腹黒梨園の御曹司は契約結婚の妻を溺愛したい
左右之助の弁慶に、会場が大いに湧いてお舞台が跳ねた。
「すごい……」
「御苑屋!」

大向こうさん顔負けの迫力で、隣の男性が屋号を叫ぶ。鳴り止まない拍手と歓声はどれくらいの時間続いただろう。静かになってからもしばらく立ち上がることができずにいると、隣の男性とはたと視線が合った。
「もしかして今日、名舞台だったんじゃないでしょうか?」
「そう思うわ」
「なんかこう……気迫が違うっていうか」

開演前はほとんどの観客が不安に思ったはずだ。けれど幕が開いた途端に、左右之助の世界にみんな引き込まれていった。
「左右十郎の代役なんてどんなものかと思ったけど。なかなかやるわな、左右之助」
左右之助は早くにご両親を亡くし、お父さんの左右五郎(そうごろう)ではなく、祖父の左右十郎から芸を継承している。コピーなんじゃないかと思うほど、そっくりな芸風だった。多分息継ぎの位置まで、意識的に真似しているんだろう。

別にそれは悪いことではなくて、型ありきの歌舞伎では真似ぶ(まねぶ)は学ぶに通じる。きっとこれから力をつけて、彼独自の境地を切り開いていくんだと私は勝手に思ってたけど──今日が、その時だったんじゃないだろうか。
「今日はあんたのおかげで楽しかったよ」
しばらく余韻に浸って、隣の男性が気を取り直したように立ち上がる。
「こちらこそありがとうございました」
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