a piece of cake〜君に恋をするのは何より簡単なこと〜
 那津が店内をキョロキョロと見まわしていると、奥から女性が現れた。

「いらっしゃいませ」

 髪を二つに結んだ小柄な女性は、那津に笑顔を向ける。

「お決まりですか?」
「あっ……ごめんなさい。まだ決まっていなくて……」
「あっ、私ったら早く出過ぎちゃった! ごめんなさい」
「いえいえ! 知り合った方にここのお店をオススメされたんです。本当に素敵ですね」
「ありがとうございます。でも実はほとんどの家具を自分でDIYしたから粗だらけなんですよ〜」
「DIY⁈ すごいですね!」
「ちょっとでも開店費用を抑えたくて……もしかして旅行者の方ですか?」
「あっ、そうなんです。一週間ほど滞在する予定で……」
「そうでしたか。ここ、すごく良い所ですよね。私はこの物件の値段に釣られて来たけど、今は来て良かったって思うんですよ。だから結婚してからもここに留まっちゃった。まぁ住まいだけは町の方に移動しましたけどね」
「へぇ……ご主人はこちらの方ですか?」
「ううん、違うんだけど、私の意志を尊重してこっちに来てくれたの」
「すごい……」

 女性はにっこり笑う。

「ちなみに当店はアレルギー対応のお菓子がメインなんですよ。何かお好みがあれば、オススメを出しますよ」

 そう言われてふと周吾の顔が浮かぶ。

「……じゃあチョコレートのオススメはありますか?」
「えぇ、もちろん。そこの棚のチョコケーキとスコーンがオススメです。気になったらそこのカゴに入れてくださいね」

 焼き菓子やパウンドケーキを手に取り、カゴに入れていく。どれも美味しそうだったので、あっという間にカゴがいっぱいになってしまった。

「……実は私も製菓学校を出ているんです。迷った末に通販の会社に就職しちゃったけど、やっぱり少し未練もあって……」

 女性の言葉に心を動かされ、那津はつい自分のことをはなしてしまう。

 その時女性が皿にロールケーキを一切れ載せ、那津に差し出した。

「"a piece of cake"」
「えっ……」
「慣用句です。思ったより簡単っていう意味なんですよ。私も仕事をしながら夜間の製菓学校に通ったんです。スタートするのに早いも遅いもありませんよ! あっ、試食です。良かったらどうぞ」
「"a piece of cake"……」

 ケーキをうけとってから、その言葉とともに那津の中にある考えが浮かぶ。今の私はやりたいこと、やりたくないことがはっきりと別れている。

「美味しい……!」

 一口食べた那津が感嘆の声を漏らす。

 うん、それなら今がそのタイミングなのかもしれない……。
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