叔父一家に家を乗っ取られそうなので、今すぐ結婚したいんです!
エピローグ
 オーレリアはうろうろと部屋の中を歩き回っていた。

(どうしよう、緊張して来た!)

 一度バベッチ伯爵家に帰ったあと、ラルフはサンプソン公爵家へ向かった。ハンフリーに報告を任せたとはいえ、オーレリアの捜査協力を要請した身としてはお礼を述べに行った方がいいと、律儀な彼は考えたようだ。
 ドーラから聞いた話だが、どうやらここにコリーンが来たらしい。コリーンの身柄は拘束されて、オーレリアが帰って来るより前にサンプソン家に引き渡されたとのことだった。

「お嬢様、少し落ち着かれてはどうですか?」

 部屋中を意味もなく歩き回るオーレリアに、ドーラが苦笑する。
 落ち着けと言われても、これが落ち着いていられるだろうか。

(帰ってきたら言う、帰ってきたら言う。ラルフに好きだって、絶対に言う)

 いろいろあったが、それこそ本来の今日の目標。ラルフにも一日待ってと言ったのだから、きちんと今日、彼に求婚するのだ。

(結婚してください? 結婚しましょう? うちに婿に来てください? 何が一番いいのかしら⁉)

 そんなことを考えていては、おちおちと座ってはいられない。
 早くこの緊張から解放されたいという気持ちと、心の準備がしたいからもう少し帰ってこないでほしいと思う気持ちが同居して、もう自分自身でもわけがわからない。
 ラルフがサンプソン家から帰ってくるのは夜になるだろう。窓から見える空は、雲の切れ間から夕陽が差し込んでいる。雨もほんの五分ほど前に上がった。ラルフが帰って来るまでまだまだ時間がある。

「お昼を食べていないんですから、軽食でも取られたらどうですか?」

 そう言われても、緊張で何も喉を通らないと思う。

(ああ、でも、ラルフが帰って来たときにお腹が鳴ったら恥ずかしいし……)

 恥ずかしがったところでラルフはきっと、そんなものは今更だと笑い飛ばすかもしれないけれど、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
 オーレリアはドーラに頼んでビスケットを用意してもらうと、ようやく歩き回るのをやめてソファに腰を下ろした。
 ローテーブルの隅には、誤ってバベッチ家の柊の紋章を刺繍した青いハンカチがある。
 ラルフがバベッチ家に婿に来てくれるなら、彼もこの柊の紋章を使うようになるわけで――ああ、そんなことを考えるとまた顔に熱がたまっていく。
 もそもそとビルケットを食べて、また部屋の中をうろうろして、そわそわと窓の外を何度も確かめて――そんなことをくり返しているうちに、夜になっていた。

 夕食だからと、ドーラに強引にダイニングに連れていかれて、椅子に座ったままちらちらとカーテンの引かれた窓を振り返る。
 そろそろだと思う。そろそろ帰ってくる時間だ。
 だって夕食には間に合うように帰ってくると言っていたから。
 ケネスもラルフが帰ってくるだろうからと、オーレリア対面の席に、ラルフが使うカトラリーを準備している。
 何となくケネスが並べている銀製のカトラリーを確認したオーレリアは、「あ」と小さく声をあげた。

(あれ……お父様の……)

 代々、バベッチ伯爵家の当主が使っていた、特別なカトラリー。
 ラルフはこれまで、来客用のカトラリーを使っていた。それなのに、今晩ケネスが用意したのは、伯爵家の当主のカトラリー。
 オーレリアが驚いてケネスを見やれば、彼は小さく微笑んだ。
 それを見ていたドーラも、ほかの使用人も何も言わない。

(なんだか、みんなに背中を押されているみたい……)

 オーレリアの一世一代の告白を、ラルフに当主のカトラリーを準備することで、後押ししてくれているように感じるのは気のせいだろうか。
 その時、外からわずかに馬のひづめの音と車輪の音が聞こえて、オーレリアの心臓がきゅっとなった。
 ラルフが、帰ってきた。
 ケネスが素早く玄関へ向かう。オーレリアも立ち上がってあとに続いた。
 ケネスが玄関を開けたのと、ラルフが馬車を下りたのはほぼ同時。

