はるか【完】
記憶
―――家に帰れば、久しぶりにお母さんと鉢合わせした。
お母さんは私の姿を見るなり、ビクッと肩を震わせて。


「お、おかえり、はる⋯」

オドオドと言ってくるお母さんに苛立っていく。
おかえり⋯。
⋯どの口が言っているの?


お母さんを無視してもう一度と外に出るために玄関の方に向えば「遥!」と、お母さんが私の後ろについてくる。


それさえも無視していると、「が、学校から電話があったわ⋯」と、私と会話をするつもりらしく。


母親みたいな事を言ってくるこの人に、苛立って仕方ない。


「最近、行ってないみたいだけど⋯」

「⋯⋯」

「そ、れから、⋯あまり、夜遅くウロウロしない方が⋯」

「⋯⋯」

「遥⋯」


ムカつく。なんなの、今更。


靴を履いていると、視界の中にお母さんの靴がはいりこみ、それを見て更に苛立った私は、その靴を掴むとお母さんに向かって投げた。



「今更母親ヅラすんな!!!」


お母さんに当たりはしなかったものの、「きゃっ」と身構えたそいつは、身構えた腕の間から恐る恐る私を見てくる。


どうして私がこんな気持ちにならないといけないのか。この女を見る度に、小さい頃の自分を思い出す。⋯―――ムカつく。


「⋯⋯うっざい、ほんと⋯」



自分自身に言うように呟き、私はバタン!!と、音を立てて家を出た。



苛立つ私は、終電間際の電車に乗り込み、繁華街へと向かう。


あんな事、言いたいわけじゃないのに。

お母さんよりも自分自身に苛立つ私は、今日はどこに泊まろうと、投げなりにそんな事を考えていた。


私の家は、DV家庭だった。
父親はいつも、お母さんを殴ってた。
叩いたり、物を投げたりしてた。
言葉でも、お母さんを罵っていた。


私はそれを、いつもクローゼットの中で見ていた。


その時の私は幼かったけど、父親には近づいてはならない。反抗してはならないって、分かってたんだと思う。



そんなある日、お母さんは、家からいなくなった。


私を残して。


それは、暑い夏の日だった。



父親はお母さんの代わりに、私をその対象とした。叩かれて蹴って叩かれて蹴られて。


ごめんなさいって、何回も謝った。

謝っても、父親の暴力はおさまらない。

お母さんは帰ってこない。

私を捨てた母⋯。






どれだけの日が過ぎたのか。部屋の中心で蹲っていた私は、父親がいないことに気がつく。


誰か、助けて。と。


お母さん、助けて⋯ではなく、誰が助けてと思った私は、玄関の方へと向かう。


お水を飲みたいのに、水道さえ届かない。


何も食べていないせいか、部屋の中が暑すぎるせいか、すごく家の中が広く感じ。

玄関の扉を開けようにも、背がまだ低い私には、扉の鍵が届かなくて。



ここから出られないと絶望した私は、多分、そのまま意識を失った。





覚えているのは、それだけ。



いつの間にか、私を捨てた女が戻ってきていた。


すごく泣いて私を抱きしめていたけど。


私を1度捨てた母⋯。



そんな母を、私は今でも許していない。


「―――よう」


繁華街近くの最寄りの駅の花壇の上に座り込んでいると、男から声をかけられた。
小さい頃の自分を思い出していた私は、ウンザリとした気分でその声を無視した。



「無視とはいい度胸してんな」



けど、その声に聞き覚えがあった私は、顔をあげる。そこには夜の繁華街には似合わない男がそこにいて。



真希ちゃんの男⋯。

もう会わないだろうと思っていた、穂高で。



「⋯何」

私はそう言って、視線をまた下へと向けた。



「お前、真希の友達みたいだから、選択肢やるよ」


選択肢?


