好きになったのが神様だった場合
#2【会えないふたり】


再会は三日後だった。明香里は再びランドセルを背負って水天宮を訪ねる。

鳥居の辺りでキョロキョロ、石段を上がって境内に入ってもキョロキョロ……今日も人っ子ひとりいない境内である、あの少年がいないのも明らかだった。
明香里は小さな溜息を吐いて今日も賽銭箱の前に立った、胸前で手を合わせて目を閉じる。

(せめて、あの子の名前くらい知りたいな……)

会えないと思えば思うほど、会いたい気持ちは日に日に高まっていく、それを恋と知るには明香里は幼過ぎた。

明香里の来訪を天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は見つける。

「来たか、娘」

ふわりと依代から出でる。

「天之御中主神さま!」

狐が爪をひっかけ引き留めようとするが、霊体のその体はするりと抜けてしまう。天之御中主神は風鈴を胸に大事そうに抱いているが、手の中では浮いている。社の扉を抜ける、だが抜けられたのは天之御中主神だけで、簪はかしゃんと儚い音を立てて木の床に落ちた。天之御中主神はちらりと見ただけで、拾うことなくそのままふわりと明香里の真ん前まで彷徨い出る。

明香里は気付かず、目を閉じたままだ。

「娘」

明香里ははっと目を開けた。

「あの戸を開けろ、探し物が出て来るぞ」

しかし僅かに頭を、視界を左右に振っただけで、軽く肩を竦めると踵を返してしまう。

明香里は僅かに何かを感じていた、何かが頬を撫でたような気がした。

(──なんだろ?)

蜘蛛の巣の端でも当たったのだろうか、それくらいの感覚だった。

「娘」

天之御中主神は呼びかけたが、明香里は去ってゆく。

手を伸ばした、指先が髪に触れた、しかし感触すらなく、それはするりと抜けて明香里は歩いて行ってしまう。

「──近いのに、遠いな」

思わず呟き、空を見上げる。陽気はまだ夏を残しているのに、筋雲が高く見える秋の空があった。
明香里に触れたはずの手を、ぎゅっと握りしめた。





それからも明香里は、週に2、3度だが参拝するようになった。
主には学校帰りに、あるいは友人の家に行く時や遊びの折に、寄り道するのが日課になっていた。通学路からは外れている、クラスメートに見つかっていさめられたこともあるが明香里は「ちょっとだけ」と言い訳してやってきた。
少年が居ない事は判っている、それでも来れば繋がりがあるような気がして気分がよかった。
今日も学校帰りに社の前で手を合わせて祈る。

(あの子に逢えますように)

そんな様子を、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は社の中から見ていた。

(あやつはいつもこうして祈っていたのか?)

近所の者で毎日通りすがりに会釈程度を済ませて行く者も多い、それすら男か女か、若いか老いているかくらいしか感じていなかった。ヒトの個別認識など全くしていない、誰がそう祈っていても気にしたことなどなかった。

「こうして会えるだけでも悪くはないが……できれば言葉を交わしたいのう」

きちんと明香里の視界に入り言葉に交わしたかった、あのあたたかな手も恋しい。

とても勘のいい者ならば、自分の存在くらいは感じてくれるようだが、言葉を交わすまでには至らない。一番いいのは顕現することだが、先日もどうしてそうなったのかが判らない。想いだけでできるのならば、今もそれを欲しているのに叶いそうにない。
何より狐がまさしくお付きとしての使命を全うしようとでも言うのか、自分から目を離さない。余計な事はするなと言うのだろう。

天之御中主神は溜息を吐いた。

「──娘、何をそう、熱心に祈る?」

思わず声に出すと、

「自身の幸福でございましょう」

大した感情もなく狐が応える、天之御中主神は微笑んでいた。

「──お前の幸福ならば、叶えてやるのになあ」

呟くと、狐は失礼なまでの溜息を吐いた。つい先日自分に願いを掛けるなど無駄だといった男のセリフだとは思えなかった。
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