孤高の脳外科医は初恋妻をこの手に堕とす~契約離婚するはずが、容赦なく愛されました~
当日の暫定スケジュールが決まったのは、オペの前日だ。


「一色先生のクリッピング術完了の少し前から、覚醒に向けて薬液を減量していきます」


剣崎先生が、麻酔使用計画書を皆に配った。


「自発呼吸可能なレベルまで覚醒したら、抜管します」

「そのタイミングで、セラピストさんたちに入室してもらう。……あ。能のCDも、ここからかけます」


操が応じて、皆に視線を走らせた。


「脳?」


首を傾げる霧生君に、「能です」と答える。


「酒巻さん、能楽観賞がご趣味なそうで」


操がニコッと笑うと、その場の全員が笑い出した。
オペ中に麻酔を切って覚醒させる――患者本人にも家族にも、どういったオペを行うか説明して、同意を得ている。
覚醒した時、患者が緊張や恐怖を覚えないよう、好みの音楽をかけたりして、心理的な配慮をする……外回りを担当する操が、いろいろな情報を収集している。


「能楽……いきなり『よおおっ』なんて声が響いたら、ギョッとしそうだな」


一色先生が苦笑いした。
彼には珍しい節をつけた口調に、さらに皆の笑い声が湧く。


「ですから、先にタイミングをお伝えしました。手元狂わないように」


操が小気味よくウィンクをする。
それにも、皆クスクス笑ったまま。


東都大学医学部附属病院の歴史に残る大手術の前日だというのに、チームの皆、気負いもなく和やかだ。
私も同じように笑いながら……膝の上に置いた手をギュッと握りしめ、小刻みな震えを誤魔化した。
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