「拉致られるのと、黙ってついてくる、どっちがいい?」


それって、どっちも行く先は同じだよね。
そう思った私は、もう一度穂高の顔を見る。



「友達じゃなかったら?」

「殺す」


3個の選択肢があるようで。
立ち上がった私は、「どこ行くの?」と、穂高に問いかける。


穂高は鼻で笑うと、「来いよ」と歩き出す。

清光高校の、トップの穂高晃貴。そんな彼に歯向かうほど、私は馬鹿じゃない。


西高よりも、恐れられている存在⋯。



歩きながらどこかへ電話をかけている穂高の背中を見つめる。人混みの多い繁華街を抜け、路地裏へと進む。



いつの間にか電話を切ったらしい穂高は、路地裏でピタリと足をとめ、少しだけ距離を置いた私を見下ろす。



「―――⋯真希を利用してんのか」



ここに来てからの穂高の第一声がそれで、私はピクリと肩を震わせた。


利用⋯。


そう言われれば、そうかもしれない。


良君のことを知るために、真希ちゃんに近づいたんだから。


でもそれを、どうして穂高が知っているのか。


「お前、渡辺ってやつと付き合ってんだろ?」


何故、それも耳に入っているのか。
というか、裕太とは別れてるし。

どうしてわざわざ、穂高が私に話しかけてきたのか分からない⋯。


「なんで高島?」

「⋯」

「まあ⋯俺、別にどうでもいんだよ、そっちの事は。渡辺だろうが、高島だろうが。てめぇがビッチなのは」

「⋯」

「けど、真希を巻き込むのは許さねぇ」


⋯許さない。



「⋯真希ちゃんとはもう関わらないよ」

「舐めたこと言ってんじゃねぇよ、もう関わってんだろ、だから俺が出てきてんだろ」


顔に似合わず、言葉使いが悪いこの男。



「いるんだよなあ、お前みたいなやつ」

「⋯何が」

「真希を狙うために遠回りしてくる女。なあ、お前はどっちだ」

「え⋯?」

「真希を潰すために高島に絡みだしたのか」



真希ちゃんを潰す?

何言ってるの?


潰すって何。



ポカン⋯、となってしまう私は、「え? い、意味分かんない⋯。潰すって何」と、慌ててしまう。

―――遠回りしてくる女?


「ま、真希ちゃん、誰かに狙われてるの⋯?」


私の言葉に眉間にシワをよせた穂高は、冷たく見下ろしてくる。


「あ?」

「な、なんで!?」

「⋯⋯」



真希ちゃんが狙われている?

なんで?

あんなにいい子なのに。


すごくすごく、いい子なのに。




唯一、良くんを優しいって事を知っている人なのに。



「誰に狙われてるの!?」

「だからお前みたいなやつだって言ってんだろ」


私みたいな⋯?

裏でコソコソ動いていると?


私が真希ちゃんを狙う?


そんな馬鹿な話があるか。



「変なこと言わないでっ! 私が真希ちゃんに近づいたのはっ⋯」

「近づいたのは?」



近づいたのは⋯。


良くん⋯⋯を、目的とした事。



それを言うの?


この男に?



疑われないために⋯。


「近づいたのは?何だよ、早く言えよ」


良くんが好きだと?

もう、関わること無いのに。



諦めたのに。




「あなたが言う渡辺って男の子と、付き合ってた。でも今は別れてる」

「で?」

「別れた理由は、私が良くんを好きだから」

「⋯」

「真希ちゃんに近づきたいから、良くんに近づいたわけじゃなくて。その逆」

「⋯」

「良くんに近づきたいから、良くんのことを良く知ってる真希ちゃんに近づいた」

「⋯」

「それだけ」

「なんで真希?そっち側の方が高島の事をよく知ってんだろ」


よく知ってる?
喧嘩っ早くて、暴君だと?


「⋯真希ちゃん、だけだよ」

「何が」

「良くんのこと、優しいって言うの。そんなこと、こっち側で聞いたことない」

「⋯」

「でも、もう諦めたから。彼のことは。真希ちゃんとももう関わらないよ。安心してよ」



私は乾いた笑いを出し、穂高を見上げる。

多分、この男は真希ちゃんが好きで仕方ないんだろうと思った。だからこんなふうに声をかけてきて、尋問みたいな真似をして。



「⋯男の趣味悪いんじゃねぇの」


呆れたように言ってくる穂高が、ムカつく。


「それ真希ちゃんにもいるよね」


この人は全然、優しくない⋯。


また馬鹿にするように鼻で笑う穂高は、「ンなら、お前も気ぃつけとけ」と、呟く。


気をつける?
何が?