「お、おかえり、ラルフ」

 おかえりなさいませ、という使用人の声のあとにオーレリアが声をかければ、ラルフがにこりと笑った。

「ただいま。腹減った。夕食には間に合った?」
「うん」

 オーレリアと一緒にダイニングへ向かったラルフは、自分の席に用意されているカトラリーを見て目を丸くする。
 無言でオーレリアを見てきたから、頬を染めつつ小さく頷けば、ラルフの目元がほんのり赤く染まった。
 それだけで、ああ、幸せだなと思ってしまう。
 ラルフとオーレリアの前に前菜が用意されて、ラルフが少し緊張した面持ちでカトラリーを手に取る。
 丁寧に、まるで壊れ物を使うかのように、父のカトラリーを使ってくれるのが、嬉しかった。
 




 夕食の後、オーレリアは一枚のハンカチを手にラルフの部屋に向かった。
 廊下を一歩歩くごとに心臓の音が大きく速くなっていくようだ。
 扉の前で大きく深呼吸をしてからノックすれば、すぐに扉が開く。今日はお風呂上りではないらしい。バスローブ姿でないことにホッとしつつ、招き入れられて部屋の中へ入る。
 後ろ手でハンカチを持って、そわそわしながら立ち尽くしていると、ラルフが苦笑して「座れよ」と言った。
 ソファに腰を下ろすと、当然のようにラルフが隣に座る。

「酒しかないけど、飲む?」

 この前と同じようなことを訊かれたけれど、オーレリアは首を横に振った。せっかくの告白を、酔っぱらって失敗したくない。
 オーレリアは何度も深呼吸をして心を落ち着けようとした。

(ラルフが好きなの。だから結婚してください。……よし!)

 思うだけでなく、何度もつぶやいて練習した。大丈夫。失敗しない。
 覚悟を決めてぐっと顔をあげたオーレリアだったけれど、その前に、ラルフがぽりぽりと耳の下の当たりを掻きながら言った。

「あー……あのさ、あの、カトラリー……嬉しかったよ」
「え? あ、うん……」
「あれを出してくれたってことはさ、俺と結婚してくれるってことで、いいんだよな?」
「そ、そう……だけど」

 もちろんそうだけど、ちょっとだけ待ってほしい。

(まだ告白してない!)

 なんだか勝手に納得されてしまった。嬉しいけれど、でもちょっと違うような。

(せっかく練習したんだから、きちんと言いたい!)

 でもラルフは嬉しそうに、照れたような笑みを浮かべているから、どこで口を挟めばいいのかわからなかった。
 カトラリーですでに満足しているらしいラルフは、上機嫌な様子で立ち上がると、グラスとウイスキーを持ってくる。グラスに浅く注いで、ちびちびと飲みながら言った。

「今回の件は領主様もクリス様も相当怒ってて、コリーン・ダンニグにはしかるべき処分を下すって言ってたよ。監督責任でエイブラムとチェルシー夫妻にもね。もともとクリス様がエイブラムの近辺を調べてて、借金に借金を重ねて、膨大な額に膨れ上がっていることは調査がすんでいたらしいんだ。その中には今回のやつらとは別に、相当危ない闇金からも借りてたみたいでさ、そんな連中にバベッチ伯爵家は渡せないって結論に至ったし、今後は一切バベッチ伯爵家に近づくことを禁止するって命令が下ったから、もうあの一家がここに来ることはないよ」

 叔父一家に二度と煩わされることがないというのはとても嬉しい。でも、今重要なのはそれじゃない。

「あ、あのね、ラルフ……」
「それからさ、オーレリアが言っていた禿げ頭二人も無事に捕縛されたよ。金の返済を迫るために人を誘拐するのはさすがにやりすぎだからね、こっちも罪に相当する罰が与えられるってさ」
「そ、そうなの。あ、あのね、ラルフ……」
「あとクリス様が、もう面倒くさいから、俺はこのままバベッチ家で仕事をしていろって。どうせ結婚したら伯爵家の仕事で忙しくなって護衛の仕事はできないだろうからって言うんだ。これって裏を返せばクビってことなのかな?」

 酒が入ったからかどうなのか、ラルフがいつになく饒舌だ。
 いつまでたっても本題に入れないオーレリアはだんだん焦って来て、とうとうその場で立ち上がった。

「あのね、ラルフ! 言いたいことがあるんだけど!」
「え? あ、うん……なに?」

 勢いあまって大声を出してしまったから、ラルフが目を丸くしている。

(馬鹿ラルフ! これじゃあ雰囲気も何もないじゃない……!)

