カッコウ ~改訂版
1、みどりの章

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 「俺達、もう会うのは止めよう。」シャワーを浴びて身支度をしながら茂樹が言う。私はベッドの中で首を振る。いつものこと。抱くまでは優しいくせに。終わってしまうと身勝手な人。
 「俺はもう行くけど。みどりは泊まっていっていいよ。」ホテルに一人残る私のことなど気にも留めない茂樹。
 「出張から戻ったら連絡するよ。ゆっくり話そう。」茂樹はそう言って部屋を出て行った。
 わかっていたこと。それでも茂樹に抱かれたかった。大丈夫。どうせ茂樹はまた誘う。私を抱きたくなれば。体だけの関係で構わない。私はベッドを下りシャワールームに向かった。
 
 何故、茂樹が好きなのだろう。ただ遊ばれているだけなのに。茂樹はいつも逃げ道を用意している。愛されていないことはわかっているのに。わかっているけれど、私は断ち切ることができない。意地なのか、執着なのか。自分では純粋な愛だと思いたい。
 シャワーを浴びた後、私はベッドに腰掛ける。テレビを点けると9時のニュースが流れてきた。“このまま泊まろうかな”とベッドに横たわる。
 今から埼玉の自宅まで帰ることは億劫で。友達の家に泊まると連絡すれば、親は何も言わない。泊まる決心して携帯電話を取ると、着信を知らせるランプが点滅していた。
 シャワーを浴びている時にかかってきた電話。茂樹かと思って開くと、紗江子からだった。高校時代の友人、紗江子とは今もよく会っている。私は家に連絡する前に紗江子に電話した。
 「ねえ、健二の友達がみどりに会いたいって言うんだけど。会ってみない?」茂樹との事は誰も知らない。だから友達は皆、私に彼がいないと思っている。茂樹は彼じゃないから。私も否定しない。
 「えー。どんな人?」あまり気乗りはしないけれど、私は一応聞いてみた。
 「健二の同期。私も一度会ったけどいい人だよ。会って気が進まなければ断っていいんだからさ。」今まで私は、そういう話しに乗らなかったけど。茂樹に冷たく置き去りにされた反動で
 「そうだね。会ってみようか。」と答えた。どうせ茂樹は出張だから。急に呼び出されることもないだろうし。
 「いいね、みどり。やっとその気になったか。」と紗江子は笑う。あと半年で大学は卒業だから。茂樹を卒業する準備もはじめよう。どうせ遊ばれているだけだから。

 
 大学に入学してすぐに、私は茂樹を好きになった。学部の准教授。まだ30代後半の茂樹は、学生の目を引く。
 「大谷先生って、ちょっとカッコいいね。」
 「あの若さで准教授って、優秀なのかな。」
 「でも指輪しているよ。結婚しているのかな。」女子大生は目敏くて好奇心の塊。
 私も他の学生と同じように、茂樹に興味を持った。痩せてヒョロッとした体形。色白な顔にメタルフレームの眼鏡。特別格好良いわけではないけれど、初老の先生に混じると素敵に見えてしまう。女子ばかりの大学だから。
 一年生の時から茂樹の授業を履修していた私。その時間は、一番前の席に座り茂樹を観察する。少し猫背に板書する背中。額にかかる髪を払う仕草。笑うと細い目の脇に皺ができる。見つめるほどに執着していった。
 「大谷先生の奥さんって、田所教授の娘さんなんだって。」
 「だからあの年で准教授になれたの?政略結婚じゃない。」
 「奥さん、強そうだね。大谷先生、頭上がらないんじゃない。」
 「娘が一人いて、うちの付属小に行っているらしいよ。」
 「小学校から私立?セレブだね。」
 「どうせなら、もう少し良い私立に行かせたいよね。」
 「無理じゃない。父親もお祖父ちゃんもうちの学校なんだから。」噂好きな女子は、色々な情報を仕入れてくる。聞きたくないことも私の耳に届く。
 茂樹は野心家なのか。それとも純粋に奥様に惹かれたのか。それにしても上司の娘と結婚するなんて。淡々とした態度と裏腹な計算高さを感じる。噂を聞いて、余計に私は茂樹に興味を持っていった。

 



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