「真希の友達だから、狙われるかもしんねぇ。周りのことよく見とけ」


真希ちゃんの友達だから?

狙われる?

誰に?

私に忠告してるらしいその男は、「清光の安藤って言ったら分かるだろ」と、不良の顔をする。


安藤⋯っていえば、清光の、もう1つのトップの人。確か穂高と争っているどうとか。


「わ、かるけど⋯、なんで?なんで私?」


真希ちゃんとは、数回会っただけだし。
安藤に狙われる意味が分からず。


「お前を拉致って、真希を脅してくるかもしんねぇ。そういうこと。俺は別に、お前なんかどうなってもいいけど」


ようするに、真希ちゃんに被害が行かないようにってこと?
ああ、これが根回しってやつか⋯。
つまり真希ちゃんは、安藤に狙われているってこと⋯。


「で、でも、⋯あなたもいるし、聖さん達もいるし、真希ちゃんは⋯」


バックがあるのでは?
味方が沢山いるのでは?


「あいつら引退したろ、だから今が狙われやすいんだよ分かんねぇか」




引退?
聖さんたち、引退したの?

知らなかった。

全然、溜まり場に行ってなかったから⋯。


そっか、もう、年上の人は、いないんだ⋯。



だから裕太が抜けるって言った時、あんなに潤くんが怒ってたんだと、今更理解する。


もう裕太が、上の立場の人間だったから。


「わ、かった⋯、気をつける⋯⋯」

「⋯⋯」



もう要件が済んだらしい男は、背を向けて歩きだそうとして。

真希ちゃんと付き合っている穂高。
敵の彼女の妹と、付き合ってる人。



「ね、ねぇ、待って。教えてほしいことがある!」


少し声を大きくして口を開けば、穂高が振り向きこちらを向く。


「なんで真希ちゃんと付き合ったの、敵⋯だった子でしょ。絶対、反対とかされたでしょ」


穂高の瞳が、鋭くなる。


「今も、何か言われてるんでしょ」


あなたが言ってたんだよ。
全員がいいと思うわけじゃないって。

まだ反対している人がいるってことでしょ。


「教えて⋯。真希ちゃんが好きだからとか、そんな事聞きたいんじゃないの。なんで⋯」



反対されると分かっていて、付き合ったのか。


穂高はため息を出すと、「別に⋯」と、低く呟き。



「真希が俺を選んでくれたから」


真希ちゃんが選んだから?


「ずっと守るって決めただけ」


守ると決めただけ。
今回みたいに、私を尋問したみたいに?


