―――バチーン!

手が熱く痺れてから、私はとんでもないことに気がつき大きく目を見開いた。

(あ、ついにやってしまった……)

恐る恐る視線を落とすと、見慣れた禿げ頭――『小野寺虹色クリニック』院長が椅子から転げ落ち、呆然とした顔でこちらを見上げている。

「みみみ箕輪(みのわ)君! 君は今、私に何を」

「すみません。あの、でも本当に本当に辞めてほしいんです。こういうこと」

声を振り絞りなんとか伝えると、目の前の色白な顔はカーッと真っ赤に染まっていく。

「君っていうやつは! 傷害罪で訴えてやる!」

立ち上がった院長は、勢いよく私の肩を掴みまくし立ててきた。

「今の凄い音、何!?」

ちょうどいいタイミングで扉が開き、副院長の洋平さんが、焦った顔で私と院長を引き剝がしてくれる。

朱莉(あかり)さん、また父さんがやっちゃったんだね……! 本当にごめん」

「いえ、私もついに手が出てしまって。おあいこですし、クビにして下さって結構ですから」

「そんなこと言わないで! 僕が何とかしておくから、今日は帰って。ね?
だって君も、いきなり仕事がなくなったら困るでしょう」

(はぁ……ここで『いいえ、全然!』なんて言えたらカッコイイんだけど)

私は洋平さんに深々とお辞儀をし、激昂している院長の顔を見ずにそっと扉を閉める。

廊下を出てすぐの場所にある姿見を前に、私は思わず立ち止まった。

(綺麗なお母さんでいたいのになぁ)

肩にかかるパサついた黒髪、横長の大きめな瞳の下にはくっきりと隈が刻まれ、細い鼻と薄い唇が相まって年齢より老けて見える。
三十一歳――きっと老いが迫ってくる年頃なんだろう。
目まぐるしく過ぎていく日々に、自分の顔や体に気を遣っている暇なんてない。