 せっかく告白の練習もしたのに、これでは全部台無しだ。
 オーレリアは口をとがらせて、それからずいっと手に持っていた青いハンカチをラルフに押し付けた。

「あげる!」
「え? ハンカチ?」
「そう! 今度からそれを使ってよね!」

 ああ、なんて可愛くない遠回しな告白だろう。
 自己嫌悪に陥って、しおしおとソファに座りなおすと、オーレリアは両手で顔を覆った。
 きちんとと、ラルフが好きなんだと言いたかったのに。
 顔をあげられないでいると、畳んであったハンカチを確認したラルフが小さく息を呑む声が音が聞こえた。

「オーレリア……」
「こ、今度から……ラルフも、うちの紋章を使うことになるでしょ? だから……」

 気が早いって言われたらどうしよう。急に不安になってきた。
 両手で顔を覆ったまま緊張していると、突然、ラルフががばっと抱きついてきた。

「ひぅ!」

 どうして抱きつかれたんだろう。驚いて顔から手を放したけれど、ラルフの胸にギュッと抱きこまれているから、彼の顔が確認できない。

「ありがとうオーレリア、すっげー嬉しい」

 ラルフの熱っぽい吐息が耳にかかって、オーレリアはくすぐったくなった。

(恥ずかしい……、でも、チャンスは今しかないわよね?)

 ラルフが黙っている今がチャンスだ。
 オーレリアは大きく息を吸い込んだ。

「ラルフ、あのね……、あの、ね……、わたし、ラルフのことが好きなの。だから、ね……だから……結婚して、くれる?」

 言った! 練習よりもかなりたどたどしくなったけれど、言いたいことはすべて言えた!
 達成感にホッと胸をなでおろしたけれど、なぜかラルフが、オーレリアを抱きしめたままぴたりと動かなくなった。呼吸も止まった気がする。

(え?)

 耳元に感じていた息遣いがなくなって、オーレリアは慌てた。

「ラルフ、どうしたの、え? どこか具合悪いの⁉」
「……もうむり」
「は? 無理? なにがむ――」

 オーレリアがきょとんとしたその直後。

「――――――っ」

 口が、塞がれた。
 ラルフの、オーレリアよりも少し熱い唇で。
 呼吸を忘れて、大きく瞠目して硬直したのは、今度はオーレリアの番。

「むぅ……?」

 どうしてキスされているのだろう。
 そんな疑問が頭の隅の方にもたげるけれど、それもあっという間に白く塗りつぶされて行く。
 わからない。
何も考えられない。
 ただ、重ねられた唇が熱くて、鼓動がうるさくて、――なんか、どうしようもなく幸せだ。
 短いのか長いのか、時間の感覚すらわからない。
 やがてラルフが唇を離すと、彼の呼吸は少し乱れていた。

「あー……やっちゃった。……結婚式まで取っておこうと思ったのに」
「え? え? な、なんで……」
「だってお前、子供のころ言ってただろ。ファーストキスは結婚式の時にするんだって」

 そんなことを言っただろうか? 言った気がする。でもそれは、五歳か六歳のころだったはず。

(そんな昔のこと……なんで覚えてるの?)

 オーレリアだって忘れていたのに。
 本気で後悔しているのか、赤い顔をして天井を仰いでいるラルフが、どうしようもなく愛おしい。
 オーレリアは天上を向いているラルフの頬を両手でつかんで、ぐいっと引き寄せた。
 ちゅっと触れるだけのキスを自分からして、目をパチパチしているラルフに笑う。

「ラルフ、大好きよ」

 やっぱり、彼以外考えられない。
 三回目のキスは、どちらからともなく、そっと触れ合う、まるで羽のように優しいものだった。



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