「それの何がおかしい? 」


何が、おかしい⋯。


「そんな事で悩むぐらいなら、お前、そこまで高島の事本気じゃねぇんだろ」


―――周りに反対される。

自分と重ねていることをあっさりバレてしまった私は、何も言えなくて。



「やめとけば?お前に高島は勿体ねぇ」


ほんと、に、ムカつく。

なんなの、この男⋯。


繁華街の表通りに歩いていく穂高の背中を見ながら、泣きそうになった。


だって穂高の言う通りだから。

こんな私に、良くんは勿体ない。

優しい良くん。

そんな私は裕太を傷つけて。

莉子も傷つけて。

潤くんにも迷惑かけて。



「何してんのかなあ⋯、あたし⋯」


その問いかけに、答えてくれる人はいなくて。


悔しい⋯。

情けない。


本当に、自分が、情けない⋯⋯。




私はスマホを手に取り、着信履歴を見つめる。
そこには莉子らしい番号があり。



そこに電話をかける私は、繋がって欲しいと願った。酷いことを言ったのは私なのに。



『⋯何よ』と、莉子との電話が繋がった時、涙が出そうで鼻の奥が熱くなった。


「ごめん」


そう言う私に、莉子は『もう絶交したんだけど』と告げてくる。


「⋯会えない? 莉子⋯」

『⋯⋯』

「自分勝手なのは、分かってる⋯、会えない?」

『⋯今どこよ』

「繁華街⋯、莉子は?」

『家』

「今から行くから⋯、会えない?」

『⋯もう終電終わってるでしょ』

「歩いて行く」

『⋯もういい、原チャで行く。一駅分ぐらい歩きなさいよ』



莉子は待ち合わせの場所を告げると、電話を切り。私はぐっと涙をこらえ、足を進める。



しっかりしなきゃ⋯。

このままじゃ、ダメ。



裕太とも、もう1回、話あおう。


私は莉子の番号を登録し、待ち合わせの場所へと足を進めた。


待ち合わせの場所に現れたのは、化粧もしていなく、髪も巻いていなく、どこからどう見てもお風呂上がりであろう莉子。

突然の呼び出しに少しだけ不機嫌そうな莉子は、原付に跨ったまま「話って何?」と、私を見つめてくる。


それに対して「ごめんなさい」と頭を下げる私は、友達思いの莉子になんて事を言ったんだろうと後悔した。



「謝るぐらいなら、全部教えてくれるんでしょうね」

「うん」

「全部よ?」

「―――⋯うん、全部話すよ。相談乗ってくれる?莉子⋯」


真夜中の、公園。
そこで今までのことを話す私に、莉子は色んな顔をする。

意味の分からない顔。
怒っている顔。
冗談でしょ?っていう顔。



全てを話終わった時、莉子は「マジか⋯」と呟いた。

「裕太くん、私のこと廻すって?」

「うん」

「それで、私と距離を置こうとしたわけ?」

「うん」

「そもそもの原因は、遥に好きな人いるから別れよって言ったからで」

「うん」

「怒った裕太くんが、遥を監禁して」

「うん」

「その相手が、あの高島良⋯ってわけ」

「うん」

「なんか⋯」

「うん」

「複雑すぎて、コメント出来ない⋯」

「だと思う」



複雑すぎる。


本当に、そうだと思った。


「私を廻すって⋯ふざけてんね」


怒っている莉子は、はあ⋯と深いため息を出した。


「でも、それを言わせるような事をしたのは、私だから」


私が良くんが好きって、初めから言えば良かった。


「分かってるけどさ。私、潤の女じゃん。裕太くんの友達の女だし」

「うん」

「追い詰められたっていうのは分かるけど、言っちゃいけないこともあるわ」

「そうだよね」

「まあでも、それほど遥が好きってことよね」

「⋯⋯」

「まあ、今の話聞いて思うことは⋯。私もう裕太くんのこと、今まで通り見れない。追い詰められたってのは分かるけど、監禁とか廻すとか。ってかそれほど好きな女にアザが出来るほど⋯おさえつけたりさ?絶対しちゃダメじゃん」

「⋯うん」

「でも、まあ、裕太くんの気持ち分からなくもない」

「⋯⋯」

「高島良って⋯、やばいじゃん。ってか私あの人嫌いだし。どこがいいのか全然分かんない」

「⋯⋯」

「裕太くんの方が、いい男だと思うけど。⋯ううん、まあ、今はどっちもどっちか⋯」

「⋯優しいの」


私の言葉に、ちらりと私の顔を見てきた莉子。


「何が? 誰が?」

「良くんは、⋯優しいよ」

とっても険しい顔をした莉子は、「どこが」と疑いの目で見てくる。

どこが?

