。
 「お客様はお綺麗ですからお似合いになられると思いますよ。」
 こんな女優が着ていてもおかしくないドレスが?商売上手だな、店員さん。などと思いながら一応、示されたドレスを眺めてみる。この前履いたルブタンにも合いそうなデザインだ。ひとまず試着してみることにして、真智へ一言かけた千秋は店員に案内されて試着室へ入った。
 サイズ感はぴったり、しかもあの素敵な旅行を思い出させるような雰囲気すらある。お値段も素敵だったが、ここは思い切って買うことにする。真智も真っ赤なドレスに決めたようで、大きなショップバッグを手に二人は店外へ出た。「このあとどうする?」などとありきたりな会話をしながら、近くのカフェで少し話すこと決まる。
 「でも千秋、よくあれ買ったね。普段のアンタなら絶対買わないでしょう。」
 「そうだね、でも一目ぼれだったから。」
 千秋はコーヒーを飲みながら真智へ言葉を向ける。
 「良いことじゃない。そうだ、この前言ってた人、どうなった?」
 尋ねられた千秋は一瞬、目をぱちくりとさせたが直ぐにロンドンのことだと思い至って、ひとつ頷いた。だが実際のところどうなったも、こうなったもないのである。
 「何もないよ、連絡先知らないもの。」
 「チョット、アンタねえ……少し年上にしたって連絡先ぐらい聞いておいたらどうなの?」
 「偶然会って、雨宿りにお茶して、それでおしまい。おとぎ話の主人公に憧れる年齢なんてとっくに過ぎてるでしょう。」
 変に現実的なのは、やはり父子家庭で育ったからだろうか。真智は呆れたように大きな溜息をついた。
 「まあ次のパーティで、必ず誰かゲットして、例のドラマごっこするわよ!寝顔を撮って送るやつ。それに、会社主催のパーティならイケメン社長も居るかもね!」
 こういったノリは嫌いではないが千秋は全く乗り気ではなく、生返事を返して先程買ったばかりのドレスへ意識を移した。「あれを着れば、一日ぐらいロンドンに戻れるだろうか。」おとぎ話に憧れる歳ではないと言っておきながら、結局どこかでロマンスを夢見るのは女の性質というものかもしれない。「このままアクセ見に行くわよ!」なんて、強引な真智に一日中振り回されたのは言うまでもなかった。

 そしてパーティ当日、千秋は買ったばかりのドレスに身を包んで申し訳程度にオープンハートのネックレスを着けた。流石にオフショルダーで胸元の大胆に空いたドレスに何も着けないのは少し寂しい。そして旅行以来の本格的な化粧をして、ルブタンを履いた。やはり気分はロンドンだ、このチープなアパートの扉さえなければ。
 今日はアルコールがあるので真智の迎えはない。適当な大通りでタクシーを拾って、千秋は有名ホテルへと足を運んだ。来ている面々もまた、一様にドレスアップして美しい人ばかりである。普段あまりこういった格好をせず、如何にも服に着られている自分は浮きやしないかと辺りを見回したところで真智を見つけた。
 「真智。」
 長い黒髪を結い上げて、うなじを見せるような恰好となっている彼女は確りキマッている。赤いドレスが映えてとても綺麗だなと女ながらに思ってしまった。彼女が折角だから写真を撮ろうと言うので、ライトアップされた噴水の前で写真を撮った。
 「後で送ってね。」
 「勿論!こんなにお洒落してる千秋は珍しいし~。」
 茶化してくる彼女と一緒にエントランスへ入り、会場へと足を運んだ。慣れない恰好だからかどうにも他の女性のように上手く歩くことが出来ない。真智に手を借りようにも、彼女は早速好みの男性を見つけたらしく離れてしまっている。仕方なく千秋はシャンパンの入ったグラスを片手にバルコニーへ出た。パーティとあってか人も多く、何かを食べる気にもならずに結局昔で言うところの壁の華というやつである。手すりに両腕をついて、まだ明るい街並みを眺めた。しかし綺麗ながらも何処か日本らしい夜景に何故か残念さを覚える。余程ロンドンが気に入ったのか、或いは謎の出逢いが未だ心のどこかに引っ掛かるのか。ともかく、夜風は心地よく人酔いを起こしそうになった胸やけのようなものがスッと引いていくのを感じた。しかしあまり当たりすぎると、このオフショルダーでは風邪を引きそうだ。ストールでも肩にかけてくるんだった、と後悔したところへ聞き覚えのある声が聞こえた。
 「こんばんは、いつかお会いしましたね。気分転換ですか?」
 バッキンガム宮殿の裏庭でお茶をした章介だ。千秋は驚いて、ついシャンパンを一口飲んだ。
