冷徹ドクターは懐妊令嬢に最愛を貫く
二章
 あの日、有島家から連絡がくるまで、蝶子は晴臣の存在をすっかり忘れていた。いや、より正確に言えば、かつて許嫁らしき人物がいたことは記憶に残っていたが、小夜子の失踪と一緒に立ち消えになった話だと思っていたのだ。

 百合から連絡があり、婚約がまだ有効らしいと聞かされたときはおおいに驚き……おののいた。有島家のような格式ある家に嫁入りするなど恐れ多いと感じたし、米国で学び医師として働く晴臣の華々しい経歴にも気後れしてた。
 だが同時に、この婚約にすがりたいという気持ちがわいたのも事実だった。

『観月の家を出る』

 それは、もう何年も前から蝶子の心の奥底にあった願望だ。何不自由なく育ててもらい、大学院にまで進学させてもらって好きな勉強を続けている。そのことにはもちろん感謝しているが、公平は蝶子になんの関心もない。もはや娘とすら思っていないかもしれない。そして、紀香と七緒からは明確に嫌われている。そんな状況でこの家にいるのは、つらいことだった。

 一度だけ、大学進学のときに『ひとり暮らしをしたい』と主張したこともあったのだが、『勝手気ままに遊び回られては困る』と公平は許してくれなかった。

(でも、有島家との結婚なら……お父さんも許してくれる。堂々と家を出ていける)

 蝶子にとっては、一条の光だった。
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