世間からしてみれば、裕太と良くん。どちらか比べれば、きっとみんな裕太を選ぶと思う。


けど、私は―――⋯。



「分からない」

「はあ?」

「どこがとか、顔とか、雰囲気とか、そういうのじゃない。良くんああ見えて、すごく周りのこと見ると思う」

「⋯、⋯⋯そう?」


顔を傾け、意味わかんないという表情をする莉子。そんな莉子に、私は真剣な表情をむける。


「私、もっかい、裕太と話つける」

「大丈夫なの?」

「うん、それで、ちゃんと言う」

「何を?」

「良くんと付き合いたいからって、ちゃんと言う」


もう、別れてるけど。
このままあやふやな気持ちのまま、裕太に対しても失礼だから。


「それで、良くんに告白して、断られてくる」


ちゃんと、自分の気持ちを伝える。


「断られるの前提なの?」

うん。だってきっと、良くんはメンバーを大事にしているから。いつもいつも、無視とか、そんな態度を取っていたけど。

その大事なメンバーの女だった私と付き合いたいとは、思わないはずだから。



「そうだね」

「断られてさ、裕太くんにヨリ戻そうって言われたら?」

「言ってくるかな?」

「言ってくるでしょ、監禁するぐらい好きなのに」


呆れたように軽く笑った莉子を見て、私も笑った。「その時はまた莉子に話聞いてもらう」と。

次の日、私は裕太が通っている西高まで来た。莉子いわく、裕太は学校へ通いだしていると潤くんから聞いたらしい。


そんな放課後間近の時間、私は裕太に電話した。3コールで繋がったその電話。裕太は私からの連絡にすごく驚いたようで『⋯はるか?』という電話越しの裕太の声は、震えていた。



「あの、ごめんね、いきなり。今学校?」

『⋯あ、うん⋯。何かあった?』


裕太とは付き合っていた頃、何度も電話をし合った。毎晩毎晩、『おやすみ』と言ってくれていたから。


「今、西高の門の前にいる」

『⋯⋯え?』

「話したい⋯の」


少し、裕太の声が聞こえなくなった。


『⋯⋯俺と?』



「うん」

『⋯話って⋯』

「あの、本当に⋯自分勝手だと思う」

『⋯⋯』

「裕太とはもう、会わない⋯方がいいって、思ったけど」

『⋯⋯』

「ちゃんと、話したい⋯」

『⋯⋯』

「ダメかな」


電話越しの裕太は、何も喋らない。

それから5秒程がたったとき、『⋯⋯遥は、』という、少しだけ寂しそうな裕太の声がスマホから聞こえて。


『もう俺に会いたくねぇだろ?』


会いたくない⋯。


『遥のことあんな事目に合わせて、遥、俺と会うの怖くねぇの⋯?』


怖くないって言ったら嘘になるけど。
でもそれよりも、きちんと、裕太の顔を見て会話をしたいから。


『俺、まだ遥のこと好きだから、今会ったらまた閉じ込めるかもしれない』

「⋯裕太⋯」

『それでも俺と会う覚悟あんの』


裕太と会う覚悟。
また閉じ込めるかもという裕太⋯。


「あるから、来たんだよ」



私は、西高の校舎を見上げた。私の通う学校よりも古いその高校。そんな校舎を見上げていると、『⋯すぐに行くから、待ってて』と、裕太は電話を切った。


スマホを握りしめ、そこで裕太を待つ。

2分、ほどで来た裕太は酷く息切れしていた。ここまで猛ダッシュしてくれたんだと思えば、すごく申し訳ない気持ちになった。


久しぶり、の、裕太⋯。


裕太は私の姿を見つけ、はっと息をはくと、そのまま近づいてくる。その距離は1メートルほど。



数日ぶりに見る裕太は、それほど代わり映えはしなかった。でも、少し痩せたように見えて。


「いきなりごめんね」

そう言った私に、「ううん」と言った裕太は、「あっちで話す?」と、少し人気のない、自販機の横にあるベンチを指さした。



言われた通りにそこに座る。1人分ほどの隙間をあけたあたしたちに、少し沈黙が流れた。話がしたいと言ったのは、私なのに、あたしをちらりと見た裕太は、その沈黙を壊すように「⋯⋯話って?」と、私から目を逸らした。



私は、すっと息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「あの、あの⋯、私が、今から、言うことは⋯、私がすっきりしたいだけなの⋯⋯。裕太をまた、傷つけるかもしれない⋯」

