好きになったのが神様だった場合
#7【奇跡をもう一度】



果たして翌日。

明香里は宣言通り約束の時間に水天宮に来た。辺りを見回し、溜息を吐く。

(──やっぱり、駄目か)

これが答えだとわかった。もしかしたら手紙を読んでいないのかもしれない、それでももう、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は逢ってはくれないのだと──。

「──馬鹿」

呟いていた。

「……だったら、ずっと逢えないままの方がよかった……」

ただ、礼の言葉を伝えたいだけだったと思っていられたのに。
気付いてしまった、心の奥底にある恋い焦がれる気持ちに。

これがもし、想像と全く違う青年になっていたら、また違ったかもしれない。
だが子供の頃の記憶そのままに、無垢で、何事にも真に取り組む姿があった。これを恋と自覚しないほど、明香里は鈍感ではない。

(どうしようもない初恋だったな)

葉桜の下で、少しの間待ってみる。一日千秋とはまさしくこの事だ、一秒が何時間にも感じられた。
遠くで電車の発車ベルがかすかにした、それを何十回も聞いた、何度目かのそれを合図に明香里は小さな溜息を吐き、高く見える空を見上げた。

「馬鹿」

せめて狐にくらい会わせてくれたらいいのに、と思った。会えない理由くらい知らせるべきだと勝手に憤る。

「もういいや……」

呟き、自身を納得させる。

「──さようなら」

小さな声は、すぐ隣にいる天之御中主神には聞こえた。

「明香里、俺はいる。いつでもお前の傍に」

ずっと語り掛けていたが、その声は明香里には届かない。

「ここに来れば逢える、これからも来てくれ」

せめて成長を楽しみたい、いつか子を連れてくるか、年老いて腰が曲がっても会いたい、そう思うのに。明香里はもう来られないと泣いたのだ。

「──明香里……!」

どんなに強く呼びかけても明香里には聞こえない。

青い空を見上げていた明香里の目に涙が浮かぶ。あっという間に零れて濡れた頬を拭いながら鳥居に向いて歩き出した明香里と、霊体の天之御中主神がぶつかった。

「明香里」

抱き締める形に両腕を回す、感触などなくてもいい、すり抜けてしまうとわかっていても──の筈だった。

明香里はぼすん、と何かに顔をぶつけた。何もなかったその場所に何かがあったのだ。少し離れて確認して、それが白い浴衣の合わせだと判る。
誰、と思うより先に顔を上げていた、驚いた顔で明香里を見下ろす天之御中主神と目が合った。

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は明香里の両肩を抱きながら、そんなはずはないと思う、だが明香里のぬくもりを腕を通して感じていた。明香里は間違いなく自分の体にぶつかって止まった、馬鹿なと見下ろすと驚き見開いた明香里と目が合った。
今までどんなに近くにいても自分の存在を感じてくれなかった明香里が、しっかりと自分を見ている、それが嬉しかった。

「──明香里」

熱のこもった声で呼んだ、明香里は溶けてしまいそうな笑顔で笑い返す。

天之(あめの)くん……!」

泣き笑いのまま、明香里は両手の拳を天之御中主神に叩きつけた。

「馬鹿……ばか馬鹿バカ、遅刻だよ!」
「済まぬ」

しかし来てくれたのだ、拳は自然と開き、手のひらで天之御中主神の白い浴衣を撫でていた、その存在を確認する。

「会いたかった……!」
「俺もだ」

天之御中主神も遠慮なく明香里を抱き締める、髪に鼻を埋めて深呼吸をした。

(いい香りだ、あの菓子とはまた違う)

興奮を覚える香りで、一度嗅いだら忘れられない香りだった。
明香里は天之御中主神の腕の中で小さくなってしまう、まだ会って3回目の男に、昼日中に抱きしめられてしまっているのだ、それをごまかすために文句を言う。

「もう来てくれないんだと思ってた」

天之御中主神は覚悟する、思いを伝えるために。

「来い」

言葉も行為も乱暴だった、そんな行動に明香里は図らずもドキンと心臓が跳ねがる。

明香里の手を引き歩き出したのは、拝殿の脇の小道だ。小さな祠の摂末社が立ち並ぶ。そこは多くの木々が生え、水天宮の敷地を囲む通りからも、社務所からも死角になっている。

(え、そんな。いきなり、人気のないところに!?)

戸惑いとは裏腹に、どこか期待もしてしまっているのを明香里は自覚する。
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は拝殿の台座となる石垣に明香里を座らせた。明香里は素直に座り、天之御中主神もその隣に腰掛ける。

「明香里、聞いてくれ」

真剣な声に、明香里は頷く。

「俺は神なんだ」

大真面目なその言葉に、明香里は一瞬きょとんとしたが、意味を理解すると耐え切れず吹き出していた。

「もー、何を言い出すかと思えば! 逢ってくれない言い訳がそれ!?」

誤魔化す嘘にしては稚拙すぎる、そんなしょうがない嘘につきあってやるか、と小さな溜息を吐いた。

「うん、わかった、そういうことか。これが最後って事だね」

きっと今も無理をして逢いに来てくれたのだと理解した。

「最後?」
「もう逢わないって事でしょ? 判ったよ。うん、今日は逢いにきてくれてありがとう、すごく嬉しい」

いって青い空を見上げた、初恋は告げることなくあっさりと終わったのだとわかる。明香里の声に涙が滲んだ。

「あのね、嫌じゃなかったら、あの(かんざし)はあなたが持ってて。十年も大事に預かってくれてて、ありがとう。これからも邪魔じゃなかったらそばに──」

せめて、そんな物だけでも好きな人の元にあったら嬉しく思う。

(私もずっと持ってた、あなたが握り締めた紙袋を。まだ捨ててないよ。それに、この間あなたがくれたヨーヨーもある──大切な思い出)

目の前の男とつながる、大事な思い出だ。

子供の頃と先日と、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)に手を引かれて雑踏を歩いたことを思うと、つないだ手が熱くなってくる。同時にじわりと目頭も熱くなり、滲んでくる涙を何度も瞬きをしてかき消す。

「信じていないだろう」

不機嫌な声に明香里はただ肩を竦めて見せた、いちいち言葉にしなくても、と思える。

「いいだろう」

天之御中主神は眉間に皴を寄せたまま、人差し指を立てた手を振った。
何をと思う間もなく夏の名残のように照り付ける太陽が厚い雲に隠され、見上げた明香里の目の前を大粒の雨が一粒落ちて来た。

「え!?」

声を上げる間に雨は激しさを増し、視界は煙り雨音は聴覚を奪うほどになる。明香里がいる辺りはちょうど拝殿の庇の下に入るので大きく濡れることは無かったが、それでも土台より先に出た膝下は濡れてしまいそうで、明香里は慌てて脚をひっこめた。
そして空を見上げる。まさに水天宮がいるあたりだけ雲が重く垂れ込め、激しい雨が地面を濡らしていた。他に見える空は青々としているのだ、とても局地的な豪雨だ。

「──これって……」

どう考えてもおかしいのはわかる。

「いかにも」

天之御中主神は自慢げに言った。

「雨を降らせる、神様?」
「そんな安っぽい存在ではない。造化三神だ」
「ぞうかさんしん???」

どんな文字すら思いつかなかった、明香里は慌ててスマホを取り出し、それを打ち込む。
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