月のひかり
【6】三年半後の、遭遇

「保田、今日飲みに行かないか」
 と土居から誘われるのは、入社直後に研修で組んで親しくなって以来の、言ってみれば習慣のひとつである。
 だから、その日の誘い方というか、口調や表情がいつもとどことなく違うことには、わりとすぐ気づいた。それは口実で、おそらくは何か話したいことがあるのだろうと推測したから、少々無理矢理ながらも、その日の仕事は七時で終わらせた。
 四月に、そんな時間に上がれることはまずない。忙しい時期であるのは確かだが、いまだ要領がいいとは言えない自分の不器用さ、要は未熟さも、大いに影響しているだろうと思う。
 八年目になってもまだ、主張を通すよりも、相手の言い分に譲ってしまうことの方が多い。……その姿勢は、仕事だけに限らないのだが。
 ともあれ、待っていた土居と落ち合い、行きつけの居酒屋兼定食屋に向かう。明らかに話したいことがある素振りを見せるくせに、席に落ち着いて注文を済ませても、土居はなかなか本題に入ろうとしなかった。やっと話を切り出したのは、食事を終えて酒を飲む段階に入ってからだった。
「結婚することにしたから、十月に」
 内容自体は予測の範囲内にあったものの、土居が無表情で唐突に言ったため、孝は口に含んだビールで一瞬むせそうになる。
 なんとか詰まらせずに飲み込み、ひとつ咳をしてから口を開く。
「てことは、例の彼女とやっと、なのか?」
「ん、まあ、そういうこと」
 一転して、照れくさそうな笑みを顔一杯に浮かべながら土居は答える。孝も自然と笑顔になった。
「そりゃよかったな。おめでとう」
「例の彼女」には、三年前に付き合い始めて以降、一度だけ会ったことがある。面食いの土居らしく、女優並みの美人だった。それでいてお高く止まったところも嫌味も感じさせず、初対面でもとても話しやすい女性だった。
 またずいぶんとうまく、理想的な相手を見つけたものである。
 ありがとう、と返す土居は、もはや幸せを押さえられないといったふうに笑み崩れている。無理もないが、同期の他のやつらが知ったらまたひと騒ぎあるだろうなとも思って、微妙に心配になった。彼女のことが知れた時も、半分は本気で妬まれて、しばらくは事あるごとに彼らにいじられていたぐらいだから。
 当人は、やはり今はそんなことにまで思い至らないようで、飲み食いしながらも表情は変わらない。と思ったら、ふと何かに気づいたような目で孝を見る。土居もかつての騒ぎを思い出したのだろうかと考えたが、そうではなかった。
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