「⋯⋯⋯うん」


私は、ぎゅっと、自分の手を握りしめた。


「私、裕太のこと、嫌いじゃなかった⋯」

「⋯うん」

「裕太⋯優しいし、かっこいいし⋯すごく、裕太みたいな彼氏がいて、よかったって⋯」

「⋯⋯うん」

「初めての時も、痛がってる最中も、裕太⋯優しくて。申し訳ないって⋯」

「⋯⋯うん」

「っ、⋯で、も、でも。裕太のこと好きにはなれなかった⋯」

「⋯⋯⋯」

「違う、人が、好きだったから⋯」

「⋯⋯⋯」

「本当に、私が、悪い⋯。こんなあやふやなまま、裕太を傷つけて、⋯ごめんなさい⋯」

「⋯⋯⋯」



こんな、こんな、身勝手な気持ち。

言いたいのは、 言いたいのは、こんな事じゃない。
私は、私は、―――⋯。



「優しい人なら、誰でも良かったの⋯!!」



裕太じゃなくても。
その辺に歩いている人でも。
本当は、誰でもよかったの。

たまたま、裕太だっただけ。


「もし潤くんが優しそうなら私は潤くんを選んでたの!!」

「⋯⋯」

「あたし、あたしは⋯」

「⋯⋯」

「今まで付き合ってなくてもキスしたのは、その優しさをはかるためでっ⋯」

「⋯⋯」

「裕太と付き合ったのはっ、裕太が、裕太が、穏やかで、優しそうでっ、いい人そうだったから⋯!!」



どうして、こんなにも。
〝優しい人〟にこだわるのか。

その理由は、一つだけ。
今でも夏が苦手な理由と、閉じ込められるのが苦手な理由。


「お父さんみたいなっ、暴力でっ、私を殺しかけた人とは絶対結婚しないって、思ったから!!」


裕太の顔が、見れない。
今どんな顔をしてるのか、分からない。



「だからっ、今でも夏が苦手なのっ」


あの日、あの、夏の日。


「母さんが突然いなくなって、数日間、ずっと、私だけ暴力されててっ、家に閉じ込めれてっ鍵を開けようにも背が届かなくてっ⋯!!」

「⋯⋯はるか」

「それぐらい、小さかった⋯。今思えば踏み台を利用すれば家から出られたのに、それを考えられないぐらい⋯⋯、子供だったし⋯へばってた⋯」

「⋯⋯」

「気づけば、病院だった⋯。熱中症とか、疲労で、しばらく入院してた⋯」

「⋯⋯⋯」

「⋯わかる?裕太⋯」

「⋯⋯はるか、俺」

「一緒なの、裕太が、してきたこと⋯。⋯⋯裕太が、お父さんと重なって⋯怖かった⋯」

「⋯⋯っ⋯」

「⋯⋯裕太を責めてるわけじゃない、元凶は私だし。私がこんなにふらふらしなかったらこんな事にはならなかった」



あたしが、私が良くんを、好きにならなければ。


「ごめんね、⋯ごめんなさい」


謝罪をする私に、裕太は何も言ってこなかった。
ただずっと、顔を下に向けていた。


そこから少し沈黙が流れ、声を出したのは、裕太の方だった。


「⋯⋯ごめん」と。


「そういう、の、今思えばあった⋯。俺、遥のこと叩いてないのに「叩かないで」とか、言ってきたの⋯、それ、フラッシュバックしてたんだな」


フラッシュバック⋯。


「⋯⋯ごめん」

「裕太のせいじゃない」

「⋯⋯うん、でも、ごめん」

「⋯⋯」

「⋯⋯ひとつ、聞いていい?」


裕太が、私の方に向く気配がした。


「⋯⋯うん」

「なんでさ、良くん? 」

「⋯⋯」

「つまり、優しい人じゃなくて、暴力をしない人がいいってことだろ? 暴力って、それさ、すげぇ良くんに当てはまるけど⋯それはおかしくない?」


おかしい。
おかしくない。
どちらかといえば、おかしいんだと思う。



「そうだね、自分でも⋯思うよ」


それでも、私は良くんが好きで。
きっとこれからも、良くんが好き。


「結局は、血筋なのかなあ⋯」


ぼんやりと、言って私は、「⋯良くんに告白しようと思ってる」と、裕太の方を向いた。


「え⋯?しないんじゃなかった?」


困惑な裕太の瞳と、目が合った。
裕太からは、私の目、どう映っているのか⋯。


「うん、でも、このままじゃいけないから⋯。私がすっきりしたいだけなの⋯。だから裕太と話し合いに来た。1回、裕太にはしないって言ったから。約束やぶることになるから、だから⋯」