 「あ、はい――こんばんは。少し人に酔ってしまって。」
 「奇遇ですね、僕もそんな感じです。まさか此処でお会い出来るとは思いませんでした。名乗るだけで連絡先を聞くのを忘れていましたから。」
 彼は困ったように眉を下げたが、千秋の内心はどきどきしていた。この人と居るだけで、あの楽しかった旅の一日に戻ったかのような感覚を得る。彼が携帯を取り出したので、千秋も黒いクラッチバッグから携帯を取り出した。
 「確か、振れば良いんでしたよね。」
 「うーん、それでもできますがコードの方が早いと思いますよ。」
 携帯をただ振るだけの動作をする彼にコードの存在を教えて、読み取ってもらった。仮に真智がこの話を聞けばかなり盛り上がるだろう。
 「ああ、失礼。冷えてきましたし、良かったらこれをどうぞ。」
 そう言いながら章介は着ていたジャケットを脱いで、千秋の肩に掛けた。見苦しかったろうか、などと余計なことを考えそうになる前に彼は確りと此方を向いてあの柔和な笑みを浮かべた。
 「今夜の貴女は、此処の誰よりも美しい。――なんてね、若い頃の癖でつい。気に障ってしまったら申し訳ない。」
 「あ、いえ……その、ありがとうございます。」
 千秋は思わず頬を染め、無意識のためそれに気づかず礼を述べた。「何処か飲み直しに行きませんか。」そう提案されたが頷くことしか出来ず、彼にエスコートされるまま煌びやかなパーティ会場を出ることにする。始まって間もないパーティではあるが、このまま此処に居るのは何となく居心地が悪かったのでありがたい話だ。この近辺に彼の気に入っているバーがあるようで、其処へ案内される。店内は落ち着いた雰囲気だが、よくあるバーといったところか。
 「誰かと一緒なんて珍しいな、章ちゃん。」
 声をかけてきたマスターがにこやかに彼へ声をかけた。恐らく同世代だろうが、傍目にはそう見えない辺り、やはり章介の見た目は詐欺だろう。
 「久しぶりに綺麗な星をつかまえたのさ。良いだろう?」
 「お前のそういう気障なところ、俺は嫌いじゃないけど隣の女の子に引かれるぜ。」
 忠告するように言うマスターにそんなことはないと必死に否定していると、柔和な笑みしか未だ見たことのない章介が面白そうに笑っていた。
 「いつもの個室、空いてるけど使うか?」
 「ああ、使わせてくれ。彼女もその方が気兼ねなく飲めるだろう。」
 さあ、こっちへ。などと言いながら手を引いてくれる彼について千秋は店内を歩く。出会ってからというものの、当然ながら敬語を使ってくれる彼が発するタメ口に少しどきっとしてしまう。歩幅はかなり違うはずだが、彼が上手く合わせてくれているのか先程一人で奮闘していたときのような歩きづらさは微塵も感じなかった。
店の奥にある一室、そこがマスターの言っていた個室のようだ。中は意外にも暖色系のグレーで纏められた上品なデザインで、小ぶりのシャンデリアが室内を照らしている。
 「意外だろ、お嬢さん。この店には合わないって言ったのに章ちゃんのヤツが自分好みに改装したんだよ、この部屋。」
 「そうなんですね、この感じだと……フランス?」
 当てずっぽうのつもりが正解してしまったらしく、マスターは「あとはごゆっくり。」と肩を竦め、ワインとグラス一瓶とグラス二つを置いて出て行ってしまった。
 「よくわかりましたね、葉山さん。」
 「いえ、雰囲気が何となく――。」
 「僕フランス人のクオーターなんですよ、日本人顔ですけどね。ですから祖父にあやかってこういうデザインに。」
 だからこその美貌かと納得がいってしまった。そう考えている間に、章介は慣れた手つきでボトルを開けグラスへワインを注いでいく。普段誰も連れてくることがないのなら、一人でこうして飲むのが好きなのだろうか。興味は尽きない。
 「今夜は付き合ってくれてありがとう、乾杯。」
 いつの間にか渡されていたグラスを手にしていると、彼はグラスを軽く掲げてから、するりと赤いワインを一口飲んだ。千秋は慌てて同じようにグラスを傾けて、ワインを一口飲んだ。普段飲むワインより甘い味わいの辺り、これはアイスワインなのだろう。ロンドンで彼が甘いものが好きだと言っていたのを思い出す。
 多少強引ながら、買い物に連れ出してくれた真智に感謝しつつ千秋は、このひとときを楽しむことにした。
 「そういえば普段、お仕事は何をされてるんですか?」
 唐突に章介が千秋へ質問した。世間話にはよくありがちな話題である。会って間もない上に、初対面から一度も会わず一か月も経ってしまえばこうなってしまうのは当然のことだ。千秋はロンドンで彼と連絡先を交換しなかったことを初めて後悔した。
 「しがない広告代理店のOLです。――松比良さんは、どんなお仕事を?」
 当たり障りのない会話が続くが、特に不快ではないのでワインを時々飲みながら彼女は同じ質問を彼に尋ね返した。
 「ああ、僕は……うーん、そうですね。輸入雑貨関連の仕事、とでも言っておきましょうか。マスターがこの部屋を改装したのは僕だと言っていたでしょう、ちょうど友人のよしみで頼まれてね。」
 章介は少し考えてから彼女の質問に答えたあと、優雅にワインを口に含んだ。
 「そうだ、折角ですしお名前でお呼びしても構いませんか?日本では苗字を呼ぶのが普通ですが、向こうでは友人になると名前で呼び合います。僕は昔ロンドンに住んでいたのもあってか其方の方が慣れていて、どうにも日本のこれにはいつまでも慣れないんです。」
 「……ああ、どうぞ。お好きに呼んでください、あの……章介さん?」
 「はは――ありがとう、千秋さん。」
 彼は隠しているようだが何となく嬉しさのようなものが伝わってくるようで、千秋まで嬉しくなってしまう。彼女も今更名前で呼び合うことを喜ぶ年齢でもないが、彼とのことに限ってこの距離感は心地よいように感じてしまう。「折角ですからもう一度。」と、友人になったことに対し乾杯をしてワインを飲み進める。
 ほろ酔い気分と彼の声がとても心地よいと千秋は感じていた。他愛もない会話が続いたが他の男性と話すときのような退屈さも感じない。しかし流石はアイスワイン、程よく眠くなってきてしまい彼女は章介に隠れて欠伸をひとつ零した。一切乱れない彼は最後の一杯を飲み干したところでまた時計を確認した。
 「千秋さん、大丈夫ですか?」
 「はい、何とか……。」
 千秋はこのまま何処かへ連れていかれても、などと考えていたがそう簡単にはいかないもので紳士的な彼は「お宅までお送りしますよ。」と言いながら、帰り支度をしている。仕方なく千秋も立ち上がろうとしたところで、アルコールの回った体がよろけてしまった。そこへすかさず慣れたような仕草で抱き留められてしまうと、章介は楽しげにくすと笑って一言囁きかけた。
 「可愛らしい星さん、あまり無防備だといくら僕でも金平糖みたいに食べてしまいますよ。――今夜の貴女はとても甘そうだ。」
 からかっているつもりなのか、章介は楽しげに抱き着いたままの千秋を離してバーを出た。「そういえばお金……。」と思ったのは既に彼が会計を済ませた後のことだったのでありがたく厚意に甘えることにする。連絡先を交換したので、今後何かしらの形でお礼が出来るだろうと考えたからだった。
 しかしそれにしても、先程抱き留められたときに感じた体温と柔らかく控えめなコロンの香りがアルコールの回って少しぼんやりした思考の中をぐるりと埋めつくして離してはくれない。挙句の果てに、イケメンだからこと許される気障な誘い文句のような言葉も耳に残っている。どうにも頬を赤らめてしまうような展開ばかりで、つい「これは乙女ゲームの中の話か!」などと内心ツッコミを入れながら、照れ隠しをして両手で顔を隠した。当の犯人は隣で窓辺に腕をついて流れる外の景色を眺めているようだ。何かを考えているようにも見えてしまう。
 彼女は真智と話した、例のドラマごっこの話など忘れていたがもうどうでもいい。先程の展開は学生時代以来のどきどきした思い出として取っておくことにし、丁寧に礼を言って彼女はタクシーを降りた。
 「またお金……、」
 千秋は呟いたが、今度お礼をしようと改めて心に決め部屋へ戻った。
 夢のような一夜は、あっという間に過ぎてしまったが千秋はいつものように着ていたものを脱ぎ散らかすことはせず、丁寧にドレスを仕舞って部屋着姿になってからベッドへ倒れ込んだ。化粧を落とすのを忘れているが、もうそれどころではない。大人の色気たっぷりの慣れたような台詞にすっかりやられてしまっている。未だにあのシトラス系の香りまでしてきそうだ。彼女は夢のような時間を大事に抱きしめておきたいと、部屋の電気を消し瞳を閉じた。部屋の中を見ては結局おとぎ話から現実に戻ってしまう。せめて今夜だけは、このほろ酔い感に浸ったまま眠りたい。
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