「山吹さん、ちょっと待って」

廊下で呼び止められ、桃子はその声に驚いて振り向いた。

そこに立っていたのは若草淳である。

ブレザーの制服をゆるく着崩した長身の彼は、生徒が盛んに行きかう廊下の真ん中でよく目立つ。

一時間目から着替えて急いで校庭に集合しなくてはいけない状況のおかげで、誰も桃子と若草の言動を気にしている様子はない。

「は、はい!」

桃子が引きつった声で返事をすると、若草は彼女の目の前にぶっきらぼうに本を差し出してきた。

「これ」

桃子は状況が飲み込めず、本と若草のネクタイの結び目の辺りを交互に見る。

「読んだ」

若草はそう言って無理矢理その本を桃子の手の中に返した。

返される一瞬、若草の指先が桃子の手の平に当たり、二人は電気が走ったかのようにお互いに手を引っ込めた。

桃子が手に持たされた本を見てみると、それは先週貸して、先ほどの読書の時間にも若草が呼んでいた❝恋とダンス❞だった。

「これ、もう読んだんですか?」

桃子がそう尋ねると、若草はすでに身を翻し、男子更衣室に向かって歩き始めていた。

「あの!」

それでも桃子が声をかけると、若草は背中を向けたままで

「また貸してよ、明日。よろしく」

と言ったきりふらりと更衣室の中に消えて行った。

廊下の真ん中に取り残された桃子を避けるように行きかう生徒の笑いさんざめく声が、どこまでも遠くまで響いているようだった。