「んなの、すんなって言うに決まってるだろ!俺はまだ遥のこと好きだし、ってか付き合ったとしても遥が良くんに殴られでもしたらって、どうすんの!」


するな。
裕太はまだ私のことを好きで。
良くんからの、暴力があるかもしれないから。


「良くんは、しないよ⋯」

「するよ!この目で見てきたんだから!」


この目で。
同じ、暴走族のメンバーだから。


「だって良くんは助けてくれたもの⋯」

「はあ?」


電車の時だって。
裕太の元カノの電話だって。
文化祭の時だって。

助けてくれた⋯。


「穂高も知ってる、良くんがいい人だってこと。真希ちゃんだって⋯」

「は、穂高?」


少し、裕太の声が低くなった。

穂高は、敵だから。

真希ちゃんの、彼氏だとしても。


「私には勿体ないぐらい、いい人なんだよ⋯良くんは⋯」


私の言葉に、裕太の、顔つきが変わる。
怒るような、その前の、不快な、顔つき。


「⋯⋯なにそれ」

「⋯⋯」

「遥は、分かってねぇよ⋯」


⋯⋯なにが?


「遥さ、穂高になんか言われた?」

「⋯⋯え?」

「つーか、⋯なんでここで穂高?」

「⋯⋯真希ちゃんの彼氏だからたまたま会って⋯知り合ったんだよ」

「知り合った⋯? 向こうから近づいてきたわけじゃなくて?」



2回目は待ち伏せそれたけど、それは真希ちゃんのためで。
1回目は、本当にたまたまだった。向こうから近づいてきたわけじゃない。


「あいつも、相当やばいって、分かってる?」

「⋯真希ちゃんの彼氏だよ」

「そうだよ? でも俺らはまだ認めてない。いくら聖さんの女の妹だからって、認めてないやつもいるんだよ」


そうだね、
総長である聖さんたちがいなくなった今、認めているのは良くんだけだね⋯。


「あいつ昔、同じ清光の泉っていうグループ壊したんだよ。それぐらい、穂高のところはやばいんだよ」

「⋯⋯」

「遥⋯。お前、騙されてるよ、それ」

「は⋯?」


騙されてる?


「あいつ⋯穂高の野郎、聖さんたちが抜けた今、俺らんとこのチーム潰して傘下に入れようとしてんじゃねぇかって、噂流れてるんだよ」


なんだって?
穂高が、魏心会を潰す?
傘下?
噂?


はあ?


「遥、知らねぇもんな、もう来てないし」


ありえない、そんなの。
だって、穂高は。
真希ちゃんのために、動いていると言うのに。


「良くん、聖さんたちが引退して、親しい人らがいなくなった今、チーム抜けんじゃねぇかって噂になってて。穂高のところに行くんじゃって。だから、遥を誘って、徐々に⋯⋯。⋯⋯遥も穂高の罠にハマってるんだよ」


親しい人がいなくなった今?

良くんがチームを抜ける?

穂高のところに行く?

穂高の罠?

は?


噂?

