三次元はお断り!~推しが隣に住んでいまして~
2 先輩、襲来。
「あっはっはっはっは! リンちゃんうちの弟が何やってるか知らなかったっけ。あはははは!!」

 穏やかな土曜の朝。
 静かなマンションの一室に、先輩の豪快な笑い声が響く。

「しかもルイの言ってた大恩人のファンの子が、リンちゃんだったなんてねえ。ビックリだわ」
「三年間、勿体ないことしたよ」
「その間ずっと隣で暮らしてたのにねえ、あっはっは!」

 でもまあ、見つかったんだから良かったじゃない。なんて先輩は弟さ……じゃなくて累さんの背中をバシバシ叩いてる。
 相変わらず累さんはおとなしくされるがままになってて、痛いともやめてよとも言わない。おとなしい人なんだなあ、やっぱり。てゆーかあの「ルイ」とは全然イメージ違うんだけど。

 なんてわたしは他人事みたいにその様子を眺めている訳ですが、勿論、ここに至るまでずっとそんなふうに、心理的に遠くから眺められていた訳ではまったくなくて。
 むしろめちゃくちゃ当事者としてその渦中で、死にそうになっていたりしたんですよね。これが。






   ◇
 まあつまりは、 昨日、思考回路がショート寸前どころか完全オーバーヒートでフリーズをかましてしまった、そのあとのことですが。

 何とか数分で復活したわたしは、やたら心配そうな推しに顔を間近から覗き込まれる、という負け確イベントに遭遇して、またすぐに意識を飛ばしそうになった。
 のを、何とか堪えましたよ。だってさすがにそれは、目の前のルイさんに申し訳ないじゃん。かなりギリギリの戦いだったけど辛勝しましたよ。偉い! 全人類褒めてわたしを!!

「あの、大したことをした訳でもないですから……! お気になさらずいてください!!」

 そして慌てて言った。本気で、心底から言った。そんなご大層に、支えになったとか言われるようなことをした覚えはないからだ。

 いやまじで、たった一回のファンレターに、たった一回のプレゼントですよ。しかも消え物の。

 若手の俳優さんたちの沼というのは凄まじくてですね……。本気で推そうとするとホント、パトロンみたいになっていくらしいんですよ。
 手紙はともかく、こう、貢ぎ物とか。

 何万円もする洋服だとか、アクセサリーだとか、時計だとか、そういうものをプレゼントとして贈るそうで。そんで、俳優さんたちもそれをちゃんと身に付けて表舞台に立って下さるそうで。
 なになにのリリイベで着てたニットは私が送っただの、どれそれのインタビューで身に付けてた時計は私のプレゼントだの、そういう話がごろっごろあるんですよね。

 まあぶっちゃけ、若手で舞台中心の役者さんというのは、金銭的にゴニョゴニョ。なので、そういう応援の仕方もあるよねって話なんだけど。

 そんな中で!
 わたしが送ったのは!! 手紙と!! ココアのみ!!

 しかもあとから知ったんだけど食べ物NGって事務所とかもあるみたいで、調べたらルイさんのとこはOKだったから命拾いしたけど……!

 それをですね、それをですよ、そんなご大層に言って頂けたら勿体なさの極みでバチが当たるってもんじゃないですか。いや応援する気持ちは金額じゃないけどそれでも!!

 でも、ルイさんも全然引き下がらなかった。

「? 何で? スズちゃんにとっては大したことじゃなかったのかも知れないけど、俺にとっては、本当に、俳優生命を救ってくれた手紙だったんだよ。君がどう思おうと、あの手紙に支えられた俺の三年間は変わらないよ」

 だから、それは否定しないで欲しいな。そう続けられて、申し訳なさに胸が痛んだ。

 クリティカルヒットだ。

 だって確かに、誰かから受け取ったものの価値なんて、気持ちなんて、たとえ送った本人であろうと決めつけていいものじゃない。それはとっても失礼なことだ。
 だからそんな言われ方をしたら、わたしだって、何も言えなくなってしまう……。

「あ、あの、スズちゃんって、その、わたし」

 なのでもう、どうにか話題を変える方向に持っていくしかなかった。このままずっと感謝の言葉とか思い入れとか並べられたら申し訳なさで死ぬ。主にわたしのメンタルが。

「ああ、そうだ。リンさんだったよね」

 すると、ルイさんはこてん、と首をちょっと横に傾けて、ちょっと笑った。
 クリティカルヒットだ(二回目)。

「俺、ずっとあの手紙の子をスズちゃんって呼んでたんだ。署名が鈴、の一文字だけだったから……。気持ち悪いよね、ごめんね」

 クリティカルヒットだ(三回目)!!

 何なの推しが首こてんとかごめんねだとか殺す気ですかかわいい!! 推しの過剰摂取イクナイ! オタクすぐ死ぬんだから即死するんだからむしろ村が燃える!!

「いえ、あの、気持ち悪いとかそういうのはないです、けど」

 瀕死になりながらも真っ赤なHPゲージの残量1でどうにかそう答える、と。

「ホントに?……良かった。じゃあ、これからもスズちゃんって呼んでいい?」

 推しは嬉しそうにちょっと笑って、そんなふうに言ってきた。
 これをどうしていいえと断れるだろう。

「はい、あの、えっと、はい」

 やっとのことで頷いたわたしに。

「ありがとう。……ふふ、嬉しい。俺だけの特別な呼び方だね」

 なんて、照れた顔で笑うわけですよ! 推しが! 目の前で!!

 いや無理。ホント無理。

 推しのファンサが過剰すぎる。っていうかまじでこれ現実なの? いくら夢女と言っても、こちとら対象は二次元オンリーなんですよ。三次元の推しにまで、そんな大それた妄想は抱いてないんですよ……!

 と三度(みたび)わたしはフリーズしそうになったのを、唇を噛んで何とか堪えた。

……そもそも、ルイさんはミステリアスでクールな俳優さん、として有名だ。

 愛想が悪いとか塩対応だとか、そういうことではけしてなく。
 色んなインタビューとか、バラエティとか、ラジオとか。そういうのを見てると解るんだけど、とにかく口数の少ない役者さんだった。

 他の役者さんは多かれ少なかれやっぱり、にこやかだったり元気があったりする人が多いんだよね。あと饒舌だったりだとか。芸能人だもん、人前で話したり笑顔を振りまいたりするのが仕事だから、それがスタンダードだっていうのは解る。

 だからそんな中で、表情があんまり変わらなくて、口数の少ないルイさんはちょっと異彩を放ってた。

……ラジオ、っていう音声のみのコンテンツでもそうだったから、それでちょっと叩かれたりもしたんだよね。

 別にキャラクター作ってるとか、そういう訳じゃないのに。役者さんっていう職業にものすごく真摯に取り組んでるのは、見てればすぐに解るのに。
 誤解されやすい人なんだなあ、というのが、わたしの印象だった。多分、そういうところが、ちょっと不器用なんだ。真面目なんだよ。ルイさんは。

 でも、悪評っていうのはすぐに広まる。人気があればその分、アンチだっている。
 だから一時期、ルイさんの評判は結構荒れた。

 でもわたしはファンの欲目かも知れないけど、舞台の上のルイさんが本当に好きだったから。そもそも二次元にしか興味のなかったわたしに、舞台っていう三次元の役者さんの凄さを教えてくれたのが、ルイさんだったから。

 そんなことで傷付いて欲しくなくて、なけなしの勇気を掻き集めて、手紙を送ったんだ。
 それが、三年前の話。
< 4 / 20 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop