ピアニスト令嬢とホテル王の御曹司の溺愛協奏曲
第三楽章 過去を辿り、未来を紡ぐ旅路
 ――アメリカに来て数日。
 二人の御曹司から愛を乞われ、これからどうなるのだろうと身構えていた私だったが、思いのほか平穏な日々が続いていた。
 そもそも、二人とも仕事で忙しい身である。私ばかりに構っていられるはずがないのに自意識過剰だったわねと、私は内心で自省した。
 ちなみにメッセージアプリでの連絡はこまめに来るので、没交渉というわけではないということは一応言い添えておこう。
 ではそんな私が一人で何をしているかといえば、今までやりたいと思っても時間がなくて諦めていたことである。

「連日美術館に通い詰めるなんて、優雅な大人の贅沢って感じね」

 メトロポリタン美術館の屋上庭園に設置されたベンチに座り、緑の向こうに広がるビル群を見つめながらほっと満足感に満ちた息を吐き出す。
 実は幼い頃、私は母の演奏活動の都合でしばらくニューヨーク暮らしをしていたことがある。
 そのおかげで大体の名所と呼ばれるスポットには足を運んだことがあったのだが、母のスケジュールの合間を縫うようにしてのお出かけだったのでどうしても慌ただしい行程になってしまう場合が多かった。
 それでも大概は問題なかったのだけれど、膨大な所蔵品を誇るメトロポリタン美術館やニューヨーク近代美術館をめぐりきれないのは残念に思っていた。
 その無念を、今晴らしているというわけだ。

「さて、今日はこのくらいにしておこうかな。最近は気分が大分晴れてきたような気がするし、この調子なら症状改善も遠い話ではないかもね」

 自分の手を見下ろし、ふっと微笑みながらそう呟く。
 私のイップスの症状は、病院で問診を受けてみて、ボトックス注射などの治療をする前に心理的な懸念を取り除くことで改善を試みてみようという判断に至った。
 つまり、ピアニストとして上手くやらなくては、結果を出さなければという意識が強すぎたあまり脳に異常を引き起こしてしまった可能性が高く、そうした感情を上手く制御する道を見つけることで脳が誤作動を起こさないように出来るかもしれないということだ。
 確かに、一流のピアニストになるためにずっと努力を重ね続けていた上に、さらにコンクールに向けて根を詰めて練習に励んだ末の発症であったことは間違いない。
 だから、ひとまずはピアノ一色の生活をリセットするという意識で、街歩きに勤しんでいるのである。
 その時不意にスマートフォンの着信音が鳴ったため画面をタップしてみると、ルイからのメッセージが入っていた。
 昼食を一緒にどうかという提案で、特に断る理由はなかったので承諾する。
 美術館の入口まで迎えに来てくれるというルイを待たせないように急いで向かうと、上質なスーツに身を包んだ彼がすっと片手を上げて「六花さん!」と嬉しそうに呼びかけてきたのだった。
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