その星、輝きません!
財布の落とし主
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 本来なら、自分が行く案件ではないのだが、父にどうしてもと頼まれ、長野の観光地へと向かった。父の古くからの友人が経営するホテルを、買い取って欲しいという事らしい。

 普段なら秘書も同行させ、運転手に運転させるのだが、大きな契約が片付き、昨日アメリカから帰国したばかりだ。秘書も休みたいだろうし、正直、俺自身が休みたいと思っていたのかもしれない。長野までの三時間余りのドライブも悪くないと思っていた。


 父との約束の時間より早く到着した。どこか食事のとれる落ち着いた場所は無いかと探す。
 透明感の高い水の流れる川沿いに、一軒のカフェを見つけた。取り合えずここで一休憩しよう。


 カフェの入り口を開けると、意外に広く落ち着いた雰囲気が流れている。

 天気も良いし、オープンテラスへと思ったが先客が居た。女性二人組。何がおもしろいのか、涙を流しながら笑っている。うるさそうだと思い、店内の窓際の席に座った。

 彼女達を避けたつもりだが、座った場所から、丁度、笑っている女性の顔が見えてしまう。小さくため息をつき、タブレットで本社からのメールの確認を始めた。


「ご注文はいかがいたしましょう」

 小さく切ったレモンの入った水を、テーブルに置いた店員が言った。

「ランチセットで」

「かしこまりました」

 グラスを手にすると、オープンテラスに座る女性が目に入ってきた。さっきまで、あれほど笑っていたのに、今は神妙な顔付きで何か話している。悩み事でもあるのだろうが、静かになってありがたい。一口水を含みグラスをテーブルに戻した途端、また、彼女は笑いだした。仕方なく、タブレットに集中する。


 ランチのスープが運ばれてきて顔を上げると、また、彼女の姿が目に入ってしまう。今度は、向かいに座る女性の話に、頷きながら真剣に聞いている。食べている間くらい、そのままでいてくれればありがたい。だが、そうは続かず、すぐに噴き出すように彼女は笑い出した。眉間に皺をよせ、本気で怒った顔をしているかと思えば、また、すぐ笑う。

 俺が店を出るまでの、一時ほどの間に、どれだけ表情を変えただろうか?何がそんなに面白いのだろう? あれほど笑える事が世の中にあるのだろうか? 単純な事で笑える、呑気な人間なのだろう。俺には関係ない。


 食後のコーヒーを飲み終え、店の外に出る。積み重なる白い大きな石の上から、流れ落ちる水の音に目を向ける。川からのほどよい風に、ふっと息を吐いた。


 胸ポケットに収めた財布が落ちた事には気付かなかった。

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