拝啓 まだ始まらぬ恋の候、
七、 あけましておめでとうございます

『昨日、今年最後の対局を終えました。今月は対局が続いたので、やっとひと息つけます。』

廉佑からの手紙は十通を越えた。
先日届いたのは青い封筒で、家々の屋根にそっと雪の降る絵柄だった。
有名な画家の絵で、『年暮る』というタイトルらしい。

『僕は大晦日から二日まで実家に戻る予定です。姪っ子と甥っ子にお年玉をあげないと、怒られてしまうので。』

対局も会社と同様に、二十九日から三日までは休みとなる。

廉佑の対局は二十二日の竜王戦が年内最後だったが、二十七日に行われた棋王戦挑戦者決定戦の解説を務めており、それが仕事納めらしい。

その日、対局は芙美乃の帰宅後まもなく終局したけれど、廉佑は女流棋士と二人で一局をふり返る解説をしていた。

『では、生駒先生、初手から解説お願いします』

『はい。よろしくお願いします。まずは▲2六歩』

『△8四歩』

『▲2五歩』

『△8五歩。それで▲7六歩』

ブラックスーツに白いシャツ、細やかな模様の入った黒いネクタイ。
髪は前に見たときより少し伸びて、眼鏡のフレームも前に見たものより太かった。

『研究が進んで、いろんな形がある中で、最近よく指されているのがこの形ですね』

年が明けて一月五日には、「将棋堂祈願祭」と「指し初め式」という恒例の儀式があるが、廉佑は欠席するらしい。
新年最初の対局は一月十七日なので、ゆっくりとした仕事始めのようだ。

『芙美乃さんも年越しはご実家で過ごされるのでしょうか? どうぞよいお年を。

生駒廉佑』

流れるような水茎の「芙美乃さん」は、音にするとどんな響きを持つのだろうか。

『銀がこっちにあると、馬が利いてるので大丈夫なんですけど、こっちに引くと馬の利きがそれるので、一気に後手優勢ですね』

『では、数手前の歩は取らない方がよかったのでしょうか』

『いえ、取るのも普通の手です。むしろ手順なので悪くはならないんですけど、ただ――』

淀みなく解説するあの口から「芙美乃」の名が紡がれることはない。

明けて元日。
芙美乃はこたつから動くことなく、上げ膳据え膳を満喫していた。

「芙美乃。食べたあとの食器くらい下げなさいよ」

「はーい。ごめんなさーい」

おざなりな返事をして、下げられていくお椀を見送った。
老猫のマルがやってきたので、だいぶ艶のなくなった毛を撫でるが、そうじゃない、と鳴き声を上げる。
こたつ布団をめくると、愛想もなくその中に姿を消した。

『昔、実家で犬を飼っていましたが、五年ほどまえに亡くなりました。ちょうど対局中で、最期を看取れなかったことが悔やまれます。』

廉佑の姉一家は二日に帰省するそうなので、今はご両親と三人、のんびり過ごしているのだろうか。
それとも友人と会っているだろうか。
お雑煮は食べただろうか。
初詣は行っただろうか。
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