拝啓 まだ始まらぬ恋の候、
二、 処暑の候、

『生駒廉佑様

前略 突然のお手紙失礼致します。先日宿を提供した佐伯(さえき)芙美乃と申します。
新聞記事を拝見して、生駒様のことを知りました。存じ上げず申し訳ありません。
ペンをお忘れでしたので、将棋連盟様宛にお送り致します。
お金もお返ししたいのですが、ペンに梱包材を巻いたら封筒に入らなかったので、こちらも連盟様宛に現金書留を送っておきます。
お受け取りください。

暑さも峠を越したようではございますが、どうぞご自愛くださいませ。
草々

佐伯芙美乃』

エアコンの風で、廉佑の前髪と薄い便箋があおられた。
その縁では、水紋を思わせる水色の円が重なりあっている。
それでも、どこか素っ気なく感じるのは、活字のようにきっちりした文字と必要事項のみ記された文面のせいだろうか。

筆ペンは緩衝材入りの封筒で届いた。
連盟にファンレターが届くことは珍しくないので、こちらは問題ない。
問題になったのは現金書留だ。

十二万を超える、しかも中途半端な額の送金は、さすがに理由を問われた。
非常識なことをしたくせに、その非常識を包み隠さず話すほど非常識ではないので、言い訳をひねり出すのに少し時間がかかった。

結局、買い物した店にお釣と、ATMで下ろしたお金をそっくり置いてきた、と苦しい言い訳をした。
棋士の中には荷物を丸ごと忘れる人もいるため、「そういうこともあるか」と納得してもらえた。

「……佐伯芙美乃」

名乗るタイミングも、尋ねるタイミングもなく、初めてかのひとの名を知る。
声に出してみると、ひとつにまとめた栗色のセミロングも、気取りのない笑い声も、きっぱりとした口調も、確かな輪郭を持って思い出された。

二枚目は白紙だった。
窓に向けて透かしてもみても隠された文字などは見当たらない。
あぶり出しに挑戦する前にスマートフォンで検索したら、一枚便箋は失礼にあたるから、白紙の二枚目を重ねる、というマナーがあるらしい。

「へえ」

知らなかった。
お礼状など、たまに手書きで手紙を書くこともあるが、これまで一枚きりで送っていた。

便箋を二枚にする理由はさまざまな説があって、「縁が重なるように」という意味や、「内容は一枚で終わったけれど、気持ちはもっとあふれている」という意味などがあるらしい。

それなら、できるだけ多く入れた方がいいことにならないだろうか。
二枚と言わず、三枚でも四枚でも。
幾度も縁が重なるように。

このご時世にエコじゃないな、と廉佑はスマートフォンの画面を消す。

パソコンを立ち上げて、お礼状のファイルを開いた。
前に出したのは棋戦に協賛いただいた会社の社長宛だったため、文面がかなり固い。
もう少し砕けた文章に仕上げていく。
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