高嶺の社長と恋の真似事―甘い一夜だけでは満たされない―


部長が、私が作った資料を一部持ち、ペシッとデスクに置こうとして、うっかりなのかわざとなのか床に落とす。

あからさまなパワハラに内心苛立ちながらもしゃがんでそれを手に取ったところで、横から送られる視線に気付いた。

真顔で私と部長を見ているのは、四十代後半の水出さんという女性社員だった。
専務を父に持つ水出さんは、黒髪ストレートで、もともと整っている顔には控えめなメイクを施している、いわゆる清楚系美人だ。

性格は真面目で親切で、入社して以降、私もとてもお世話になっている。
専務の娘という立場をひけらかすこともないので、他の女性社員からは好かれ、なんなら憧れられているくらいで、私もそのひとりだ。

ただ、ある日突然、水出さんはなぜか私にだけ冷たくなり、その状況は二カ月ほど続いている。理由は散々考えたけれど、結局見つけられないまま今日に至っている。

私と水出さんは部署内でも仲はいい方だったけれど、仕事以外での関りはなかった。つまり……本当に心当たりがない。

でも、私がそこまで考えても見つけられないような些細な理由で冷たくあたるような人でもないと思うので、きっと私がなにかしら気に障ることをしたのかもしれない。

そう思い、水出さんの態度が変わって早々に『私、なにか気分を害するような発言や行動をしたでしょうか……?』と恐る恐る聞いたのだけれど、答えは『別に』だけだった。

それ以上は追究できず今日を迎えている。

もう一度直接聞く勇気はなかなか出ず、とりあえず仕事はきちんと回っているので……逃げているようで気持ちは悪いものの、そのまま放置している状態だ。


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