片想い婚
サイドストーリー



 気がついた時には私は母と二人暮らしで貧乏だった。貧しい生活で、無学と貧乏をとことん恨んだ。

 私は学生時代から必死に勉強して、奨学金を借りて大学まで行った。そのおかげか、そこそこいい会社に就職出来た時、母はとっても喜んだ。

 入社できたからといってそこで終わるつもりはなかった。女だからと馬鹿にされないよう毎日必死に働き、いつしか「頼りになる女性」として周りに認識され、入社して三年経った頃、うちの会社でも一番の花形部署に移動となった時、自分の今までの苦労が救われた気がしてホッとした。



「茉莉子! さすがだね、やったじゃん!」

 友人の香苗が私に抱きついて言ってくれた。私は顔を綻ばせて言う。

「ありがとう。香苗と離れるの寂しいけど頑張る」

「茉莉子ならみんな納得だよねー!」

「どうかな。なんか裏で陰口叩いてる人たちがいるのは知ってる。ま、気にしてないけどね」

 私は苦笑して言った。

 どうやら自分がそこそこ恵まれた容姿である、ということは感じていた。得することはある。でも逆に反感を買うこともある。仕事を成功させた時やこうやって移動が決まった時、「顔で選ばれた」「裏で男に媚びてるから」という陰口を叩かれることもあるのだ。

 だが私は気にしていなかった。とにかく働いて結果で黙らせればいい。そう心の底から思っている。

「まあ、茉莉子に嫉妬してるんだよ。気にしなくていいよ。
 それよりさ、天海さんと働けるの羨ましいんだけど! いーなーいーなー!」

「ああ……天海さん、ね」

 名前を聞けば流石に知っている。この会社の社長の一人息子だからだ。もちろん将来は会社を継ぐことになるだろう。今はまだ修行の身なのか、一社員としてバリバリ働かされているらしい。

 噂に聞くに、かなり顔もいいとか。女子社員が騒いでいるのをよく耳にする。それでも誰も彼に手を出せないのは、どうやら幼い頃から決められた婚約者がいるらしいからだ。この時代に本当にそんなことあるんだ、と感心してしまう。

 だから社員みんなは指を咥えてその人を見てるだけ、というわけだ。私は興味がないので顔も知らないけれど。

「結婚相手決まってるんでしょ」

「あの顔見ながら働けるだけで幸せだと思うよーいいなあ」

「興味ないかな」

 私の発言に、香苗は不満気に頬を膨らませた。

 事実だった。未来の結婚相手も決まってるお坊ちゃん。苦労してきた自分とは違うエリート。嫉妬だと言われればそれまでだが、そんな恵まれている人苦手なのだ。





 部署を移動し、その噂の天海さんとやらを一目見た瞬間、あーこれは女子社員が騒ぐだろうな、と納得した。

 美青年、という呼び名が相応しい人だった。色素の薄い瞳や髪は作り物のようで、物腰も柔らかく、天は二物を与えずという諺が音を立てて壊れるようだった。

 恵まれたお坊ちゃんかと思いきや仕事はかなりできた。細かい部分まで気が回り、勉強させられることが多くある。私は素直にこの人の下で働けることを嬉しく思った。彼に必死について回った。

 ある日移動して少しした頃、取引先のパーティーに参加するよう上司に命じられた。正直驚いた、まだ仕事に慣れていない自分が行くとは思わなかったのだ。

 けれど天海さんも一緒と聞いて安心する。そうか、これも勉強のうちの一つかなと思い、とにかく彼の足を引っ張らないようにと気合を入れて臨んだ。




「へえー! こんな美人さんいたの?」

「新田茉莉子と言います、よろしくお願いいたします」

 私は挨拶をしながら頭を下げる。気の良さそうな相手は、矢代という六十代ほどのハゲたおじさんだった。今現在重要な取引をしている相手で、機嫌を損ねないように、と自分に言い聞かせる。

 相手は顔がやや紅潮していた。手にワイングラスを持っているが、ほぼ空だ。立食パーティーは始まって間もないが、結構飲んでいるらしい。

 隣にいる天海さんが私を紹介してくれる。矢代は笑顔で聞いている。好感触だ、と感じた。

 私は彼の持つワイングラスを見て言う。

「矢代様、飲み物は同じものでよろしいですか?」

「お、気がきくねー! ああ、次も赤ワインにしようかな」

「では私お持ちし」

「天海さん、頼んでいいかな?」

 私が行こうとしたのを矢代が止める。下っ端の私がドリンク運びは当然なので慌てるが、天海さんは素直に返事をしてドリンクを取りに行ってしまう。

 なんとなく心細さを感じながらそれを見送ると、この時間でもいい印象を持ってもらわねば、と気合を入れた。

「あれ、新田さんは飲まないの?」

「ええと、私アルコールは弱くて」

「そんなこと言わずに一口でも。ほら」

 矢代は近くにあるテーブルに手を伸ばし、置かれてあったグラスを手にする。そして瓶ビールを手に持つと私に笑いかけた。心の中で舌打ちする。

 仕方ない、少しぐらい飲むしかないか。

 笑顔でグラスを受け取りビールを注いでもらう。それに口をつけようとした瞬間、腰に違和感を感じて動きを止めた。生温かい手が私の腰に回されていた。

 ちらりと矢代を見る。彼は至近距離でニコニコしていた。

(……くそおやじが)

 そう心の中で呟きながらまさか口に出すことはできず。そして、今日上司が私をここに来させたのはこうやって相手の機嫌を取るためだったからだろうか、と思った。

 おかしいと思ったんだ。まだ慣れていない私をぽんと接待に行かせるなんて。せめてもう少し仕事に馴染んでからじゃないのか普通。

 そうわかってしまうと、苛立ってたまらなかった。結局女だから、外見がいいからという理由で使われるのが一番嫌なこと。これまで努力してきたのを否定された気分だった。

 それでもここで拒否することもできず、私は笑顔を保持したままビールを飲もうとした。

 すると突然、そのグラスがひょいっと奪われた。驚いて顔を上げると、いつのまにか戻ってきていた天海さんが涼しい顔をしてこちらを見ている。ニコリとして言う。

「すみません、新田はアルコールが飲めず。僕が頂きます。こちら赤ワイン、どうぞ」

 そう言った天海さんは、ワインを渡しながら自然と私と矢代の間に割って入った。矢代も特に何も言わず
ワインを受け取った。

 それからまるで私の壁になるように、天海さんは矢代と仕事の話で盛り上がっていった。


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