夜桜
第一章 誠守椿

際会



「タイムスリップ・・・」

私の呟きは、静まり返る知らない土地に消えていった。

果たして私が発した言葉は、一体誰に対して言った言葉だろうか。
いや、自分に言ったんだ。
自分で言った言葉に疑問を感じ、さらにその答えを見出すのに時間を用いる程無意識に出た言葉は、行先も決まらぬまま、どこか遠くへ迷い込んでしまった。

淡い空模様から、夜明け前だと分かる。
流れる雲の間から、薄らと差し込む太陽の光は、 何処か古風で趣のある建物を照らした。

どうやらその建物は、私が座り込んでいる道の 両脇に並んで立っているらしい。
終わりの見えない一本道には、人の姿や形もない。
ここにいるのは私だけと言わんばかりの世界観に、思わず息を飲んだ。
知らない土地に、一人。
こんなに怖いものはない。

どうしてここにいるのかも分からない。夢なのか。いや、仮に夢だとしても、こんなにはっきりと意識があるはずがない。

だが、ここにいる理由も見い出せないため、夢である可能性も捨てきれない。
どちらにせよ、私はこんなところに座り込んでいていいのだろうか。
そんな訳がないと自分に言い聞かせるかのように、私は勢いよく地面から腰を上げた。

これからどうしようかと思っていた時、ふと、手に触れた冷たい感触に驚いた。

そして、自分の格好を知り、二度驚いた。 淡い紺色の着物に袴。 腰には二本の刀を侍らしていた私の格好は、何処からどう見ても待そのものだった。
草履を履き、髪は頭のてっぺんで一つにまとめられている。総髪というものだ。

何故このような状況になったのか、記憶を辿ってみるが、中々思ったようにいかない。
何故なら、昔からこの土地にいたような気がする。そう思ったからだ。

そんな恐ろしく曖昧な思考に、自分を殴りたくなった。
こんな状況に、何故あり得ない話を考えているのだろうか。

だが、一度そう考えが浮かんだからには、考えれば考える程、その考えが拭いきれなくなる。

不思議な感覚を覚え、先程口にした言葉を思い出す。タイムスリップ。
そう言った。それさえ思い出せば、自分がこの世界の人間ではないことが理解できる。
だが、この趣ある建物。
どこか記憶にあるものだと、脳が勝手に考え出す。今起きていることに、頭の回転が遅れていることは事実だった。

だが、考えを止めることは、今後の自分の人生に大きく関わる気がした。
この格好。この建物から、自分はこの世界の人間。
この考えもあれば、先程の発言から、自分はタイムスリップをしてこの世界に迷い込んでしまったか。
この考えもある。後者は、自分がしているこの格好に驚いたことも、理由として入る。
それだけ言うと、やはりタイムスリップしてしまったのではないかと考えがつく。
だが、前者の考えも捨てきれない。
私が考え抜いた結果、たどり着いた答えは、どっちも、だった。曖昧な回答に、自分でも疑問が浮かぶ。
だが今は、どうしてここにいるか。 よりも、これからのことを考えなければならない。

とりあえず私は立ち止まっていた足を動かし、行先も定まらぬ道を歩くしかなかった。
途方に明け暮れ、自分の名前も忘れてしまい、自分が何者なのかも分からなくなった。

だが、私の足は止まることなく、何処かを目指しているかのように、並ぶ建物の間をすり抜け、まるでこの街を熟知しているかのように進み続けた。

やがて、一つの建物に行き着いた。表札には古い木に掘られた〈新選組屯所〉という文字。

「新選組屯所。」

新選組。

その言葉を口にしたとき、私の中の何かが急に動き出した。

激動の時代、町々をざわつかせた組織の名。元々知っていたといわんばかりに、私の脳 内にあらゆる記憶が走馬灯のように廻った。
それはあまりにも早く、記憶というには嘘 昧だった。
だが、 何処か懐かしく、心地いい感覚に見舞われた。
記憶と言ってもおかしくないだろう。 そんな思いが、自分の脳内にちらついた。
鮮明には思い出せない、先程の記憶は何だったのだろう。

その前に、私は何者だ。
何という名だ。
あそこで何をしていた。
そんな疑問がずっと残り、どう知恵を振り絞ってもその答えは出てこない。

初めてこの地に来たのは間違いない、はず。
だが、何処か懐かしいその感覚は、母親の 匂いを嗅いだ時や、故郷に帰った時。ずっと会っていなかった友人に会えた時の感覚によく似ている。
どっちを中心に考えても、もう片方の考えも捨てきれまいと、中々疑問に対する適当な答えが出せない。

だからといって、これからどうすればいいのだろう。

行く当てなどない。
野宿でもするか。そんなことを考えていた私の目に、一枚の張り紙 が映った。
表札の隣に、墨で書かれた大きな文字が目立つその張り紙には、『隊士募集』 とだけ書かれていた。
新選組が人を集めていることを知り、私は先程の考えを一つにまとめた。

新選組に入隊する。もうこれしかなかった。
どの道行く当てなどない。名前も 忘れた。私がどれほど頭を使い、この先のことを考えても、いつかはこの世界の中で生き抜く術を見出すしかなくなる。

ならば運命的にこの屯所に、新選組に巡り会えた縁を大切にしようと思う。
この新選組で、新しい人生を歩もうと思う。

私は所を前に、覚悟を決めた。
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