それはただの噂でしょ。

本当じゃない。



「今は仲良くなったって感じだけど、昔は仲悪かった。だから今穂高から攻撃を仕掛けられてもおかしくは―――⋯」

「⋯何言ってんの⋯」

「遥」

「チームを守ってる良くんがそんなことをするはずないでしょ!?」



私は、ベンチから立ち上がり。裕太を睨みつけた。


「守ってる? は? メンバーの奴も殴る男だぞ?」


そんなのっ、


「なにか理由があったかもしれないじゃない!」

「理由?どんな?」


裕太に向かって反論する私に、裕太は鼻で笑ってくる。


「それは、分からないけどっ、でもっ良くんは訳もなく人を殴ったりしないっ」

「分かんないのに、良くんを分かってるような口きくのな」

「っ、ゆうた⋯」

「勝手に美化されてるだけだろ、それ⋯。マジで遥は分かってない⋯」

「じゃあ裕太は、良くんの何を知ってるの?暴力するばっかだってこと? ただ問題を起こす男だと思ってるの?」

「そうだよ、それを抑えていたのは前の総長、でももういない。いつイカれるか分からない、あの穂高とつるんだらそれこそ――⋯」

「穂高は真希ちゃんのために動いてるだけでしょ!?」

「⋯⋯穂高も、美化されてんのな」

「美化じゃない!」

「遥さ、族に関わって何日? 何ヶ月?」

「⋯なにが、」

「俺はもう年単位なわけ、それなのに俺の言うことが信じられないの?」

信じるとか、そういう話じゃなくて。
どうして裕太は⋯。


「裕太だって、決めつけてるじゃない⋯」

「なにを」

「良くんが悪い人だって決めつけてる⋯」

「だからそれは」

「良くん、だもん⋯」

「⋯なにが」


多分、これは、言っちゃいけない。
でも、止まらなかった。
だって良くんが悪者扱いされるのがイヤだったから。我慢できなかった。


「裕太の元カノから電話⋯、あの、無言電話⋯」

「⋯⋯」

「あれ、とめてくれたの、良くんだよ⋯」

「⋯は?」

「だって、絡んで来たし、文化祭で⋯」

「文化祭?」

「文化祭の時に良くんが私を助けてくれた!あれが無かったらずっと電話は続いてたよ!」

「は⋯?」

「なんで、なんでっ、」

「助けたってなんだよ!?つか文化祭の時からあの人と関わってたのかよ?!」

「もういいっ、ずっとそうやって勘違いしてればいいよっ、裕太のバカ!」



ぽろ、と、涙が出て。


もう、話は終わりだと、その場から去ろうとする私を裕太の手が引き止める。

がっちりと私の腕を掴んだ裕太は、「まだ終わってねぇ!」と、強引に私の体を裕太の方に向けさせた。


その腕の力強さに、ぎゅっと目を閉じた。



──怒らせたのは遥だろ



その瞬間、裕太にされたことを思い出す。
痛がる私をずっと抱いて閉じ込めていた裕太を⋯。

大丈夫、大丈夫、この人は父親じゃないと、ぐっと足に力を入れた。でも、力を入れすぎたせいで背筋にぞわ、とした何かが走る。



「や、やめ」

「文化祭ってなに? 助けた?は?」


眉間にシワを寄せる裕太⋯。


「いた、い」

「全部言って、遥どこまであの男と関わってたんだよ?!」

「やめてっ!」

「言えよ!!」



裕太の大きな声が、その辺りに響く。


もう、いや、いやだ、

今一度強く腕を引かれ、「や、!」と、自分の顔を、掴まれていない方の腕で隠した。


それは咄嗟の行動だった、
まるで裕太から〝叩かれる〟と思った私は、裕太から守るように顔を隠していた⋯。


父親と、裕太が、重なった⋯。



震える私の体がしまったと気づいた時にはもう遅く、はっとして腕を顔から退かし裕太の方を見れば⋯。

裕太は泣きそうで、辛そうで。とても悔しそうな顔をしていた。


まだ掴んでるものの、腕を掴む力をゆるめた裕太は、「良くんよりも⋯俺の方が怖い、ってか」と、目線を下に向けた。


「ちが、」

「もう好きにすれば?」

「ゆ、」

「遥が殴られても廻されても、俺絶対助けないから」

「⋯⋯」

「つーか、廻されて頭冷やしてこいよ」



きっと裕太は、本気で喋ってるわけじゃない。
私が裕太の反感を買うことを、言ってしまったから。



何かを言いたげな裕太は、「⋯⋯バカなのは、遥だよ」とそう呟いたあと、私から腕を離した。

そしてそのまま背中を向け、1度も振り返らずに歩き出す⋯。学校の方へと戻っていく裕太の背中を見ながら、しばらく立ち尽くし。



私はベンチに座り直した。




ちゃんと話をしにきたはずなのに⋯

どうして、こうなったの⋯

こうなった?

こうなった原因は、私。

私が裕太に酷いことを言ったから⋯。



別れてもなお、裕太を傷つけている私は、もうほんとに最悪で最低な人間だった⋯。




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